〇二〇 妖 猫

 それ・・は、僕が今まで見たどの図鑑や書籍にも載っていない妖怪、いや妖魅だった。

 大まかに言えば、人間と蚕を足したキメラのような妖怪。いや妖魅といえばわかりやすいかもしれない。それも三体、人に近いから三人かな。

 それぞれ12~3歳くらいの女の子で、髪型は切り下げのおかっぱ頭。どっちかっていうとざんばら髪に近い。

 顔の上半分がアイボリー色で、細長い木の葉の形をした一対の触角で隠れていた。

 上半身、胸や肩あたり、それから手首から肘までは白い毛で覆われていたけど、腰から下、下半身は巨大な蚕の腹部で足らしいものは生えていない。

 よく見ると、首の付け根に申し訳程度の萎縮した羽がついている。畳から30cmほどをふわふわ浮いていた。


 見る限りでは蚕の妖怪だった。


「すごいでしょ? 山形県で見つけた装獣そうじゅう蚕衣蠱かいこ』っていう妖魅。

 私が見た服でも下着でも記憶して、本物を再現できるって能力。

 鎌鼬カマイタチと同じで、三人で一体に数えられる」


「すごい……」


 妖怪、妖魅を直接肉眼で見るのもそうだし、物理法則を無視して、物質世界に干渉できる形而上の存在がこの世にる。改めてその事実に純粋に感動していた。


「――――――――」


 蚕衣蠱かいこたちが僕の方を見ている。口元やたたずまいはなんだかもの悲しい。


「その妖魅はね、ものすごく大変な『生前』を送って、悲しい最期を迎えたんだよ」


 六花りっかさんが僕に教えてくれた話はこうだ。

 江戸時代後期、工場制手工業マニュファクチュアが興隆していたころ、貧しい農家の女の子たちが労働力と口減らしを兼ねて、豪農のもとに預けられていた。

 そこでは絹が特産品だったから、娘たちは毎日大量の桑の葉を集めたり、薪割り水汲み炊事に洗濯。

 とにかく今のブラック企業もかくやというくらい、劣悪な労働環境だったらしい。


「――――そんな中でも、

 『いつかこの絹で織った白い衣装に袖を通したい。』

 女の子たちの素朴で可憐な夢は、

 『自分たちは生涯一回たりとも、自分が汗水たらして作り上げた絹糸の服を着ることは無い。』

 っていう現実を突きつけられちゃって、潰されたわけだ。

 折しもそれを知った時、絹を紡ぐ時節と被っちゃってねえ。

 少年は絹糸を取るとき、カイコの繭玉をどうするかは知ってるよね。

 まだ羽化する前のさなぎごと、煮立った熱湯に浸けてでちゃうって。

 この子らは、自分たちの境遇をその蚕たちに重ねて、蚕をとむらう塚の前で喉を短刀で突いて自害して、そうして生まれた妖魅なんだ。

 『もっと人生楽しみたかった、綺麗な服を着て口にべにも差して――――』

 ……でもそれが叶わなかったから、せめて連れ出して、この世をもっと見せてやろうと思ってね。

 こういう子たちみたいに、『名もなき英霊』たちが歯を食いしばって頑張ったから、今の世の中があるんだって。

 ……何? 泣いてんの、少年? 別にあんたが泣くことないでしょうに……変なやつ」


 六花さんは呆れてるけど、僕は涙が止まらなかった。

 妖魅もそうだし、それを使役する夜叉姫っていうのは、ただ強いとかじゃなくなんて悲しい存在なんだろう。

 そう思って僕は涼子さんを見た、が。


「もうそろそろ涼子さんの着てるの、元に戻してもらっていいですか」


 夜叉姫さんは、いや涼子さんか?

 どっちにせよ、彼女はランジェリー姿にシルクのシャツを羽織った状態のままだ。

 今の話を聞いて、しくしく泣きながら、タンブラーを傾けて一息に中身を飲もうとした。

 ちょっと待って、それって焼酎でしょ!?

 僕はなるべく彼女の身体を視界に入れないようにしながら、タンブラーを取り上げる。

 でも、彼女はいやいやをしながら、空のタンブラーにコーラを注ぎたして、また一息に飲みほした。

 少しほっとしたのもつかの間、そのあとタンブラーをテーブルに置いて、また泣きだす。

 お酒入ってるとはいえ、すごい情緒不安定だな、この人。


「わたし、やしゃひめ やゆーーーー、がんがゆーー」


 めそめそしながら決意表明をしだした。


(やゆ? がんがゆ?)


 それがいいことかどうかはわからないけど、涼子さんが決めたことなら応援したい。もっとも僕にはそれしかできないけど。


「分かったから、もうお休みしましょう? ねっ?」


 こんな時でも、六花さんは焼酎の入ったタンブラーを持って、この状況をにやにやしながら見ている。完全に他人事だ。


「やしゃひめがんがるーーーー!」


(ガンガル?)


