貴族の本懐

 戦っているのはカイと暁光立志団だけではない。要するに彼らは囮である。中陣の鼻先にぶら下げられた餌であり、引き寄せておくのがその役割なのだ。


「戦団、前進用意!」


 青年が別に任務に当たっているので、全体指揮はチャムに委任されている。とは言え、時期や動き方は彼から聞いているし、状況に応じての対処も頭に入っている。

 彼女のやる事は、それを命令の形にして伝える事と、想定外の事態に於いて決断を下す事である。後者に関しては必要な場面があるかどうかも分からないし、あったとしても想定と大きく外れず微調整程度で済むと思っている。


 今回の陣形はごく正統派なもの。

 右前陣に彼女のいるゼルガ戦隊。並ぶ左前陣にハモロ戦隊。総勢一万が正面に配されている。その後ろにロイン戦隊が遊撃の機を窺うように控えているが、今回に関しては役割が少し違っていた。


 敵から見て、非常に素早い展開を見せる獣人戦団は脅威に感じるだろう。まだ遠いと思っていた敵がするすると動き、僅かの後には眼前にいるのである。

 ゆったりとした動きから突如として展開した戦団に対応が間に合わず、敵左翼陣は混乱する。再編成はされているが、先陽せんじつずっと回転するように走り続ける戦隊に削り取られ続ける苦境を味わった者も多い。その恐怖は心の奥に染み付いてしまっている。それは初撃に耐え切れず腰砕けになる形で表れ、一気に劣勢に陥る状況に推移していった。


(これで終わりなら立ち直れる転機を見出せたかもしれないけど)

 恐怖を見越した突撃だけではないのをチャムは知っている。


 少し後方に位置して、未だ剣を抜かずに戦況を見守っていた彼女は、両腕を上に持ち上げてハンドサインを送る。

 それと同時に両戦隊が割れるように両側に展開する。分断の好機と感じて雪崩れ込もうとした領兵はそこで絶望というものを知った。

 そこに駆け込んでくるのは遊撃を旨とする戦隊。その絶望は色とりどりの属性セネルという形を取って迫る。当然、嘴が開かれ、魔法が発現しかけていた。

 前会戦で大きく魔法戦力を削がれた領軍側には十分な魔法防御が敷かれていない。残りの乏しい魔法戦力も、ほとんどが本陣を守る為に、中陣後方に配置されている。現状の両翼陣は魔法に対して極めて薄い守りしか持ち得ていなかった。


「掃射開始!」

 青髪の美貌は無情にも攻撃の指示を下した。


 魔法はたたらを踏んで停止する兵士達を飲み込んでいく。いち早く察して、背中を向けた者も飲み込まれる。そして、少し後方で事情の飲み込めていない者も平等に討ち倒していった。


 最後にフィノの広範囲魔法を食らって崩壊しかけている左翼陣に対して、戦団前衛の二隊は中央の穴を閉じて前進を始める。あとは左翼陣や救援に入った中陣が完全に崩壊するまでこの繰り返しである。

 獣人戦団が前進する先には、大地に転がって呻き苦しむ戦闘不能の兵士が累々と残されていく。


「左転進!」

 その状況を見て中陣の後方部隊も左翼への増援に動いた。側撃を嫌ったチャムはその戦力へも同様の攻撃を行うべく転進させる。


 中陣の状況に業を煮やした敵右翼陣は前方への展開を始めていたので分厚い敵に当たる心配はない。反復攻撃を繰り返しつつ、獣人戦団は半分の戦力で敵陣を切り崩していった。

 最後には散発的な特攻を掛けてくる部隊も散見されたが、集団で動く一万三千の敵ではない。あらかた抵抗心を奪ったと思った麗人はその指を本陣に向けて前進を指示した。


(あー、昨陽きのう手の届かなかったところへやっと手が届く)

 彼女は少々感慨深く思っている。


 とは言え、本陣は最強の精鋭部隊が守っているのは間違いない。千余りの敵とは言え、嘗めて掛かれば手痛いしっぺ返しが有るだろう。


(前に出たい。この位置で指揮を執り続ければ犠牲者が増えるって解っているのに前に行けないって辛い)

 カイもここしばらくはそんな思いを抱いて全体を見ていたのかと思うと申し訳ない気分になる。

(今は我慢。頼むわよ)

 彼女の気持ちを察したのかもしれない。前衛へ向けて大きく腕を振るトゥリオに、行っていいというように前を指差して見せた。


「この上は我が精鋭千で敵を粉砕して見せよ!」

 武人だけあって、大音声がチャムのところまで響いてきた。


(狙撃してやろうかしら?)

