戦いの果て

 彼の周囲には近衛騎士やあいの死体が累々と横たわっている。その中心で魔闘拳士はろくに返り血も浴びないまま泰然と佇んでいた。


 近付くディムザを振り返る。その視線は彼の後ろを見つめている。

 トゥリオは立ち上がろうとしているがもう戦えそうにはない。手出し無用と腕を振って合図をしたし、属性セネルが二羽寄り添って警戒しているから心配ないだろう。


「次はお前だ、カイ」

 そう告げるが、眩暈に襲われて両膝から崩れてしまう。傷は癒したが出血が多過ぎた。


(まだだ。こいつを倒せば全て終わる。もう少しだけ持ってくれ、俺の身体よ)

 彼らの帰趨を見守る兵士の期待を背中に感じれば戦い抜くのも可能だと思う。


起動アクティベイト

 しかし、無情にも何らかの魔法が使われるようだ。確かに青年は加減しないと言っている。


神々の領域第一段階ラグナブースター・シングル

 無骨なガントレットの拳甲の部分に三つの光点が生まれ、花開くように鋭角突起を描いた後に円弧を形作る。

 それと同時にカイの身体から驚くほどの魔力が溢れ出した。


(な……、これほどの力を隠し持っていたのか!)

 他に効果が発現しないところを見ると身体強化の重複魔法だ。漏れ出る魔力量だけで身体強化の強度は自分を上回っているものと分かる。

(これで……、これで最後なんだ。何とか絞り出せ! 最後の一滴まで使い切れ! この男を倒せば俺の夢は叶ったようなものなんだ!)


第二段階ダブル

 カイの顔、鼻の両脇に光点が宿り、頬を縁取るように紋様を描くと喉のほうへ流れていく。

 更に比較にならない膨大な量の魔力が溢れ出し、漲る闘気が威圧感を増してくる。


(何だと!? こ、これが神ほふる者の力なのか!)

 あまりに大きな隔たりを感じる。この時になって、初めて彼が常に本気ではないと言われてきた意味を理解した。万全の状態でも勝てる気がしない。

(駄目だ! 戦うどころじゃない! ここは余力全てを使って逃げ出せ! 帝国の全ての力を結集して立ち向かうんだ! 何だったら神至会ジギア・ラナンの力を借りてもいい! くだらない事を気にしていられないほどの脅威だ! 彼を放置すれば確実に帝国は負ける!)


第三段階トリプル

 ガントレットと同様に、彼らが身に付ける物に刻まれている紋章が胸装ブレストアーマーの中央に輝線で浮かび上がる。

 魔力が爆発した。人の身で抗えないような存在が彼を見下ろしてきている。


(……何だよ。何が神屠る者だ。神そのものじゃないか)

 ディムザが想像していたような、人の領域を超えて神に迫るほどの力ある者などではなかった。それでやっと理解する。トゥリオが自分に斬られれば戦士として死ねると言った意味に。

(ああ、俺は罪人だ。こんな存在の前では裁かれるだけの罪人に過ぎない。そういう事か……)

 呆然と見上げていた頭が自然と垂れる。許しを請うかのように。


「選ぶといい」

 彼から視線を外さないまま、黒瞳が問い掛けてくる。

「自ら滅びるか、国を滅ぼすか」

 カイはあくまで抗うのなら国ごと滅ぼすと言っている。

 全てを焼くと言っているのではないだろう。西部はルレイフィアの興す新たな国が生まれ、あとはラムレキアとコウトギ、ラルカスタン辺りに分割されるか、ゼプル女王国が直轄統治するかのどちらかか?