 らちが明かないので、僕のブレザーの上着を羽織らせた。


「夜叉姫っていうのは、生身の身体に妖魅の能力ちからを上乗せして戦う。

 夜叉の浄眼がある種フィルターの役目をしてるけど、万全じゃない。少しずつ妖魅に近づく。

 戦闘を重ねるごとに、気を強く保たないと『人間』の部分がどんどん剥落はくらくしていくんだ。

 よくわかんないけど、多分この子には君が必要だよ、面倒見てやって」


 やっぱり、というかある意味当然か。あんなに強大な戦闘力だ。無条件で振るえるわけがない。

 でも面倒って――――涼子さんの力になれるのは嬉しいけど、どうやったらいいんだ?

 とりあえずわかっているのは、この状況で帰るわけにもいかない。

 今夜も押入れで寝ることになるだろうな、ということだけだった。




   ***




 気がつくと、座敷の隅にまた書き置きがあった。


わしは何もお構いできないが、岳臣君も疲れたろう。

 風呂は沸かしてある。遠慮なく入って休みなさい。

 あと、戸締りと電気、ガスの元栓をよろしく頼む。      

                        光蔵】

 とあった。

 あんまり、というか全く客人扱いされてない。


「今日は着換えとか持ってきてないしなあ」


 いつだかはともかく、今日泊まるのは全く想定外だった。


「ああ少年、着換えなら任しといて」


 六花さんは手品のように、中空からトランクスやタンクトップ、それにスゥェットの上下をを取り出す。妖魅蚕衣蟲かいこの能力だ。


「これ、少年にあげる」


「このトランクス……黄緑色で妙に派手ですけど」


「うん、世間でいう

 『明日あしたのパンツ』。ちなみに本物。

 これをお揃いで穿くのが男同士の友情確認方法。

 私も今おんなじの穿いてる」


「え? 普段トランクスなんですか?」


「通気性いいからねーー。一応勝負下着ランジェリーも持ってるけど。

 着けてるとこ、見たい?」


 僕は首を横に素早く振る(男同士・・・の友情確認という部分にはつっこまない)。


「お風呂入ってきます」




   ***




 座敷に戻ると、食卓はもう片付いていたけど、六花さんがまだ飲んでいる。


「さて、そろそろ休むか。ねやの用意をさせよう」


 また夜叉姫さんに人格が切り替わったらしい。手の甲の水滴のような宝石が青から赤紫になっている。


 と、見慣れない女の子が二人、押入れから布団を4セット並べて敷いている。

 慣れた様子だけど、誰だろ? さっきまでいなかったし。

 一人は身長155cmくらい、女子高生?

 時代劇みたいな紺色でかすりの和服。

 小袖にたすきをかけて前垂れ姿で、黒髪をツインテールにして、前髪に南部鉄器みたいな、鉄製の髪留めを着けている。

 じっくり見ちゃダメだけど、和服姿でもはっきりわかるくらい胸が大きい。


 もう一人も高校生くらいか。身長163cmくらい。

 赤みがかったショートボブで、淡いオレンジ色の小袖に前垂れ。コスプレなのか頭にキジトラのネコ耳がついてる。

 ぴこぴこ動くとか、最近のネコ耳は無駄にリアルだな。それに帯の下あたりからは同じくキジトラの尻尾が二本出てる。というか根元が一本だから枝分かれしてるのか。先は真っ白だ。

 尻尾を見ていると、左右に揺れていた尻尾の先がぷるぷる震え出した。そしてネコ耳の子が僕に振り向く。


「もう、あんまりシッポ見ないでください! 見られてるとくすぐったくなるからわかっちゃうんですよ!」


 ネコ耳の子は、威嚇いかくするように手を前に出してしゃーっと唸る。尻尾が二股に分かれてるってことは――――


「あの……ひょっとして、猫又さん?」


「ひょっとしなくてもそうです! 言っときますけど、夜叉姫様に何かしたら承知しませんからねっ!」


「私は五徳猫ごとくねこと言います。よろしくお願いします」


「ああ、はい、こちらこそ」


 妖怪、いや妖魅を人間の姿にできるのか? 改めて夜叉姫の力ってすごいな。二人とも見た目すごく可愛いし。


「うん、仲良くしてやってくれ。あと今は顕現していないが、あと何体か妖魅がいる、よろしく頼むぞ」


「えっ」


「嫌なのか?」


 夜叉姫さんが眉間にしわを寄せて僕をにらむ。ほんとに涼子さんと同じ顔なのか? こわい。


「『私』が浄眼の中にいたときも、時々抜け出して浄眼を虫干ししたり世話をしてくれた。

 それに顕現させて此岸こっち食べ物を食した方が私の、いや涼子の負担が減るのだ」


 そう言われると、こっちには反論しようがない。

 おとなしく夜叉姫さんにお酒を注ぎながら、心の中で

 『涼子さんごめんなさい。生活指導の先生に言ったりしませんから』

 と心の中で謝罪する。


「夜叉姫様、お久しぶりです。私……会いたかった……」


 猫又さんが夜叉姫さんに抱きつく。夜叉姫さんは無言で猫又さんの頭をゆっくり撫ぜる。

 普通に考えれば、飼い主が猫をかわいがってるだけなんだろうけど。

 五徳猫さんもそれをうらやましそうに見て、もじもじしてるし。

 と、夜叉姫さんが手招きすると、五徳猫さんも嬉しそうに抱きついた。夜叉姫さんの胸に顔をうずめて頬ずりしてる。




…………何見せられてるんだ? 僕。

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