第4章2話 爪痕

 ダイス城での会議を終えた翌日、陽が傾く頃。魔王とヤクモ、ダート、ラミーの4人は、マットとベンが操縦するスタリオンの貨物室にいた。スタリオンは目的地であるルーアイに向かい、現在は雲のかかる晴れた空を、悠々と飛行している。

 スタリオンの操縦士2人であるマットとベンは、操縦桿よりも酒瓶を強く握り、操縦よりも会話を楽しんでいた。


「そういやこの前、ジミーと久々に会ってなぁ」

「ああ、得意さんのジミーか。どうじゃった?」

「変わらずいけすかねえヤローだよ、奴は。ただ、奴の隣にデブの女がいてな。そいつがジミーの女房だってんだよ」

「はあ? ジミーの女房は、どえらいべっぴんさんじゃったろうが。太ったのか? それとも離婚して再婚したのか?」

「いや、たぶん俺が素面だっただけだ」


 くだらない会話で、笑い袋のようにお笑いしたマットとベン。楽しそうな2人であるが、魔王たちは彼らの会話など聞いていない。

 窓の外には、まばらな1本の線が、西から東まで、夕日に赤く染められた空を貫いていた。夜でもないの、天の川のような姿をした1本の線。それを見ていたヤクモが、ふと呟く。


「あれって、そういえばなんなんだろ……」


 この世界に1年半いれば、1本の線が空を貫いていることぐらいは気づく。ところが、ヤクモは長くフードをかぶり、晴れた空を眺めることなど、そうありはしなかった。ゆえに、こうして空を貫く1本の線を眺めて、ようやくそれが何であるか疑問に思ったのだ。

 彼女の疑問に答えたのは、彼女の呟きを聞いていたラミーである。ラミーは空を眺めるヤクモに顔を寄せ、ともに空を見上げ、1本の線の正体を語った。


「あれはあれは、『アルテリング』と呼ばれるものです。昔々、この世界の空には、『ヘカテ』と『アルテ』という2つの月があったんです。けれども613年前、アルテは崩壊してしまいました」

「月が崩壊!? 世界は大丈夫だったの?」

「大丈夫じゃないですよ。幸運なことにアルテの破片が世界に落ちることはほとんどなかったのですが、しばらくは気候変動で、作物や魚は不作、魔族も人間も大変苦しみました。さすがにもう、影響はほとんどないですがね」


 アルテの崩壊により闇属性の力の源が弱まり、闇属性の力が光属性と比べ弱体化した、とはラミーは言わない。一応、ヤクモは勇者だ。魔王の敵であるはずの勇者に、魔王の弱点を教えるようなことはしない。

 

「崩壊したアルテの無数の破片は、いつしか一定の軌道を描くようになりました。それをこの世界から見上げると、まるで1本の線が空に描かれたように見えるんです」

「つまり、土星の輪っかみたいなもの?」

「うん? ドセイ?」


 知らぬ単語の登場に首を傾げたラミー。他方、勇者の元いた世界を知る魔王は、ヤクモの言葉の意味が分かる。魔王はラミーの代わりに答えた。


「厳密には違うが、似たようなものだ」

「ふ~ん。天動説で平面説な世界なのに、そういう重力的なものは同じなんだ」

「ほお、貴様がそのようなことを言うほどに頭が回るとは、驚きだ」

「星の動きぐらいは知ってるから。バカにしないでくれる?」


 ヤクモは馬鹿みたいな行動をすることはあっても、無知というわけではない。それに気づいた魔王は、言葉を理解した赤ん坊を見るような目をヤクモに向けた。この目に、またも馬鹿にされたような気分のヤクモは、魔王を睨みつける。

 空を貫く1本線の正体が、崩壊したアルテの『アルテリング』であるのはラミーが説明した。しかし、ヤクモの興味はもはや1本線になく、魔王とヤクモの終わりのない睨み合いが続く。


「よお、もうそろそろルーアイが見えてくるはずだぜ」


 不毛な睨み合いを終わらせたのは、操縦室から聞こえてきたマットの、積荷・・に対するそんな報告であった。続いて、背丈の低さを補うための高い椅子から乗り出し、外を見たベンが呟く。


「じゃがの、あれがルーアイか? ルーアイ、あんなじゃったか?」


 彼が知るルーアイと、彼の目に入ってきたルーアイの姿は、あまりにかけ離れたものであった。ベンは目をこすり、再び外を見るが、景色は変わらない。

 マットの言葉に誘われ再び窓の外を覗いたヤクモ。彼女もまた、自分が想像していたルーアイと、窓の外に見えるルーアイの姿が違ったのであろう。やや外を見渡してから、自信なさげに言った。


