彼女の足取り
「やったぜ!」
両腕を振り上げて歓声を上げるトゥリオ。
その横でフィノも涙を流していたが、大男の上着を掴むと引っ張って扉を開ける。
「今は二人にしてあげましょう」
小部屋の外まで引っ張り出してから告げる。
「お、ああ、そうだな! それがいい!」
「特別に女の子部屋にご招待してあげますぅ」
「うをっ!」
驚く赤毛の美丈夫。
平らにした場所で小部屋リングから展開した女の子部屋に連れ入ると、彼は独特の甘やかな香りにどぎまぎしている。
嬉しさもともなって、フィノは満面の笑みでその様子を眺めていた。
◇ ◇ ◇
彼女の手を握って放さない青年は、恨めしそうな目で見ている。大袈裟な振りではなく、これほどまでに感情露わにしてくる彼は久しぶりな気がした。
「心配で心配で仕方なかったんだよ?」
不平混じりの台詞がチャムの耳に届く。
「一人でどこかに行ってしまうなんて」
「ん……、その、ね……」
「リアム様の事は聞いた」
やはり、という思いが先に立つ。彼女の止むに止まれぬ事情など、本国の誰かに訊けばおのずと答えは返ってくる。彼がその程度の事に気付かない訳がない。
「それでも相談して欲しかった」
切実な強い思いが握力と体温で伝わってくる。
「ごめんなさい。何度か言おうと思った事は有ったんだけど、あなたはあまりに多くを背負っているから言い出せなくて」
「君のほうが優先に決まってる」
「それが余計に……、ううん、忘れて」
重荷だなんて言ってはいけない。
「君の何もかもを守りたいと思うのは驕りかな?」
「違うの。私が重過ぎる女なのよ」
「知っていると思うけど、僕は案外力持ちだよ?」
頷いて微笑みを贈った。
すると、急にカイは彼女を引き寄せ抱き締める。腕が不規則に震えるのは懸命に力加減をしているからだろう。内に渦巻く激情の証明だった。
「つまらない油断で君を失ってしまうかと思って、怖ろしくて怖ろしくて堪らなかった。自分を責める気持ちは解らなくもないけど、もう勝手に居なくならないで欲しい」
荒い息が首元をくすぐる。
「本当にごめんなさい。あなたにそんな思いまでさせて守るような願いじゃないわ」
「僕に任せて」
黒髪に指を絡めて、頬を合わせる。想いは伝わるはず。
顔を離したカイは、情熱的に麗人の唇を奪った。
チャムも両手で頭を掻き抱いて放さない。長い長い口付けが二人の心の内のわだかまりを溶かし、思いを一つにさせていく。これからは苦しみもともにしていこうと誓う気持ちは一緒だと思えた。
「フィノ達は?」
心が満ち足りて、周りを気にする余裕が出てきた。
「さっき出て行ったね。もう一つの小部屋リングを使ったかな?」
「いけない。野獣の檻に子兎を放り込んだようなものよ」
リドもキルケも心配そうにチャムに寄り添っているので完全に二人っきりだ。
「僕的にはもう少し余韻を味わいたいところだけど、仕方ないから呼び戻そうか」
名残惜しそうに身体を放した。
◇ ◇ ◇
何をしても目覚めなかったのがよほど心配だったのか、白い子猫はチャムのお腹にしがみついて離れず、撫でられるままに気持ちよさそうにしている。
フィノに椅子を譲り、男二人はベッドに腰掛けて何があったのかを聞き始めた。
同じ店内で別々に品を見ていたチャムの隣に一人の女性が立つと、二つ折りの皮紙が差し出される。訝しげにそちらを見ると、女性は髪を掻き上げた。
その耳からは細長い紫色の金属板。何を意味するかは察しろとばかりに揺らしてみせる。
(鉢金を模している。
彼女はそう解した。
静かに頷いて受け取ると女性は音も立てずに去っていく。チャムも店内のように人気の多い、しかもほぼ女性が占める場所で戦闘に及びたくはなかった。
『会いたいわ、チャム。誰にも言わずに教会に来て。 リアム』
周囲を気にしつつ確認すると、そう書かれている。
(どうして
当然の疑問しか浮かばない。ただ、納得出来る部分もある。
少し前に彼女は或る報告を受けていた。それはあの帝国の伝送装置の解析結果だ。
報告内容によると、あれの改造には冒険者徽章書換装置の構造に詳しい人物の助言が必要だとある。それが可能な人々となるとかなり限られてくるのは間違いない。
その中にリアムの名は挙げられる。当然ゼプルの魔法技術に精通し、技術顧問として技法局に出入りし、助言さえ行っていた彼女であれば難しい事ではない。
(リアム叔母様は裏切ってしまったの? 何がそうさせてしまったの? 人族社会と比較してみてゼプルの実情に絶望した? ううん、叔母様はそんな人じゃない)
彼女が
(考えても分からない。会って話してみないと。でも、危険な香りがする。カイに相談すべきだけど、それだと叔母様は顔を見せて下さらないかも。それにこれはゼプルの問題)
本当に裏切って人族に協力しているのだとしたら、それは
(会いに行こう。説得しなきゃ。聞き入れて下さらなかったら私は……)
掟を守らなくてはならない。
フィノを先に帰したチャムは足早にジギリスタ教会に向かった。
教会内に立ち入ると一人の司祭が彼女に近付いてくる。何も言わず行き先を示すように手で合図していた。
「この先に叔母様……、彼女は居るの?」
参拝の間から裏に通じる廊下に入ってから司祭に問い掛ける。
「どうしてジギリスタ教会なんかに協力しているの?」
「私は何も存じ上げておりません。ただ、青い髪の方が訪れた時はこちらに案内するように、としか聞いていないのです。ご勘弁を」
チャムの不躾な物言いにも反応しない。挑発は不発に終わった。
「あなたに指示したのは誰?」
「申し上げられません」
取り付く島もない。ただし、司祭に命じられる立場の人間は限られるだろう。
「そんな不誠実でいて御神の声が聞こえると思っているの? 私が誰かくらい聞いているんでしょ?」
「お方様とお話しさせていただくお許しがありません。どうかこちらへ」
声音には動揺の片鱗が含まれていたが、目的地に到着すると言われてしまう。時間が足りないし、彼女は何も知らないとしか思えない。
「悪かったわね」
「いえ」
司祭は一つの扉を示すと、深々とお辞儀をして去ってしまった。
扉を開けると室内には椅子が一脚。そして、そこにはチャムが探し求めていた人物が掛けていた。
「リアム叔母様!」
質素なローブに身を包んだ青髪の女性は、声に反応して立ち上がると彼女に向けて微笑み掛ける。
「会いたかったわ、チャム。こちらへ」
「え?」
何の感動もなく、どこか平坦な口調で手招きする。
「チャム、この方々にあなたの知っている全てをお話ししなさい。『
リアムの後ろに五名のローブが居並ぶ。彼らを示していた。
「どうして『神使の一族』なんて言うの、叔母様? 変よ?」
ゼプルは自分達をそう呼んだりはしない。
「チャム、この方々にあなたの知っている全てをお話ししなさい。し……」
「気を確かに持って、リアム叔母様! 何で
麗人が駆け寄って揺すると言葉を詰まらせる。続いて小さく口笛のような音が聞こえた。
リアムはチャムに向けて手を伸ばす。その胸元に指を走らせ始めた。
「そんな! この光じゅ……、つ……」
意識が遠退く。力が抜けて縋るように膝から崩れていく。
叔母が彼女に施したのは催眠の光述だった。
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