第11章8話 主役は遅れてやってくる

 灰色の空から雨が滴り落ちる。降り出した雨は瞬く間に豪雨となり、アルイム神殿前を濡らしていった。

 たった4人のヤクモたちと、グレイプニル、約100名の魔界軍兵士のぶつかり合い。ヴァダルとアイレーが見下ろすアルイム神殿前の戦いは、熾烈を極めている。

 

 ヤクモとモーティーの戦いは、互いに一歩も譲ることはない。モーティーはヤクモを切り刻もうと鎖鎌を振り回し、ヤクモはモーティーを近づけまいと、魔界軍兵士を跳ね除けながら攻撃魔法を使う。2人の距離が縮まることはなかった。


 戦いの終わりが見えないのは、ルファールとメイだ。麗しい2人の凄まじい速度での剣のぶつかり合いは、他の者たちを寄り付けない。風を切る、というよりも、風そのものと化した2人を、止められる者はいない。


 ダートは、数十人の魔界軍兵士を一挙に相手取り、魔界軍兵士たちを震わせている。少しでもダートに近づこうとすれば、彼の持つ巨大な土の柱に振り払われ、内臓を飛び散らせることになるのだ。

 

 ヤクモ、ダートの目に留まらず、神殿の出入り口に到着した者は多い。だが、神殿内部に入れた者は1人もいない。番犬の見張りを突破できた者は、1人もいない。

 どうにか神殿内部に入り込もうと、槍を突き出す2人のゴブリン。本来の犬の姿をしたマットは、ゴブリンの槍攻撃を避け、1人のゴブリンを前足で地面に押し付け、その顔を噛み砕いた。


「おらおら! どうした! 俺を倒して神殿に入れるようなヤツはいねえのか!?」


 ゴブリンの顔であった肉を吐き出し、血に染まった口から牙をのぞかせ、叫んだマット。もう1人のゴブリンは仲間の惨状に恐れおののき、這いつくばるように神殿入り口から逃げ出した。

 不敵に笑ったマットは、喉を鳴らし、他の魔界軍兵士たちも睨みつける。兵士たちは武器を握る手に力を込めるが、前へ進む者は現れない。


「ヘッヘ、どいつもこいつも不甲斐ないぜ」


 長らくスタリオンの操縦士として生きてきたマットは、14年ぶりの番犬を楽しんでいるのだ。アルイム神殿に侵入し、生き延びた人物は、自分とベンだけだと自慢しているのだ。


 魔王がアルイム神殿の奥に消えてから十数分。ヤクモたち4人の活躍により、魔界軍兵士は完全に足止めされてしまっている。これにヴァダルとアイレーは歯ぎしりするが、ヤクモたちにも余裕はなかった。

 最も俊敏なネメシスゴーレムとはいえ、エッダが戦場に到着するまでの時間は長い。だがさすがのエッダも、もうすぐそこまで来ているのだ。エッダ到着前に可能な限り敵を減らそうとしていたヤクモも、焦りだす。


 少し見上げれば、木々をなぎ倒し地面を抉るエッダが視界に入る。ヤクモは突き出した左腕に自然と力を込め、モーティーに対する攻撃魔法を強めた。


「勇者ちゃんの力強い匂い、あちき大好きよぉ。でも、そこが隙になっちゃってるわ」


 襲いかかるヤクモのソイルニードルとアクアカッターを踊るように避けながら、怪しく笑ってそう言ったモーティー。焦り苛立つヤクモは舌打ちして、腕を大きく振って多数のアクアカッターを放つ。

 雨を吸収し直進する多数のアクアカッター。モーティーはニタリと笑うと、体を大きく反らし、アクアカッターの下に滑り込み、すぐさま立ち上がってヤクモの目の前まで踏み込んだ。


「ほら、隙があるって言ったでしょ」

「ウソッ……!」


 腕を大きく振っていたヤクモは無防備だ。右腕で剣を振り上げても間に合わない。このままでは、ヤクモの首はモーティーの鎖鎌に掻き切られてしまう。まさに絶体絶命。


「危ねえ!」


 ヤクモは幸運であった。ヤクモとマットの距離は近く、敵を排除し、ヤクモの危機を察知していたマットが援軍に駆けつけていたのである。

 モーティーが鎖鎌を振ったのと同時、マットはモーティーの分厚い足に噛みつく。鋭い牙が肉に食い込んだ痛みに、モーティーは姿勢を崩しよろけた。おかげでヤクモは、振られた鎖鎌に首ではなく、肩から胸にかけて、浅い切り傷をつけられただけで済む。


「ああもう! 痛いじゃないの!」


 足を蹴り上げ、噛み付いたマットを払うモーティーは不機嫌そうだ。ヤクモを仕留め損ね、戦いを邪魔されたのがよっぽど悔しかったのだろう。命を救われたヤクモは、珍しくしおらしい表情をマットに向けた。


「ありがと、マットさん」

「礼なんかしてる場合か! 敵はまだ――」


 マットの叫びのおかげで、ヤクモはメイがこちらに向かってくるのに気がついた。しかし、メイのスピードにヤクモは追いつけず、メイの強烈な蹴りがヤクモの脇腹に直撃してしまう。

