走る半纏

ドラム缶に割烹着

 作蔵の仕事は請負業。つまり、依頼が舞い込まなければ収入は獲られない。たとえ些細な内容でも『仕事』である。

 食べるを外さない。伊和奈は、承知で作蔵についている。

 作蔵と伊和奈のつられて、取りつかれる物語は、まだ終わらないーー。


 ***


〔ご飯は三合炊いている。おかずは鍋いっぱいに豚汁を作っている。納豆、玉子は朝と夕のどちらでもいいから必ず食べること。今回は特別にお茶菓子を用意した。くれぐれも、食べ尽くさないように気を付けなさい〕


 作蔵は寝坊をした。目覚まし時計が6時で鳴って止めたは、覚えていた。ありがちであるが、二度寝というのは、心地好い。とくに真冬の布団の中はなんともいえない微睡みがたまらなく最高だ。


 伊和奈はいなかった。

 寝坊をしたら、朝食は食べられない。そんな決まり事があった。しかし、四畳半に置かれている炬燵こたつの台の上に伊和奈の筆跡のメモ用紙が1枚乗っていた。


 作蔵は、伊和奈を束縛しない。

 だから、ふらりと伊和奈が何処かに行っているとしても何処に行っていたと、問い詰めたりはしない。


 作蔵は、知っていた。

 伊和奈は、伊和奈はーー。


「へっくしょいっ」

 背筋がぞくぞくと、寒くてどうしようもない。ひとりで遅い朝食を摂る作蔵は、鼻をむず痒くさせるとくしゃみと一緒に口の中に頬張るご飯粒をぶちまけた。

 伊和奈がいれば嫌みの雨、あられだったに違いない。

 正しくは、小言。ただでさえ伊和奈は声が甲高い。延延と、執拗なく言われたらさすがの作蔵でも立ち直るのに時間を費やす事がもっぱらだと、ここだけの話として伝えよう。


「言い過ぎ」

 ぽつりと、呟く作蔵の機嫌は悪かった。

 それでも、作蔵はがっつりと朝御飯をたいらげた。

 ごちそうさまでした。と、作蔵は手を合わせると、空になった食器を台所に持っていき、流し台に押し込んで洗剤を浸したスポンジたわしで汚れを落とし、流水ですすいで水切り籠に並べて置いた。


 何をしよう。


 毎週水曜日は紙収集。ようするに、決められたごみを出せる日が今日だったと、いうことをである。

 作蔵は廊下の奥にある納戸から、重ねてひもで十字にしばった新聞紙を引きずり出して裏口からせっせと外の収集場所へと運んで放り出してを繰り返した。


 暇。


 四畳半にある茶箪笥の上に置く目覚まし時計の時刻は11時5分。作蔵は、テレビをみていたがショッピングなんて興味はないと、電源を切った。


 あら、こんなたところにーー。


 お約束であるかのように、本棚の本の隙間からぽろりと、二千円札が三枚入り茶封筒。見つけてしまったけれど、回収したことが伊和奈にばれたら怒られる。どうしよう、と、作蔵は頭を抱え込むが見なかったことにしてこっそりとしまいなおした。


 アルテマング。


 作蔵は自室に置く机の引き出しから一冊のノートを引っ張り出して頁を捲った。何の思いつきで筆を走らせたのかわからないが、しっかりと濃くしたためられる文字に愛想笑いをするしかなかった。


 芋けんぴ。


 3時のおやつに作蔵が食べた。かっちかちの砂糖が歯をへし折ってしまうのでないかと思うほど、芋そのものを噛み砕くに顎の労力がいる。しかし、作蔵は全体的に頑丈だから、何てことはなかった。


