河に映る
癒し、和み。
やわらかい感触に、作蔵が思った。
『仕事』の最中では、思うことはなかった、
ある『仕事』では“安らぎ”が欲しかった。
またある『仕事』では“励まし”をされたかった。
今までの〈依頼〉主の、聞こえない声が今頃になって聞こえた。
そんな気がしたと、作蔵は思った。
ーー伊和奈……。
作蔵は、ぼんやりと目に映るかたちを右腕を伸ばして呼ぶ。しかし、掌は届かずのままに河のように流れる砂に埋もれて身を任せたーー。
***
額に重みがあると、作蔵は思った。両脇、足のつけ根は冷たく、後頭部は敷き詰めた小石のように硬い感触がした。
ーーおねえさん。作さん、動いたよ。
誰を呼んでいる。と、目蓋を綴じたままの作蔵は鳥の囀ずりをしている“言葉”に耳を澄ました。
ーー慌てないで、弥之助。無理やり起こすことはしないでね。
鈴の音が鳴り響くような声色。音は頭部の天辺から足の爪先までまんべんなく染み渡る感覚。
作蔵の目蓋が大きく開く。そして“音”がした方向を見る。
「ははは、やっぱり起きたいのね」
作蔵の額に乗るぬるい
「バカちん、俺の為に無茶をするな」
作蔵は、額に乗る氷嚢の冷たさに身震いをすると、女性から視線そらして口を
「『寝る』を通り越して〈花畑〉に行く寸前だったのよ」
「おまえは日頃、俺に『無駄に頑丈』を連呼していた。そんなおまえが『無駄』をする必要はなかった」
口喧嘩みたいに聴こえるが、どっちもお互いの目を合わせないところが言い分を通そうとしている証拠だ。
「おい、話しが一周回っただけの言い方をするな」
作蔵がこっちを睨んだ。おっと、いつもの癖が出てしまった。と、いうことは……。
「何、身構えてるの」
決まって〈おねえさん〉から、こっちが摘まみ出される。と、思ったから。でも、いつもと様子が違っている。
「悪いが、俺も伊和奈もそんな気分ではない」
今まで、気分次第でこっちをーー。いや、言うのは止めとこう。そうだ、こういうときは、話を戻すに限る。絶対に、そうに決まっている。
ーー作さん、おねえさん。おいら仲間のところに帰るね。
弥之助、行っちゃうんだ。
ーーキミも連れていってあげる。
そうか、たまには息抜きをしたらどうだ。の、誘いをしてくれたのだな。よしよし、さっそく……。弥之助についていこう。
「弥之助、そいつを連れて行くにうってつけの場所がある。今の時間だったら、あいつが川釣りをしているはずだ」
ーーああ、
作蔵は弥之助に寄り道を勧めているのだろう。良いだろう、何処でもついていこう。
「そいつを寄せ餌にしたら、大漁だと思うよ」
伊和奈が笑みを湛え、こっちを見て意味に理解がいるようなことを言っている。
……。やっぱり、遠慮します。
ーー“喋る餌”では、せっかくの大物も逃げちゃうよ。
ふう、弥之助が開いている窓から翔んで帰ってくれた。
「気がきかない奴め」
作蔵が舌打ちしてる。何が気に入らないのだ。
「はい、はい。あんたは、ちゃんと語りの続きをしなさい」
仕方ない。伊和奈に言われた通りにしよう。
作蔵の今の状況を(今更ながら)説明する。先程、伊和奈が言っていた作蔵が〈花畑〉に行きかけていたのは本当だ。
「もう、終わったことをほじくるな」
いきなり、打ち止めを喰らってしまった。もとい、止めを入れたのは作蔵だった。
「ごめん、作蔵。でも、今は自分の身体を治すことだけを考えてね」
伊和奈は寂しげな顔で作蔵に言うと、部屋から出ていった。
襖が閉まる音、開く窓から吹く風。
作蔵は耳と肌に心地好さを覚え、目蓋を綴じると、夢へと誘われたーー。
ーーひっひっひっ……。今回の『仕事』は見事に“つられて、取りつかれる”だったのう。
『はあ』と、作蔵は右手で前髪を掻き分けて、溜息をしながら頭を前に低く垂れた。
ーーなにも、がっかりすることはないだろう。
白くて長い髪をひとつ縛りにした、紺色と水色の縦縞模様の七分丈袖のブラウス、灰色の五分丈ズボン。そして、朱色の鼻緒で黒い下駄の(昔は乙女だった)女性が作蔵に言う。
作蔵は、女性の言葉に耳を傾けないといわんばかりの態度を始めた。詳しく説明すると腕を伸ばして背伸び運動、次に反復横飛び。最後に街祭りの催し物“ジルバ、ぶんやん”の踊りを真似て見せた。
ーー待つのだ、今の踊りの振り付けはこうやって……。
女性は、堪り兼ねて作蔵に“踊り”を指導した。
『極めるつもりはない』と、作蔵はしかめっ面をしながら女性に向けて右手を翳した。
ーーこれ、これ。おぬしは、ワシを見ると決まって不機嫌な態度をとるのう。
女性は逃げようとする作蔵の襟首を右手で掴み、引き寄せた。
作蔵は、夢の中に現れる“相手”が苦手だった。
圧倒的な雰囲気、先回りをしたような助言、嫌がっても追い掛ける性質。
あくまで、苦手。
逆らう、抵抗する、等の基準ではないというのは、矛盾している感情だと作蔵は解っていた。
ーー謎は、謎のままで胸の奥にしまう。しぶとく追うは、今を棄てることになる。其れが、おぬしがおぬしでいる為の確執。ワシのおぬしへの見解は、おぬしにとってはさぞかし、はらわたが煮え返るだろう。
女性のひとつ縛りにした長くて白い髪が、毛先から黒を混ぜた茶色に移り変わっていく。同時に作蔵の襟首を掴む右手が離れ、作蔵は転びそうになったが両足を踏ん張らせて体勢を真っ直ぐにした。
作蔵は、女性に振り向くはしなかった。視線は、上を向くことも足元を見るさえしなく、目の前にひろがる朱色に染まる空間に向けられた。
『あ』と『うん』などのひと声すらせずに、作蔵はじっとした。
ーーもう、目を覚ましていいよ。あんたのことは〈あっち〉に任せている。あんたも〈あっち〉が大切だろうからね。
女性の言葉は、樹木の枝先より膨らんだ若葉がひろがるように瑞々しい声色。作蔵は、女性に渋渋と振り向くことにした。
『〈あいつ〉は、おまえの“芯”だからな。そして、おまえは〈あいつ〉の“器”と、いうのは承知だ。しかし“器”であるおまえが何処にあるのかと、俺はーー』
ーー根気よく、依頼を承けた『仕事』をこなす。それしか方法がないよ……。
作蔵に言葉をかける女性の顔は、
『おまえを何と呼べば良いのだろうかと、訊きたい』
作蔵の指先が女性の腕の肌を滑らせ、掌に辿り着く。女性は作蔵の指先が掌に、指に、と絡む感覚に鼓動が高まるを懸命に抑えていた。
ーー
朧気に、記憶に残るのはお互いの名を呼びながらの温もり。
あくまで、作蔵が眠りながらみた夢だったーー。
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