旅の醍醐味

 女性二人が温泉を堪能している横で、やはり男達も旅の醍醐味を味わっているようだった。


 彼らが部屋を取ったこの宿の温泉はいわゆる露天風呂である。とは言え、展望の岩風呂というような類のものではなく、土魔法で作られた高い塀で囲まれた天井の無い部屋になっていた。

 実は隣同士に分かれた男女の湯舟は繋がっている。これは湯舟の中の容量を大きくする事で冷めにくくする工夫だろう。女湯へ注がれた源泉は、男湯との間の仕切り壁の底、狭間になっている部分を通って男湯側で排水されている。

 この温泉の泉質そのものが美肌効果を謳っており、女性向けを売りにしているからこその構造なのだろうと思われる。


 ゆったりと身体を横たえていたチャム達は、ふわりと浮遊感を感じる。見れば湯舟の縁から一気にお湯が溢れて、洗い場へ広がり排水口に飲み込まれていく。


「こらー! トゥリオ、あんた、勢いよく湯船に浸かったでしょ!?」

 この急激な水位の変化の原因を察した麗人は、仕切り壁越しに声を投げる。

「そんくらい良いだろ? でけえ風呂の醍醐味だろうが?」

「黙んなさい! あんたがそんなに激しいからフィノの胸が大変な事になってたじゃない!」

「ふわっ! 言わないでくださいよぅ!」

 お湯の流れに翻弄された列島が大きく揺れ動いていたのだ。

「な……、んだと?」

「なに動揺してんのよ!」

 声音に笑いの色が混じる。


 トゥリオは、165メック2mの長躯に広い肩幅、厚みのある身体を持っている。重量はもちろん、がっしりとした筋肉の塊のような容量のある身体は、湯に浸かればそれだけの量を押し出してしまうのだ。

 そんな圧力さえ感じさせそうな鍛え上げられた筋肉の持ち主とあれば、いかつい人物を思い起こさせてしまうかもしれないが、彼は美男子である。


 燃え盛る炎のような真っ赤な髪は短めに刈り込まれている。髪質は堅めで、自儘に天を向いている事が多い。

 後ろ髪のひと房だけが長く伸ばして括ってあるのは、彼の性格からして女性遍歴の中で誰かが好んだ髪型なのだろう。それを変えない信条がある訳でなく、ただ惰性でそうするのがトゥリオという男の性格だと今は分かる。

 男らしい太い眉の下には、茶色の瞳を持つ切れ長の目。高い鼻が彫りの深さと相まって、整った造形を強調する。その下には情に篤い性格を象徴するように厚めの唇がある。

 少々角ばった輪郭が武張った感じを与えない事もないが、全体に洗練された造形は誰もが美形と口にするだろう。


 首から下の逞しい上半身は、女性陣にもたびたび披露されている。

 トゥリオにはナルシストな部分は無いのだが、その筋肉量が生み出す熱量も半端ではないらしく、鍛錬の後などははだけている事も少なくない。そんな時には、まさに筋骨隆々と言える彼の肉体を間近に観察出来る。

 まるでその塊ごとに後から作って取り付けたように一つひとつの筋肉が形を成し、それでいて全体が見事に連動して機能していると分かる動きをする。しかもそれは見せ掛けに作られたものではない。トゥリオが数々の鍛錬と戦いの中で得てきたものだ。普段は柔軟でも、ひと度力を込めれば金属のように固くなる。

 そんな体の上に美形が納まっているのだから、街行く女性が彼をほれぼれと見ている事も少なくなかった。



「おい、まだ洗ってんのかよ?」

 トゥリオがもう一人に声を掛けるのが聞こえる。

「ちゃんと清潔にしてから使わないといけないんだよ? 公衆浴場のマナーじゃないか?」

「細けえ事言うなよ。気持ち良いぞ」

 穏和な雰囲気を漂わせる声音はカイのものだ。


 少し幼い感じのする口調は彼が心許した者にしか使われない。普段は敵相手にさえ慇懃に振る舞う事を思えばそれは貴重だと思えるが、思い起こすとチャムに対しては最初からそうだったと記憶している。それはきっと彼なりに親しみを訴えていたのだろうと今では思う。


