エピローグ

時過ぎ去りて(1)

 後に『聖婚』と呼ばれた、カイ・ルドウとチャム・ナトロエンの婚礼の儀から二十の時が流れ去っていた。


 大陸は大きく様変わりしたようで、人々の暮らしはそう変わらない。等しく時間という流れに身を任せていた。


   ◇      ◇      ◇


 アルバート・メナ・ホルツレインは退位して息子のクラインにホルツレイン国王の座を渡している。多少の発言力は残しながらも悠々自適な隠居生活を送っているが、大妃となったニケアとともにいる事が増えた為、酒量が増えたと客が来ると零す陽々ひびを送っていた。

 客の側にしてみれば、惚気以外のなにものでもなく聞き流されているが。


 国王クライン・ゼム・ホルツレインは当初、気負いからの失策も僅かながら見られたものの、大きな問題もなく玉座を守っている。王妃のエレノアや臣下の言葉にも耳を傾け、王国をよく治めていた。

 何より、王太子となったゼインが目覚ましい成長を見せており、その直言も容れる柔和な王として人々に愛されていた。


 そのゼインも十八の時に、以前より申し入れのあった通りフリギアのテーセラント公爵家のミルティリアを妻に迎えている。三十になった今では四児の父であり、広大な王太子領の領主でもある。

 慣例に従い、の四分の一は西の王太子府に詰めているが、英明なる領主と誉れ高く、次代の王として国民に期待を抱かせていた。


 最も話題をさらったのは姉のセイナであろうか?

 周辺国から幾つかの結婚話はありはしたが、彼女は数多く運営している国内事業の統括者であり、他国へと出すのを王国も困難と考えていた。

 そして、セイナが選んだのが、彼女付きの騎士であったアキュアルである。獣人騎士を夫に迎えるのに御前会議は紛糾するも、彼女は頑として譲らず結婚にまで持ち込んだのだ。

 ホルムトでは、セイナがアキュアルの背中に稀代の英雄の影を見たのではないかともっぱらの噂である。真偽のほどは定かではないものの、それを模した演劇が街では人気を博していた。


 王子チェインの姿はもう国内にはない。

 十六の成人を迎えた時には既に比類なき剣士として名を馳せており、王国の剣として期待を寄せられていた。

 ところが彼に惚れ込んだ姫がいた。メルクトゥー女王クエンタ・メルクトルと王夫ラシュアンの間に産まれたフィネシア姫である。

 中隔地方一の美姫とされる彼女は、修行の折に立ち寄ったチェインに一目惚れ。執心のフィネシアに押しに押されたチェインは彼女の夫としてメルクトゥーへと渡った。

 その傍らには請われて同行したリーガンモーツ男爵家のスレイグの姿もあり、王国は武の流出に頭を抱える。


 そうは言えど、ホルツレインも力を蓄えている。

 そのリーガンモーツ家の当主ハインツは今や男爵位を賜り近衛騎士総監の立場に在る。同じく獣人騎士総監として男爵位を得たアサルト・スーチと肩を並べ、統率のハインツ、武威のアサルトと王国の双璧を成していた。


 戦力的にも充実し、獣人騎士団二万は諸国に敵無しとまで言われるほど。五つの団で構成される騎士団はそれぞれの団長の下、鍛錬を欠かさず常に力を保っていた。

 ただ、内の一人は団員に「にゃ団長」と呼ばれ親しまれている。それが本人の耳に入ると怒り出すので公には広まってはいなかったが。


 政務大臣グラウド・アセッドゴーンは健在である。何度か引退をほのめかすも国王クラインは当然首を縦に振らない。若い時ほど精力的な政務は無理になっているが、息子のアガートも成長してよく助け、未だ王国の知恵袋として地位は揺らぎそうになかった。


