十年前のその日
生後間もない天翼人に、飛ぶことはできない。
翼を広げ、翼浮力を感じ、操るには少なからず身体が成熟する必要があり、五歳から六歳になって初めて、少しずつ宙に浮くことができるようになる。それから少しずつ翼浮力の使い方を体に覚えさせ、十歳を数えるころには空を自在に駆けるようになる、
レイナの天翼人としての才は、少なからず非凡だった。
親の名を呼び、立ちあがるころには、自身の体を浮かせることができたという。そして五歳になるころには庭を飛び回れるようになり、七歳の誕生日には成人と変わらないほどの速さで空を駆けるようになっていた。
当時のレイナにとって、カータレット家の屋敷が誇る一般的に考えれば途方もなく広い庭でさえ、狭すぎた。レイナが外の世界で羽ばたきたいと思うのは時間の問題だった。
十年前のその日の晩、レイナは屋敷を抜け出した。
もちろん私有地の外で、許可なく翼浮力を扱うことは禁じられている。それは十歳に満たない子供であったとしても変わらない。だが見咎められなければ、立ち止まって確認されなければ、レイナが法を犯していることを確かめる手段がないことも、レイナは知っていた。そこで人通りの少ない夜中ならば、自由に空を飛んでも怒られないと考えたのだ(確認されなければ済むとはいっても、子供に私有地外での飛行許可が出ることなどまず有り得ないので、今から思えば穴だらけの計画だった)。
運が良かったのか悪かったのか、その夜レイナは隠れて飛ぶことに成功した。
暗い夜の空を、満点の星を体に浴びて飛ぶのは最高に気持ちが良かった。
どこまで行っても、壁も、柵もない、ずうっと続く世界の全てに手が届きそうな、そんな感覚を覚えた。
眠い目擦って頑張ってよかったと思えた。
誰かに見つかるかもしれない、見つかってはいけない、悪いことをしている、という罪悪感と緊張感のスリルも、全部ひっくるめて最高の夜だと思っていた。
そう思って空を泳いでいた最中、一人きりのはずだった空に、レイナの背後に、大人の天翼人が現れた。常に周囲を気にしたからこそ気づけたレイナは、慌てて地上に戻った。
最後の最後で見つかってしまったけど、十分楽しむことができた。
眠いのは大変だけど、また遊びに来てみたいなぁー。
なんて。
翼を畳み地上に降り立つまで、レイナはそんなことを考えていたレイナだったが、大地に足を付けて数分ほど歩くと、自分の重大な失態に気が付いた。
道がわからなかったのである。
高いところから俯瞰すれば、自分がどの方角から来たかさえ分かれば問題はなかった。でも建物が多い街中の道に降り立てば、そうはいかない。今自分がどちらの方向に進んでいるのかさえ、幼いレイナにはわからなかった。
その上翼浮力を使わずに大地を足で走るのと空を飛んで駆けるのとでは、速度が段違いだ。屋敷の方向が分かったとして、道がわかったとして、家に帰るにはどれくらいかかるのかもわからなかった。
仕方がないからと、誰にも見つからないようにもう一度空に飛びあがってみると、歩いて移動してしまった分だけ景色が変わってしまっており、自分がどちらの方角から来て、屋敷がどの方向にあるのかさえ、わからなくなっていた。
それでもレイナはがむしゃらに飛び回った。
それ以外にできることがなかった。
でもそれは失敗だった。
そもそも家の外をましてや夜中に飛び回るなんて、失敗以外のなんでもないのだが。
その結果疲れ果てて、翼浮力を使うこともできなくなり、歩くことも難しくなったところで、レイナはスラム街の一角に捕えられていた。明らかに身なりの良い翼を生やした女の子が、疲れ果てて路上で倒れているのだ。当然と言えば当然だが、そのレイナを捉えるだけで利用方法はいくらでもある。
そうしてレイナは、これまでの人生における最大の恥辱と苦渋を舐めさせられた。
確かにレイナはうまく飛べたし、その才能は疑う余地がなかった。でもそれは彼女が子供であるという事実を覆せるほどのことではなかった。
あの空のずっと遠くに、飛んで行けると思っていた。
「それはダメだろ、おっさん」
そうしてレイナは、イミナに出会った。
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