波打つ戦場
前衛からの報告で、その情報はすぐにデュクセラ辺境伯オルダーンの耳に届いた。
「そうか。奴らめ、戦場で喧嘩か。さすがは寄せ集め。お粗末な事よ」
有利な材料を見出した貴族の顔が醜く歪む。
「揺さぶれ。それで簡単に瓦解するぞ」
「おっしゃる通りでしょう」
参謀もほくそ笑んだ。
状況は大きく変わらない。獣人軍は縦陣を保ったままで並足の前進を繰り返してくる。問題の人族部隊は後尾に回ったようで、緩慢な動きが見えた。
今度は前面に神使の麗人が出てきて、重装兵の列に奇妙な飛び道具を用いて穴を作るが、大きな乱れには及ばず三度後退していった。
そんな攻撃が再三に渡り繰り返される。右翼も機動展開を繰り返さなければならずに疲弊が感じられたので、左翼を前に押し出そうとすると敵縦陣は転進の気配を見せる。そのままでは前回の二の舞になってしまうので慌てて退かなければならない。
そうすると深追いはせずに転じて悠長な前進に戻る。
(ゆったりとして見せているが、これは波状攻撃か? それを繰り返してこちらを慣らそうとしているのだな)
参謀の男には、この策の意図が見えた気がした。
(これは緩慢に見せているのだな? どこかで本命の突進の指示が下るはず。その気配を見逃さずに受け切れば我らの勝ちだ。押し包んで崩壊させてやる)
彼は拡声筒を使わず、伝令を走らせて中央の陣の右側を厚くするように命じた。
幾度も衝突が繰り返されるが、双方に大きな損害は出ない。重装兵も、また来たかという感じの意識が強くなるが、それが敵の術中だと伝令が走っている。気を緩めないように命じられていた。
ずっと気を引き締めているのは負担が大きい。軍幹部の指示には苛立ちを感じる。それを押し隠して、もう何十回繰り返されたか分からない衝突に備えて槍を持ち上げた。
そろそろ牽制の魔法攻撃が上空を越えていく頃合いだったが、それが妙に散発的だったと感じる。違和感を感じた時にはもう、敵中段の属性セネル集団が大きく横に展開していた。
当然のように嘴を開いた騎鳥が一斉に魔法を放つ。それが上方を通過し背後の到達しそうになると、まさかという思いが脳裏をよぎる。だが、それは無事に中空で溶け消えた。
しかし、続いて氷の槍の大軍が迫るに至って、背中を嫌な汗が流れる。
「ダメだ! 倒れている!」
「誰か! 魔力の残っている者は!」
「
そこは悲鳴が交錯し、阿鼻叫喚の坩堝となる。陣を厚くしていただけに、密集した兵は避ける事も敵わず的となって凍り付く者が続出した。
(な……、にぃ! まさかこれが狙いか!?)
参謀の頭の中は驚愕に彩られている。
味方が力無く倒されていく様を眺めていた重装兵が鬨の声に振り返ると、敵縦陣は突撃を掛けて来ていた。
◇ ◇ ◇
こちらが波状攻撃を掛け続けていれば、敵が牽制の魔法を放ってくるのは分かり切っていた事だった。カイはそれをずっと観察していたのだ。
(やっとか。ここだな)
目を虚ろにさせて頭をゆらゆらと揺らしている魔法士が目立つ。かなり魔力が枯渇に近い状況だ。
マルチガントレットに二つの狙撃リングを発現させて、黒髪の青年は魔法士部隊の状況を監視し続けていたのである。
敵の司令官や参謀がこちらの動きを、精神的に損耗させる波状攻撃だと考え始めるのは時間の問題。その対処として、前列の引き締めや陣の厚みに着手するのも自明の理。
ただ、牽制に使っている魔法士部隊の魔力残量にまでは気が回らない可能性が高い。そこで飽和攻撃を仕掛けてやれば魔法防御は崩れ去る。
突撃の好機がやってくるのだ。
「突撃ー!」
カイのハンドサインで、ゼルガが突撃命令を発する。ゼルガ戦隊は待ってましたとばかりに一気に加速して敵陣に襲い掛かった。
