外伝第5話 とある街頭にて

 マット、ベン、ストレングと共に警備を開始してから数分。ヤクモとルファールの鋭い視線が功を奏したのか、少なくとも彼女たちの目の前で、犯罪が行われることはなかった。今日の酒場街は、酔っ払いたちの巣窟というだけである。

 しかし、問題が何ひとつ起きていないわけではない。酔っ払いの巣窟ということは、酔っ払いのトラブルには事欠かないということである。道端に転がる酔っ払いへの注意は、優に20人を数えた。


「おい、あれを見ろ」


 23人目の酔っ払いを片付けたヤクモに対し、ルファールがどこかを指差しそう言う。何かあったのかと、ヤクモはルファールが指を差した先に視線を向けた。

 ルファールに言われた方向を見ると、そこには人だかりが。人だかりの中心にいたのは、ゴブリン族と人間の男。


「お前、今なんつった! もう1度言ってみろ!」

「何度でも言ってやるよ!」


 どうやら酔っ払い同士の喧嘩のようだ。野次馬も集まっており、喧嘩を放っておくわけにもいかない。


「酔っ払いの喧嘩とか、面倒くさい……」


 道端に転がる酔っ払いに注意をするだけでも面倒だったというのに、今度は喧嘩の仲裁だ。ヤクモは心の底から嫌そうにそう言って、無表情なルファール、警備を手伝うと言いながら何も手伝わないマット、ベン、ストレングを連れて、野次馬をかき分ける。

 喧嘩中の2人に近づけば近づくほど、彼らの喧嘩の内容がヤクモの耳に入ってきた。2人とも胸ぐらをつかむ勢いで、自分の意見をぶつけ合っている。


「いいか、シンシア様のチャーミングポイントは尻尾に決まってる! 猫耳なんて素人の意見だね!」

「ああ? 俺は玄人アピールか? シンシア様と言ったら耳に決まってんだろ! 素人玄人関係なく、猫耳こそが至高だ!」

「分かってないね。尻尾は自由自在、縦横無尽なんだ。シンシア様の素直な気持ちが一番表に出るのは、尻尾なんだよ!」

「感情が分かるってんなら耳だって同じだろ! 耳は感情表現じゃなく、実生活にも使えるんだ。耳がシンシア様を支えているんだ!」


 喧嘩の内容を聞けば聞くほど、ヤクモは今すぐこの場を去りたいという感情に襲われる。だいたい、なぜこんな喧嘩に野次馬が集まり煽ることができるのか、ヤクモにはまったく理解できない。


「あいつら、なんなの?」


 喧嘩する男たちに白い目を向けたヤクモ。一方で、やはり酔っ払いは酔っ払いのようだ。シンシア論争を前にして、ストレングが豪快に笑い、大声で叫んだ。


「よく分からんが、面白い。おーい! 俺様は猫耳を応援してやるぜ! 尖ったもんがカッコイイに決まってるからな!」

「んじゃ、俺は尻尾を応援だ! 尻尾ってエロいもんな!」


 ストレングだけでなくマットも野次馬の一員となり、シンシア論争で対立する2人を、半ば茶化すように応援しはじめた。もはやヤクモは何も言わない。

 ただし、ストレングとマットの応援に気分を害した者がいた。彼らが応援したはずの、喧嘩中の2人である。


「そういう話じゃない!」

「魅力が分からない奴らは黙ってろ!」


 カッコイイとかエロいとか、シンシア論争はそういう次元の話ではないようだ。これにはさすがのベンも苦笑い。


「怒られてしもうた。あいつら、本気なんじゃな」


 完全に、ヤクモは喧嘩を止める気が失せている。マットとストレングは怒られ、ベンは苦笑いを浮かべるだけ。ここまできてついに、ルファールが口を開いた。彼女は冷たい表情のまま、ありのままの言葉を投げかける。


「お前たち、ひとつ言わせてくれ。なぜ、シンシアが可愛いじゃダメなんだ? そこはお互い、一致してるはずだ」


 シンシア論争の全てを否定しかねないルファールの言葉。それは言っちゃダメだと、辺りは静まり返る。

 ところが喧嘩中の2人は、我が意を得たりと言わんばかりの表情をした。


「確かにそうだ! 尻尾が可愛いのは、そもそもシンシア様が可愛いからだ!」

「耳も同じだな。俺たちは、シンシア様が好きなんだ!」

「素人だ玄人だなんて言って悪かった。シンシア様の可愛いところは、シンシア様そのものだよな」

「ああ! シンシア様、最高!」


 喧嘩はあっさりと終わり、2人は肩を組んで、神を讃えるかのようにシンシアへの愛を叫んだ。野次馬は呆気にとられ、ヤクモは即座に踵を返し、疲れたように言う。


「究極の時間の無駄だった」

「殺し合いが起きるよりマシだろうが」

「ま、そうだけど」


 ストレングの言葉に納得するヤクモ。いや、納得しなければ落ち着いていられない。ヤクモは何事もなかったかのように、警備を続けた。


 酒場街の警備は一通り済ませ、ヤクモたちは風俗街に足を踏み入れる。朝の風俗街ともなると、すっきりした表情で家に帰る客と、仕事を終え外の空気でも吸おうという女性ばかり。朝日に照らされる街は、賑わう夜とは違って静かだ。