 拳士である彼の肉体は、チャムが今まで近しかった人々の中には居なかったタイプ。

 相当鍛えられているだけあって当然筋張っている。ごつごつしてはおらず、柔らかくなめした革のような感触だ。だが、それは瞬発力を生み出す筋肉で、瞬間的にはとてつもない破壊力を生み出すのだ。

 チャムはいつも思う。カイの筋肉は、弾力性の有る皮膜やゴムのようなものだからこそ、固く引き絞ってから発生する反発力は比類ない力を発揮するのではないかと。

 触れるとそれが良く分かる。抱き上げられた時に、彼の腕や胸の筋肉が蠢く様を感じると、自分達剣士とは違う鍛え方をされたものだと感じられた。


「チャムさん、顔赤いですよぅ。のぼせて来ちゃいましたぁ?」

 記憶と感情が連動してその時の興奮を思い出してしまったらしい。

「何でもないの。ちょっと色々思い出していただけ」

「んふふー」

 フィノはあらぬ事を頭にうかべているようだ。

 この前は彼とのキスを見せてしまっていた。


 彼はお世辞にも美男子とは言えない。爆発的な潜在能力を秘めた身体も、外見的には細身に見える。身長も、出会った頃より伸びたとは言え、145メック174cmくらい。親しくない者から見れば、絶世の美女である彼女がこんなにも想いを募らせているのは不思議に感じられるだろう。


 容姿に頓着しない彼は、頭髪に関してはチャムに全面的に任せている。

 ほとんど癖の無い真っ直ぐで漆黒の髪は、長くなり過ぎないように整えられ、少し長めにされた前髪や伸ばしたもみあげで童顔を隠すようにしている。

 男らしい弧を描く黒い眉の下には鋭さばかりが目立つ目。黒い瞳が見せる深淵は、胸中を簡単には読ませてくれない。

 彼の人種の特質らしく鼻はあまり高くないが、形は整っていると思う。薄い唇は酷薄に歪む時も多々あれど、基本的にはいつも微笑みを浮かべている。

 全体としては平坦な印象を拭えない。生国では平均を少々超えるくらいには端正な面立ちも、彫りの深い人物の多いこの世界では、美形と呼ぶのはややおこがましさを感じてしまう。


 陽に焼けやすい肌質で、小麦色に染まっている顔や、深みを覚えない顔付きがどうしても幼い印象を与えてしまう。元々、カイの生まれた異世界との時間の流れの差がある為に、実際の肉体年齢も青年に足を掛けた程度なのだが、勇名や実績からすると容貌は物足りなさを感じさせてしまうかもしれない。

 最近は充実した生活や集まる尊敬の眼差しを受けて、風格のようなものも備わってきている。それも近しく接してきた人から見れば、という程度であった。


 しかし、何と言われようが、チャムは自分の想いを恥じる事は無い。

 彼女にとってカイは、一途に自分を想い、守る事を第一に考え、全力を以ってその願いに応えようとしてくれる信頼に値する異性である。見つめる黒瞳が揺るぎない意志と想いを伝えてくるのを感じていると、チャムの心はどんどん傾いていくのを止められなかった。


 女性として感じられる幸福は、立場も何もかも放り出したい欲求を覚えさせる。しかし、彼の存在はチャムの宿願にも沿ってしまう。

 カイほどの強大な力を傍に置けば大概の願いは叶うだろう。想いと願いの葛藤がこの麗人を迷わせ続けていた。


「チャム、僕達、あがるよ! フィノもごゆっくりね!」

 長湯をしない男性陣もそれなりに温泉を堪能したようだ。

「はい、ありがとうございますぅ! もう少ししたらあがりますぅ!」

「チャムもほどほどにね! それ以上綺麗になったら男達が放っておかないから、僕は困っちゃうからね!」

「もう!」


 青髪の美貌の脳裏には、黒髪の青年の悪戯げな笑顔が浮かんでいた。

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