「今回の話は、筆者の息抜きかよ」


 作蔵が文句だらりの目つきになっていた。

 せっかちな奴め。と、筆者は負けじと筆を握りしめた。

 作蔵は、泥鰌どじょうすくいをおっぱじめた。


「おい、俺で遊ぶな」


 勝手に動く身体で抵抗を試みる作蔵だったが、くたびれた結果「ごめんなさい」を口突いた。


 晩御飯の時間になった。


 伊和奈は帰ってこない。

 しかし、作蔵に動揺した様子はなかった。


「何だよ、何に期待をしているのだ」


 余計な臆測だった。

 作蔵が怒りを膨らましてしまった。悪かったね、あんたは伊和奈を信頼している。解ったから、風呂に入って歯を磨いたら寝なさい。


「残念ながら、そういうわけにはいかない」


 風呂からあがってすっぽんぽんの全身からほこほこと、湯気を脱衣場に撒き散らす作蔵。

 洗面台の鏡は真っ白にくもって、作蔵は右手を貼り付けてくもりを拭った。

 にやり。と、頬をゆるめて歯を見せる。鼻のてっぺんに指先をのせて上に持ち上げると鼻の穴を膨らませ、壁に吊るすドライヤーの持ち手を握りしめた。


 ーーぷっ。


 作蔵がドライヤーのコンセントを差し込むときだった。

 どこからか吹き出し笑いが聴こえたと、作蔵は脱衣場のあちこちを見渡す。


 板張りの床に点々と、煤くれた足跡。作蔵は、其処に目を向けた。さらに目で追ってみると、脱衣かごに畳んで押し込んでいたはずの浴衣がひろげられて裾がはみ出て垂れ下がっていた。


 作蔵は、呆れ顔をした。自然と、溜息も吐き出した。

 伊和奈が出かけると、決まってこんな光景が繰り広げられていた。その度に作蔵は怒るに怒れないと、お手上げ状態だった。


 しかし、今回ばかりはそうはいかない。びしっと威厳を示さなければならないと、作蔵はうでまくりを決めたのであった。


 作蔵はむんずと、浴衣を掴み脱衣かごから引き抜いた。


 ーーもうっ、折角隠れていたのに見つかってしまうじゃない。


「遊ぶならば、部屋であやとりとかおはじき、あるいはお手玉をしたらいいだろう。あー、おまえは伊和奈がこさえた着物を泥だらけにしてる。叱られるが解っている筈だ」

 作蔵は浴衣を羽織って帯を絞め、脱衣かごの中でうずくまっている何かにお説教をおっぱじめた。


 ーー伊和奈がいないときは、わたしたちは動ける。だから、めったに遊べない遊びをしているもん。


「ばれるのが、オチだ。さあ、部屋に戻るぞ」


 ーーやだぁああ。


 作蔵は、ただをこねる何かを抱えて脱衣場を出たーー。



 ***


〔おとなしくしなさい〕


 作蔵は、作業部屋の棚に並ぶ市松人形1体ずつにそんな貼り紙をしまくった。


 ひーふーみー……。

 全部で11体あることを確認した作蔵は、部屋を灯す燭台に立てる蝋燭の火を吹き消すつもりだった。


 ーー作蔵さん、作蔵さん。


 なんだ。まだ、いた。

 呼ぶ声がして、作蔵は堪らず笑みを湛えた。


「すまなかったな。こいつら、たまにこうやって家の中をちょろちょろと動き回ってしまうところがあるのだ」


 ーーみんな、おてんばで楽しそう。でも、わたしはみんなの輪のなかに入ることができないのがちょっぴりさみしい。


「仲間はずれをされているのか」

 作蔵の顔は不機嫌になっていた。


 ーー最近、此処にやって来たからかも知れないけれど、わたしもいけないところがあるのかな。と、思っている。


「悪いところは、まったくない。むしろ、こいつらの変な心構えに頭にきた」

 作蔵は、じろりと市松人形の1体を睨み付けた。


 ーー作蔵さん、お仕置きをするなんて考えたら駄目だよ。


「いや、俺にはそんなことは出来ない。こいつらを抑え込むのは、札を貼るのがやっとなのだ」


 ーーわたし、動いているよ。


「おまえには、札は必要ない。伊和奈が戻ってきたら、こいつらの躾をみっちりとしてくれと伝えとく」


 作蔵は何かの頭をそっと撫でると、蝋燭の火を吹き消したーー。


 ***


 作蔵は、伊和奈の帰りを待たずに就寝した。

 湯たんぽを入れた布団の中で眠気を待っている間、先程まで言葉を交わした何かのことについておもいにふけていた。


 瑠璃。


 そう、先日の依頼主の名前。家に連れて帰ったのは、依頼主が可愛がっていた人形だった。


 ーー瑠璃はわたしに穂乃花ほのかと名前をつけてくれたの。


 名前。


 愛情が溢れていると、作蔵は心を擽らせた。


 伊和奈はその日、戻ってくることはなかった。

 こんこんと、眠気が襲ってきた作蔵は目蓋を綴じて寝息を吹き始めた。


 いつもだったら、夢の中に現れるのに今日にかぎって出てこない。

 作蔵は、微睡みながら業を煮やした。


 夜舞芽やまめ


 作蔵は、伊和奈の“器”の姿を知っていた。

 何処にあるのかわからない、手掛りさえもない。


 作蔵は、深く深く熟睡したーー。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る