 これといった事件が起きそうな感はない。ただただ風俗街を歩くだけのヤクモたち。そんな彼女たちに、布の薄い服装に身を包む、派手な化粧をした人間の女性が近づき、声をかけた。


「ノールちゃん? ノールちゃん!」


 女性は親しげな様子で、ルファールの腕に抱きついた。この街は、過去にルファールが用心棒をしていた街。ルファールの知り合いの1人や2人は存在し、ルファールの腕に抱きついた女性も、彼女の知り合いの1人なのだ。


「ペリンか。久しぶりだな」

「相変わらず無愛想だね。聞いたよぉ。ノールちゃん、ウォレス・ファミリーに雇われてんだって?」

「ああ」

「やっぱりノールちゃんはすごいね。何十人ものクソ男の粗末な棒を切り落としただけあるよ」


 ペリンはルファールとの再会を喜び、彼女が用心棒をしていた時を懐かしんでいた。ルファールも表情は冷たいままだが、腕に抱きついたペリンを退けることなく、普通に会話をしている。

 ルファールが人間らしく会話をしていることに、ヤクモは驚いた。一方でマットたちは、ペリンとルファールの話の内容に、青ざめた顔をする。ペリンは気にせず話を続けた。


「でさ、悪いんだけど、頼みごと」

「なんだ?」

「ノールちゃんが用心棒じゃなくなってから、変な男が風俗街に住み着いちゃって。そいつ、趣味の恥辱プレーのやり方がエグすぎて数人の死者を出したんだ。だけど、力が強くて誰も止められないんだよ」


 なんとも生々しく凄惨な話。風俗街のトラブルに慣れていないヤクモは、つい顔をしかめてしまう。酔っ払ったマットたちも、こればかりは茶化すことができない。

 対してルファールは表情ひとつ変えず、いつもの冷たい表情のまま。いや、むしろ戦闘状態の表情に近い。


「その男、あいつか?」


 おもむろに指を差し、そう言ったルファール。彼女の指差した先には、大きな体で女性の腰に手を回し、ニタニタと笑うオークの男が1人。


「今日はお前を可愛がってやるよ」

「ご、ごめんなさい……今日は先客が……」

「断れ。お前は俺のもんだ」


 嫌がる女性に対し、高圧的に、そして暴力的に接するオーク。彼がペリンの言う変な男なのかという問いに、ペリンは首を縦に振った。


「ペリンの頼み、引き受けた」


 ルファールはそう言って、即座に剣を手に取り構え、踏み込む。ブリーズサポートで強化されたルファールは、数十メートルは離れていたであろうオークの目の前を一瞬で飛び抜けていった。

 オークを通り越したルファールは、剣を鞘に戻す。すると、突然オークの股間から血が噴き出し、オークは阿鼻叫喚しながら、その場にうずくまった。オークのどこが切り落とされたのかは、一目瞭然。


「うわぁ、えげつねえ。元女騎士の前じゃ、バカなことできねえな」


 思わず股間を押さえ、ルファールへの恐怖心を抱えたマット。ベンもマットの言葉に同意し、オークに憐れみと嘲笑の目を向ける。オークに困っていたペリンは、苦しむオークを見て大喜びだ。

 地面にうずくまり、血がにじむ己の股間に絶望したオークの背後を、ルファールは当たり前のように歩き、こちらに戻ってくる。果たしてルファールは良い人なのか悪い人なのか、ヤクモには分からない。ただ少なくとも、風俗街の女性たちを救ったのは事実である。


 ルファールによるオーク退治は、一瞬で終わった。ルファールが合流し、警備を続けようと歩を進めるヤクモたち。ここでヤクモは異変に気がついた。


「あれ? ストレングのおじいさんどこ行った?」


 どうにも静かだと思ったら、ストレングの姿が見当たらないのだ。一体、彼はどこに消えてしまったというのか。その答えを知っていたのは、ベンである。


「ストレングなら、どこぞの女に誘われてあの路地に消えていきおったぞ」

「元気なジジイだこと」


 齢70の、足を悪くした老人が、女性に誘われ路地に消えていく。なんとも滅茶苦茶なストレングの行動に、マットは思わず笑ってしまい、ヤクモは本日何度目かのため息をついた。

 ただし、笑っていられないのがペリンだ。彼女はストレングが消えたという路地に視線を向け、頭を抱えながら、呟くように言った。


「あの路地、ムッチィのテリトリーよ。おじいさん、騙されたわね」


 そんなペリンの言葉を聞いて、ルファールはそそくさと路地へ向かう。一体どういうことなのか、ヤクモには分からない。

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