 そんな思いがよぎるが、この戦いの決着は獣人達が自分で着けたほうが良いと青年が言っていた。

(はーあ、なかなか心を蝕まれる役割よねぇ、司令官って)

 今更ながら思い知る気分。これなら目の前の命が掛かっていないだけ女王のほうが楽かもしれない。


「おりゃあ!」

 掛け声とともにトゥリオが本陣に突進し、それだけで何名かは弾き飛ばされる。デュクセラ辺境伯も開いた口が塞がらず、叱咤の声が出てこない。おそらくこちらの精鋭戦力をカイ一人だと思っていたのだろう。

 腕を磨き続けてきた今のトゥリオなら、重強化ブースター無しでもちょっと腕に自信がある程度の兵では歯が立つまい。


 本陣は領主の男の思い虚しく容易に崩壊の一途を辿った。


   ◇      ◇      ◇


(なぜだ? なぜこうまで追い込まれている? 何か間違えたとでも言うのか?)

 デュクセラ辺境伯オルダーンの胸中は疑問に埋め尽くされている。


 警護の兵も目を血走らせた獣人兵に斬り殺されていく。今や彼は丸裸にされたかのような状況だった。


「貴様ら、何が気に入らん! 何の差別なく扱ってきたではないか!? それなのに貴様らは大事な後継であったレイオットを討った。それが環境を悪くして勝手に逃げ出しただけではないか! 今になって剣を向けるか?」

 オルダーンは自ら剣を抜きつつ、威圧するように吠えて意地を見せようとする。

「差別していなかっただと? それこそがまやかしだ!」

 狸の獣人が素早く駆け込むと領主の剣を払って自らの剣をひるがえす。

「ならば、なぜ我らが通り抜けようとしただけでこれほどの大軍を揃えた!」

「そうだ! 我らは救援隊だ! 領主に牙を剥こうだなんて考えてもいなかった!」

「それは貴様らが軍勢と化したからだ! 領民を守らねばならん!」

 彼らの気迫に対してオルダーンは弁明に近い言になってしまう。

「嘘を吐くな! わたしもデュクセラ領の領民だったのよ! 居られなくして、その上討ち滅ぼそうとしているのはあんたのほうじゃない!」


 オルダーンは生の領民の声に呆然とする。

 確かにレイオットの死後、獣人に向ける目は嫌悪に満ちていたかもしれない。明言こそしなかったものの、彼らはそれをひしひしと感じていたという事か。


「どの口で言うの!}

 狐の女獣人は身を投げ出すようにして領主の身体に剣を突き立てた。

「結局、あんたは俺達を体のいい戦力や労働力ぐらいにしか思ってなかったのさ!」

 熊の獣人が脇腹に剣を差し入れる。

「それで差別していないなんて言えるの? 貴族ってそんなもんなの?」

 回り込んだ狼系の女獣人が背中にダガーを突き込んだ。

「どこまでも下にしか見ていなかったんだろうが! 下らねえ弁解しないで認めろよ!」

 反対の背後に入り込んだ猫系獣人が振り下ろしたグレイブが左の肩を叩き割った。


「お……、おお……。私は……、そ……うか……」

 鉄臭い匂いの液体が喉を駆け上がってきて上手くしゃべれない。


 自分は治世に優れた領主で、領民にそんな思いを抱かせていたなんて思ってもいなかった。

 愛され敬われる領主であろうという考えは、どこかで変節してしまっていたらしい。それがこの結果を生んだのだ。そうでなければ、自分はレイオットから伝送文を受け取った時に止めていただろう。オルダーンこそが彼らを切り捨てたのだ。


(神よ。我が罪を許し賜え)


 祈りとともに彼の意識は常闇に沈んでいった。

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