 何にせよロードナック帝国という国はここより歴史から消え去ってしまう。ディムザの名は帝国を滅ぼした皇帝として刻まれる。


(それだけは耐えられない)


 いざとなると手が震える。それでも彼を皇帝と頂き、付き従ってきた者達を亡国の民とするのは忍びない。それは裏切りだ。

 取り出したナイフの切っ先が冷たく輝いている。主とまで呼ばれた刃を自分の胸の中央に向ける。一つ大きく息を吐き、思いっ切り突き入れた。苦鳴一つ上げないのは最後の矜持だ。


(悪かったな、トゥリオ。あれは最後の友情だったんだな。お前に斬られりゃ良かった。……まだその気があれば、こんな馬鹿な男が居たってのを憶えといてくれよ)

 願いとともに意識が暗闇の中に落ちていく。


 最期まで気に掛けてくれた友人の思いに喜びを感じながらディムザは逝った。


   ◇      ◇      ◇


 カイは彼が事切れたのを見届けると歩み寄り、仰向けに寝かせると涙の痕を拭く。その涙が悔しさからのものなのか、別の何かなのかは窺い知れない。それでも大勢に曝して良いものだとは思えなかった。


 まだ交戦中の筈だが誰一人として寄って来ない。神々の領域ラグナブースターを発動中の彼に近付ける度胸のある人物はそうは居ないだろう。

 しかし、一人だけが近付いてくる。両脇をパープルとブラックに支えられながら、覚束ない足取りでやってきたのは赤毛の美丈夫である。


「何でだよぉ」

 よろよろと歩み寄ると、這うようにディムザの身体に縋る。

「何でお前、こんな死に方しなきゃいけなかったんだよぉ」

 トゥリオの目から大粒の涙が流れ落ち、体温が失われていく身体を濡らす。

「なぁ、必ず神至会ジギア・ラナンの奴らを追放して、帝国を良くするんだろう? 国内を立て直して、西方に負けないくらい豊かにするんだろう? 落ち着いたら見に来て欲しいんだろう? その時はお互いぶっ倒れるまで飲むんだろう? お前、そう手紙に書いてあったじゃねえか!? どうして死ななきゃいけなかったんだよぉ! 男と男の約束なんだから守れよ!」

 大男は拳を叩きつけながら訴える。


(手紙のやり取りをしてたんだ)

 それはカイも知らない事実だった。

(彼の目指す先を知っていたから、あんなに肩入れしてたのか)


 少しはこちらの意図も流していたのだろう。それを裏切りとは思わない。

 秩序を求める彼は大きな戦争を避けられるのなら避けたかっただろうし、こんな最悪の事態を回避できるなら回避したかったはず。そんな思いを抱くトゥリオを咎め立てなどしない。


「なあ、弔ってもいいか?」

 罪を咎める思いが強いなら普通に弔うのも認めないと思ったのだろうか?

「いいよ。死人に鞭打ったりしない」

「済まねえ」

 彼はナイフを取り出すと、友人の髪を一房切り取る。


「帝国の民よ、聞きなさい」

 その時、拡声の魔法を通してルレイフィアの声が戦場に響き渡る。

「皆が忠を捧げるべき相手は居なくなりました。まずは戦闘を停止しなさい。この場はわたくし、ルレイフィア・ロードナックが預かります。帝国正規軍兵士は直ちに武装を放棄して指示に従いなさい。我らは抗わぬ者に危害は加えません」


 停戦にせよ、終戦の儀にせよ、戦場での司令官の仕事は国主の代行というのが名目上の話だ。今回はその国主が失われている。ディムザは妃も嫡子も得ていない。代わりに担ぐ対象が存在しない。

 時間が経てば第一皇女なり妾腹の男児なり、或いはホルジアの嫡子なりを立ててくるかもしれないが、それがはっきりとしない限りは戦場での最高位者の三将でさえ誰かの代行を務めるのは不可能。

 しかも状況的には明らかに敗戦である。ここでは他方の司令官である第二皇女に従い、降伏して武装解除に応じるしかない。


 勧告に従い兵士達は武器を放り出し、倒れ伏すか座り込むかしている。この後はただ静かに戦場処理が行われるだけだった。


   ◇      ◇      ◇


 暗くなり夜の黄盆つきが出る。トゥリオは一人、友の遺髪を焼く。その煙が天へと立ち昇っていく。見上げる目は赤く腫れ、また涙が流れ始める。


(辛いぜ、ディムザ。お前にやってやれるのはこれが精一杯だった。無力な俺をそこから見ててくれよ。そんで、いつか酒を酌み交わせるが来るまで待っててくれ)


「じゃあな!」


 彼は袖で涙を拭うと、大声で別れを口にした。

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