 蹴り飛ばされ、木に当たり地面に倒れるヤクモ。彼女は脇腹をおさえながらも、即座に立ち上がり剣を構える。メイは追撃せず、ヤクモに言い放った。


「いつかのお返しです。本当に下品でごめんなさい」


 頭を下げ、そう言ったメイ。どうやらメイの蹴り攻撃は、ロダットネヴァ渓谷の戦いでの仕返しだったようである。

 雨に濡れた髪を搔き上げるメイに、ルファールが攻撃を仕掛けた。2人は再び、終わりの見えない戦いに興じる。マットはヤクモを心配し、叫んだ。


「言わんこっちゃねえな。おい! 勇者さん大丈夫か!?」

「大丈夫」


 左手を上げて、モーティーから視線を外すことなく答えたヤクモ。今の彼女は、2度の連続した危機に対処できなかったことを恥じ、剣を強く握りながら、メイとモーティーには負けないと決意していた。

 

「だけど、もう大丈夫じゃないかも」


 メイとモーティーに負けない決意はしたのだが、空を見上げたヤクモの視線は、今にも拳を振り上げようとするエッダに支配されている。これには、ヤクモもつい弱音を吐いてしまった。

 ついに戦場にエッダが到着したのだ。勝利を確信したヴァダルとアイレーは、遠く離れた車の陰から、わざわざ水晶――拡声器――を使って、ヤクモたちをこき下ろす。


「お労しいルドラの、お労しい奴隷たち! あなたたちはぁ、エッダに潰されるためだけの存在なのだぁ!」

「跡形も残さず潰れた果物のような死体――田舎者どもにはお似合いの死に様ですわ!」


 ヴァダルとアイレーの言葉など、戦場では意味を持たない。確かなのは、魔界軍兵士の存在など構わず、エッダが拳を振り下ろそうとしていること。そしてその相手が、ダートであることだけだ。


「おいらに、任せて!」


 逃げることを拒否し、防御姿勢をとるダート。彼は少しでも時間稼ぎをしようと、自らが立ちはだかり、エッダの攻撃に耐えようとしているのだ。

 

「岩野郎! 無理すんな!」


 山が動き、地面が殴りかかってくるようなエッダの攻撃。いくら堅牢な岩の体を持つダートでも、エッダの攻撃が直撃すればただでは済まないであろう。マットはダートに退くよう忠告するが、ダートは聞く耳持たない。

 そこでヤクモは、剣を地面に刺し、両腕をエッダに突き出しエクスプロを発動した。ヤクモのエクスプロはエッダの拳を炎で包み込み、その進行方向をずらす。これにより、エッダの腕は無傷であったが、エッダの拳がダートに直撃することはなかった。

 

 エッダの拳は、標的を外し赤黒い地面を殴りつける。地面は大きく抉られ、泥が飛び散り、凄まじい衝撃波がダートや魔界軍兵士たちを吹き飛ばした。

 飛び散る泥の向こう側で、エッダの黄色い目が光る。エッダの次の標的は、攻撃の邪魔をしたヤクモ。エッダに見つめられたヤクモの背中に冷や汗が伝う。


「うわ、こっち向いた。最悪」


 地面に刺した剣を手に取り逃げるか、攻撃魔法を仕掛けるか。悩むヤクモ。

 そんな彼女を援護しようとしたのはルファールであったが、メイは彼女を手放さない。


「ルファールさん、あなたの敵は、この私です」


 ヤクモを援護しようとするルファールだが、彼女はメイの相手で手一杯であった。ダートは地面に転がり、ヤクモの援護には間に合わない。


「勇者さんよ、俺が――クソッ! 邪魔だ!」


 ここぞとばかりに、アルイム神殿の入り口には魔界軍兵士が押し寄せている。マットもヤクモを援護することはできないのだ。


「これ……マズイかも……」


 再び振り上げられたエッダの巨大な拳を見て、ヤクモは弱音を吐いてしまう。勇者とはいえ全ての魔力を取り戻していないヤクモは、殴りかかる大地に勝てる気がしないのだ。

 

 雨を切り、風を切り、ヤクモに襲いかかるエッダの拳。隕石でも落ちてくるような攻撃を前にして、ヤクモは歯を食いしばった。

 その時である。大量の氷柱がエッダを襲い、氷柱の盛大に割れる音が辺りに響き渡った。氷柱をぶつけられたエッダは一歩退き、拳は森の木々をなぎ倒すだけ。ヤクモは助かったのだ。


「なんだねぇ! 何が起きたのだねぇ!」

「あ、あれは……」


 突然のことに驚くヴァダルとアイレー。ヤクモは振り返り、アルイム神殿上空を見上げる。するとそこには、豪雨の中でマントをはためかせ、翼をはためかせる黒い影が、空中に静止していた。


「勇者ともあろう者が、我と対等であろう者が、無様だな」


 黒い影はそう言いながら、ヤクモを嗤った。黒い影――魔王が2つ目の魔力を取り戻し、アルイム神殿を突き抜け、戦場に現れたのである。

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