 その王国で異彩を放っているのは、無位のまま財務大臣に任命されたベイスンの存在だ。貴族社会では非常に扱い辛い立場なのだが、あまりに有能な故に彼を外せないでいる。

 早い話、クラインが速やかに爵位を賜れば解消する問題なのだが、それを許す為の理由に困っている。大きな成果は挙げていない。地味にこつこつと積み重ねた成果が王国の国庫に莫大な貢献をしているだけなので思い切った決断が出来ないのだ。

 国王は彼をつついて何か出せと急くが、控えめなベイスンはただ淡々と職務をこなしている。文官貴族にしてみれば面白くない状況ながらも、彼が重要な位置を占めるルドウ基金への太い繋がりを持っているので口出しできないでいた。


 ルドウ基金はロアンザが代表権を持ち、カイは相談役に退いていた。彼女の傍らではイルメイラが辣腕を振るっているが、孤児院卒のいわゆるルドウの子供達が基金入りし、極めて効率的な事業活動を行い、今やホルツレインに留まらず、フリギアやメルクトゥーを始めとした中隔三国へと勢力圏を広げていた。

 反転リングはカイが廉価化を推し進めたので広く普及し、大陸の流通を支えるも利益はそれほどでもなくなっている。しかし、次々と繰り出す事業にほとんど外れは無く、巨大基金へと成長の一途を辿った。

 その一部はゼプル女王国へと供出され、大陸の秩序維持への貢献度も高く、批判的な意見は形を潜めて讃えられるほうが多かった。


 オーリー・バーデンは旅の途上にある。

 バーデン商会は彼の弟子にたなを譲るも、今も御用商会の一員である。しかし、タニアを見初めた男爵家の嫡男に嫁入りさせた後は徐々に会頭から身を引いていき、今は小さな商いをする隊商に戻って妻のアリサと高性能の馬車で旅暮らしを楽しんでいた。


 稀にその傍で護衛を務める黒髪の青年の姿が見られるのは噂にはなっていない。


   ◇      ◇      ◇


 フリギアでは国王サルーム・メテン・フリグネルの御代が続いている。


 王国首脳部の顔触れにも大きな変化が見られているが、若くして政務大臣に就任したバルトロはその位に残っている。一時は、成長して働き盛りとなったナーツェンも控えて、テーセラント公爵家の政務職は揺るぎないと思われていた。ところがそのナーツェンがサルームの絶大なる信頼を得、空位であった宰相職に任じられるに至って状況は一変する。

 文官貴族はこれ幸いと政務大臣の位を狙い始めるが、バルトロもまだ働き盛りと言える歳である。未だ水面下の動きでしかない。


 バルトロ本人は、長きに渡る激務に加え後継の成長に満足して退任を匂わせもするが、その後継である宰相ナーツェンが彼の退任を決して許さないのは皮肉だと言えるかもしれない。自分で育てた息子が自分を縛るのだから文句も言えず、ただ苦笑いを浮かべるのだった。


 宰相ナーツェンは、隣国クナップバーデン総領国とも緊密な国交を保ち、現総領ロドマン・ガウシーとも懇意にして国策を図る。

 更に彼はホルツレイン王太子ゼインとも深い繋がりを持ち、フリギアを繁栄の道へと導こうと邁進していた。


 ナーツェンとゼインの友情は深まるばかりで、今でも数陽すうじつに一度は遠話器で話していると言う。


   ◇      ◇      ◇


 ホルツレイン北辺は大きく様変わりしたほうだと言えよう。


 エレインごうは都市エレインへと成長し、街壁を持つに至っている。北辺爵レレム・エレインは領主として各獣人郷の運営を保護する為に尽力し、交易の安定化に大きく貢献し、王国での発言力は飛躍的に上がっている。


 赤燐宮の城下といった色合いも強い北辺領は、王国でも重要な位置へと繰り上がっている。大人になった息子のアムレが彼女をよく助け、統治でも重い役割を務めるようになっていた。いずれは彼が北辺爵を受け継ぎ、立派な統治者になると期待されている。


 当のアムレは、黒髪の青年が訪れると傍から離れないのは玉に瑕であった。

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