領軍兵士はそれまでの衝突がどれだけ手を緩めていたものかを思い知っただろう。
それまでのように長柄の武器同士で叩き合ったりなどしない。突進した獣人兵の乗るセネル鳥は、槍の間合いの外で翼を開くと羽ばたいて見せる。飛行まで出来ないが、生まれた揚力と脚で大地を蹴った力で
振り上げた足爪が大盾の上部に掛かり身体を持ち上げる。反対の脚がその重装兵の頭を掴み押し倒す。騎乗者込みで
そこかしこでセネル鳥が跳躍し、大盾の裏側に雪崩れ込む。大盾だけで突撃は阻止出来ると考えていた二列目以降は慌てふためいた。
縦横無尽に振るわれる騎兵の武器の他にも、嘴の中に秘められたずらりと並ぶ小さな牙や
魔法攻撃で崩された動揺が抜けていない領兵は一気に崩れ立つ。そこへ鋭利な槍のようなゼルガ戦隊が突貫を掛ける。大きく重い武器を持つ重打撃騎兵が切り裂いていき、ゼルガやチャムのいる二陣が押し寄せる敵をものともせず切り拓いていく。
更にそこにロイン戦隊が速攻でダメージを加え、ハモロ戦隊が甚大な損害を与えていった。
「
突き抜けようとする獣人戦団に側撃を掛けようと動いた右翼は広範囲魔法で足留めされる。防御魔法士が健在な右翼の損害は軽微だったが、出足を挫かれた上に裏側には機動戦力が配置されていなかった為に、騎兵の駆け足には追い付けず戦団の一点突破を妨げる事は敵わなかった。
獣人戦団の縦陣は、領軍両翼陣の裏側に抜けた。
◇ ◇ ◇
(作戦通り!)
チャムは会心の笑みを浮かべる。
ゼルガ戦隊の突進力が十分に機能すればこの策は成功するはずで、目論み通りに戦団全てがデュクセラ辺境伯オルダーンのいる本陣までの空隙にいる。後はこのまま本陣を急襲して、大将を確保するなり討ち果たすなりすればこの戦闘は終わる。その筋書きを綺麗になぞっている。
もうカイの指示を仰ぐ必要もない。一気に駆け抜けて勢いそのまま数百の護衛を撃破するだけでいい。両翼陣は速攻に追い付けはしない。
「ゼルガ、全速よ! ……え?」
振り向いたチャムは狼系獣人の少年が驚きの動作をしているのが目に入った。
「総員回頭! 反転する!」
彼は振り上げた手を後ろに向けて鋭く振り下ろす。
「なんで! こんな好機に!」
「カイさんからの指示です!」
「馬鹿な!」
確かにカイは反転のハンドサインを出している。その視線の先には再集結しつつある中央の陣の後方で、セネル鳥を捨てて軍勢を相手に戦っている暁光立志団と彼らに従う獣人兵の姿があった。
(何やってんの! あの連中はー!)
呆然とするとともに、沸々と怒りが湧き上がってくる。
(違う! ダメ! そうじゃない!)
彼女は珍しく内なる衝動を押さえ込もうとする。
カイは、この勝利に指が掛かった状態でさえ前頭はもちろん後尾まで全てに目を配っていたのだ。だからこそ冒険者グループの突飛な行動にも早々に気付いた。
そうでなければ彼らは三万を大きく越える軍勢を前に完全に孤立していたのは間違いない。だが、今ならまだ間に合う位置にある。
ただし、一点突破を掛けたばかりの縦陣は大きく間延びしてしまっている。一番近かったハモロ戦隊が素早く展開しようとする。それでも限度があるが、中からいち早く二騎が飛び出した。
トゥリオはその状況を本当に危険だと思ったのだろう。黒と黄色のセネル鳥は一気に駆け付けて受けに回る。だが、その周囲だけでも数千に及ぶ領兵が押し寄せる。
(そんな! トゥリオ! フィノ!)
チャムの背筋を悪寒が駆け上った。
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