「あれがルーアイ? なんか、すごい大きいクレーターしかないけど……」


 スタリオンから見た、雲の切れ間に広がるルーアイ。そこには、街らしきものはなく、草木すらも見当たらない。唯一見えるのは、平野に突如として現れた、円環状の山に囲われる巨大な孔――クレーターのみ。

 困惑したヤクモとは対照的に、魔王は当然と言わんばかりの表情をしていた。彼は外を見ることもなく、ヤクモの言葉を聞いただけで断言する。


「クレーターがあるということは、間違いなくルーアイだ」

「おいおい、クレーターがありゃルーアイだなんて、聞いたことねえぞ」

「ルーアイは広い草原地帯のはずじゃ。何がどうなっとるんじゃ?」


 飛行経路に間違いはなく、魔王の言葉が正しいと知りつつも、混乱するマットとベン。ヤクモは、魔王の断言に引っかかり、思ったことをそのまま口にした。


「魔王さ、あんたクレーターと関係してんでしょ」

「その通りだ。あのクレーターを作り出したのは、我であるからな」


 やはり、ごく当然のように答えた魔王。魔王からしてみれば、何を今更という話。ヤクモたちが驚いているのが、むしろ可笑しいぐらいだ。

 魔王と同じく、ルーアイのクレーターに驚かぬラミーとダート。ダートはぼうっとしたまま、ラミーは魔王に代わってクレーターの説明をはじめる。


「2年前、魔界への牽制のため、パリミル国王が独断で2万の共和国軍をルーアイに集めました。魔王様はそれを見て、宇宙まで飛び、『アルテリング』に浮かぶ巨大な岩石を、魔法を使ってルーアイに落としたんです。2万の兵は綺麗さっぱり消え去りました」

「あんだと!? んな話聞いたことねえぞ!」 

「共和国軍を独断で動かし、2万の兵士を一挙に失ったパリミル国王は、失脚を恐れてその事実を隠蔽しました。今でも共和国は、権威失墜を回避するため、隠蔽を続けています。だから、マットさんたちがクレーターを知らないのも当然です」

「なんとまあ、勝手なことじゃのう」


 説明を続けるほどに機嫌を悪くするマットとベンに、魔王は『魔王の過ちは魔界の過ちであり、決してその責任から逃れることはできない』という魔王学の教えを思い浮かべた。責任を逃れようとした王は、魔族であろうと人間であろうと嫌われるのだ。

 しかしパリミル国王は、責任から逃れることはできなかった。彼の過ちと責任は、魔王にとって都合の良いことであったのだから、魔王が彼を責任から逃しはしない。


「魔王様はルーアイの真実を知っていますからね、その真実をパリミル国王に突きつけ、彼を操り人形にし、パリミル王国と共和国に潜り込んで、人間界を牛耳ろうとしていました。計画は、ヤクモさんの登場で失敗しちゃいましたけど」

「ああ、だから魔王、ラミネイなんかにいたんだ。もう、面倒なこと考えないでよね」


 なぜ召喚されて早々、〝スタート地点〟で魔王が立ちはだかったのか。ようやく真相を知ったヤクモは、再び魔王を睨みつける。睨みつけられたところで、魔王は気にしたそぶりを見せないが、ヤクモは半ば呆れた様子で魔王に疑問をぶつけた。


「というかさ、隕石で2万人を瞬殺って、どうかしてない? まさか、アルテを崩壊させたのも魔王じゃないでしょうね?」

「買いかぶりすぎだ。我にそこまでの力はない」

「ああ、そう。ま、さすがに月まで壊しちゃうようなのが魔王じゃ強すぎ――」

「アルテを崩壊させたのは、我の祖父と57代勇者だ」

「え……ええ! うん? え? 勇者も、そのくらいの力あるの?」

「光属性と闇属性には相関関係がある。貴様に57代勇者ほどの力はない」

「でも、クレーター作ったあんたぐらいの力はあるってことでしょ。おお! さっさと魔力取り戻さないと!」


 ヤクモは、自らの封印された力が、あのクレーターを作るほどに強大なものであるのを知ると、気勢を上げ、魔王の横を素通りし操縦室へと足を運ぶ。

 

「マットさん、到着まだ?」

「まだだ。そう早くは着かねえよ」

「でもスタリオンって、一番速い飛行魔機じゃないの?」

「うるせえ! すぐに到着すっから、もうちっと我慢しやがれ」


 まるでおもちゃ屋に向かう子供のようなヤクモ。そんな彼女に、マットはエンジンの出力を上げ、ルーアイ到着までの時間をなんとか縮めようとした。

 魔王はため息をつきたい気分である。自分と対等な勇者が、おもちゃ屋に向かう子供のようなのだから。

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