第2章4話 食い逃げ

 店内では、魔族と人間の垣根を超えた10人前後の屈強な男たちが、言い争い、取っ組み合い、殴り合い、殺し合っていた。椅子は武器となって振り回され、皿は料理をぶちまけながら宙を舞い、フォークの先は料理ではない肉に突き刺さる。

 すでに血が飛び散り、とても食事をする場ではなくなってしまったレストラン。それでも魔王とヤクモは、テーブルに椅子の破片が降ってこようと、窓に食べ物が投げつけられようと、食事と会話を続行していた。


「パリミルを出てからしばらくは、どっかの国の大きな町でホームレス生活してた。なんか世界中に私の似顔絵が広まったらしくて、パリミルほど嫌われはしなかったけど、どこも私を雇ってくれなかったんだ」

「なんとも寂しいものだな」

「そうだけど、顔隠せば町ぐらい歩けるし、石を投げられないだけマシだったから」


 ヤクモは伏し目がちな表情をし、それが当時の彼女の辛さを物語る。働けずとも、まともな生活ができずとも、石を投げられることなく街を歩けるだけでマシであったなど、あまりに過酷な話。それでも魔王は、ヤクモに同情することなく、話を聞いていた。

 目玉にナイフを刺されたゴブリンの男が、すぐ側の床をもがいているが、魔王はシームルグ肉を頬張り、ヤクモは麺を啜り、話の続きをする。ヤクモの表情は、徐々に呆れたようなものに変わっていった。


「数ヶ月ぐらい経って、共和国軍が私を殺しにきた。勇者が1人しか召喚できないことが分かって、私が死なない限り新しい勇者を召喚できないんだってさ。だから、私を殺して新しい勇者を召喚するとなんとか言ってた」

「勇者の召喚に人数制限があったのか。どうにも今まで、勇者が1人しかいなかったはずだ。今回のような事態がなければ、分からなかった話ぞ」


 苦笑しながらコップを手に取り、水を飲む魔王。コップのあった場所には皿が飛び込み、誰かの食べ残しを豪快にぶちまけた。テーブルに肘をついたヤクモは、窓の外に視線を向けながら、愚痴を言う。


「新しいことが分かったんだから、共和国は私に感謝すれば良いのに」


 椅子が破壊される音、ガラスの割れる音、悲鳴、断末魔を聞き流しながら、勇者はため息をつく。水を飲み終えた魔王は、そんな勇者の愚痴に賛同し、共和国を笑った。


「戦争が再開されたのだから、共和国は貴様が勇者でも我慢すべきだ。それができぬとは、共和国も存外に頭が堅い」

「でも、いまさら『助けて~』なんて言われても、助ける気しない」

「であろうな」


 ウォレスのソルジャーがほぼ全滅しかける中、共和国への愚痴という形で、魔王とヤクモの意見が一致した。魔王と勇者の意見が一致するとは、不思議なものである。

 ここで、赤い服を着た数人の人影と、二足歩行をする1匹の猫が店内になだれ込み、その喧騒で2人の会話は一時遮断した。2人の会話が再開されるのは、猫が両手に剣を持ち、メイテュンのソルジャー数人の首を胴体から斬り落としてからだ。


「共和国軍に襲われる頻度は1週間に1度ぐらい。襲ってきたやつは全員殺せたから良いけど、何ヶ月もそんな生活してると、だんだん面倒くさくなってきちゃって。だから逃亡中にどっかで聞いた、罪人だらけの島ってのを目指そうと思ったの」

「それが、ここケーレスであったと」

「うん。罪人ばっかってことは、今の私にお似合いの島だなって。なんとか港町まで行って、そこで船に乗って、でもお金を全部騙し取られて、無一文でケーレスに到着。とりあえずお金でもせびってようと思ったら、あんたがいた」


 ラミネイの戦いから罪人扱いされ、追放され、石を投げられ、共和国軍に襲われ、彼らを殺したヤクモの1年半が、ついに今に繋がった。

 もちろん、ヤクモは1年半の出来事全てを語ったわけではない。実際には、もっと多くの苦労があったことだろう。それでも魔王は、ヤクモの1年半がどれほどに過酷なものであったのか、想像ぐらいはできる。


 2人はほぼ同時に皿を持ち上げ、残り少なくなった料理を口にかっこんだ。この間、空きができたテーブルには、喉にフォークが刺さり絶命したグリフォン族の男が倒れこむ。しかし2人は気にせず、料理を食べ尽くした皿を男の死体の上に置いた。

 空の皿が置かれた、目を見開くグリフォン族の男の死体が乗っかるテーブルを挟み、魔王はヤクモに問いかける。


「貴様、もはや我を殺す気は無いのか?」


 ヤクモが本気になれば、丸腰で地べたに転がっていた魔王を殺すことができた。にもかかわらず、彼女は魔王の誘いに乗り、こうして向き合って食事をしている。ラミネイで見せた明確な殺意は、今のヤクモからは感じられないのだ。

 魔王の問いに、ヤクモは水を飲みながら、視線を外し、頬杖をして、腹から言葉を引っ張り上げるようにして答える。


「なんかもう、これだけ嫌われるとやる気が出なくなっちゃってさ。どうせ知らない世界だし、魔王とか勇者とか、どうでも良いかなあ……って」


 1年半の経験から導き出された、ヤクモの諦めの感情。魔王の前にいるのは、勇者ではなく、ある日突然知らない世界に飛ばされ、魔王と戦い、それがゆえに人間界から追い出されてしまった、頬杖をする哀れな1人の女性なのだ。

 自らと対等な人間、宿敵となりうる存在の、予想だにもしなかった姿に、魔王は再び小さく笑った。そして自分を見直し、思う。世界から追放され流れ着いた先で浮浪者となった2人は、ある意味で、今でも対等な立ち位置だと。


 2人の間にしばしの沈黙が訪れた。

 一方で2人の周りでは、相も変わらず殺し合いが続いている。先ほど乱入してきた赤い服の4人は、メイテュンのソルジャーを次々と殺害し、服装をさらに赤く塗りたくっていた。

 剣を持つ二足歩行の猫に至っては、なんとメイテュンのボスに斬りかかる。猫はメイテュンのボスの足である6匹の犬の首すべてを、そしてボス本人の首までをも床に落とし、彼女の胴体を鮮血の噴水に変えてしまった。


「そろそろ店を出よう。さもないと、タダ飯ではなくなってしまう」


 沈黙を破った魔王の言葉は、そんなものであった。メイテュンのボスが死に、彼女のソルジャーたちも全滅寸前。殺し合いが終わってしまえば、混乱の乗じて店を抜け出すというタダ飯への道は閉ざされてしまうのである。

 

「そうね」


 ヤクモも魔王の言葉に賛同し、2人はなるべく目立たぬよう、おもむろに立ち上がった。息のあるメイテュンのソルジャーは残り1人。彼の首が落ちるまでは、店員は物陰に隠れて動かない。チャンスは今だけだ。

 フードで顔を隠し、存在感を消し、すたすたと店の出入り口に向かう魔王とヤクモ。タダ飯のためのなんとも虚しい行動であるが、金が無い2人は必死であった。


 扉はすぐそこ。あとは取っ手に手をかけ、店を出て、街に消える。タダ飯の成功は目前。


「そこのお2人さん。ちょっと待ってほしいニャ」


 店を出る直前に話しかけられてしまった魔王とヤクモ。マフィアも恐れなかった2人は、背筋を凍らせ、ぎこちなく振り返る。

 

 振り返るとそこには、ソファとソファのわずかな隙間から出てきて、魔王とヤクモにぱっちりとした目を向ける少女がいた。ウォレスのドンの側にいた、あの可憐な少女だ。

 青い服にスカート姿の少女だが、先ほどの殺し合いから逃れる最中に帽子を落としたらしい。彼女の長い茶髪の上に、ぴくりと動く猫耳が姿を現していた。よく見ると、彼女は猫の尻尾も持ち、それをゆらゆらと左右に振っている。


「お2人さんが、あの魔王さんと、あの勇者さんってのは、本当なのニャ?」


 タダ飯のことばかり考えていた魔王とヤクモは、少女の想定外の質問に、一瞬だけたじろいでしまう。だがすぐに、ヤクモが口を開いた。


「私たちの話、聞いてたの?」

「ぬ、盗み聞きするつもりはニャかったニャ! ただ、面白い話だったから、つい……」


 魔王とヤクモから少女は目をそらし、猫耳を折りたたむ。彼女に嘘をつく必要はないと判断した魔王は、フードを外し己の顔を隠すことなく、言った。


「お主の質問に答えよう。我が魔王であり、こやつが勇者であるのは、紛れもない真実だ」


 どうせ信じてはくれない、という思いも、魔王はどこか抱いていた。それは勇者も同じ。ところが少女は、そんな2人の思いとは裏腹に、再び魔王と勇者の顔をはっきりと見て、こんなことを言い出す。


「だったら、お願いがあるニャ! 死んじゃったパパに変わって、ケーレス領主を魔王さんと勇者さんに引き継いでほしいのニャ!」


 ほぼほぼ、少女の言っていることの意味が分からなかった魔王と勇者。もはや2人の頭からは、タダ飯という考えは半ば消えかけてしまっていた。

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