狐の鞘当て

 張り水の側道を一羽のセネル鳥せねるちょうが駆け上がってくる。

 今は岩石移動用のソリのような台が置かれていたので、その横を歩ませて擦り抜けようとしているが、皆の歓声に頷いて応えていた。

 子供達の人気は高い。眩しげに目を細めて憧れの目を向けている。

 それで彼が件の連絡員なのだろうとカイは思った。


 銀髪を風になびかせる青年はアカメギンギツネ連に属しているようで赤い瞳で見回し、冒険者達の存在に気付くと少し目を瞠るが、無言でそのままごうのほうへ上がっていった。

 どちらかと言えば獣相は濃い目なほうでかなり鼻面が突き出していたが、それが容貌と相まって精悍な印象を与えている。身体つきは細身でも熟練の戦士の雰囲気を漂わせていた。

 子狐達が「格好良い!」と噂するのも理解出来る。


(あれが連絡員ね。長と長議会の中継役。長議会と『神様』の関係を見極めないといけないから出向かなければいけないんだけど、さて、どうしたものかな?)

 普通に乗り込んでも異邦人以上の扱いは期待出来ない。内情までは踏み込めないだろう。

(少し小細工が必要だろうね)



 冒険者達の協力で異物除去作業はかなり早めに終わったので、その溜まりに子供達を招き入れて遊ばせる。岩や流木の影に隠れていた魚が、寄る辺を失って逃げ惑うのを大声を上げて追い回していた。

 そうしているうちに女衆が昼食を運んで来てくれる。盆のような浅い木箱の中には、三角形の白いものが綺麗の並べられていた。


(わあ! おにぎりだ! 涙が出そう)

 子熊が捕まえた魚を桶に受けてやりながら、青年は強い感慨を抱く。


 子供達が群がるのを上手にあしらいながら、女衆はやってくる。作業の男衆へ昼食を配りながら、冒険者の番が来た。

「お口に合うかは分かりませんが、良かったらどうぞ」

「喜んで!」

 食い付きの良いカイに少し驚いたようだが、にっこりと微笑んで差し出す。

「皆様はこれを何て呼んでいるのですか?」

「はい? これ? 握り麦ですけど」

「握り麦かぁ。美味しそうですね? ありがとうございます」

 躊躇いもなく手に取る、物腰の柔らかい青年に女衆の印象は良いようだ。


 握り麦に嚙り付くと薄く振ってある塩が白麦の甘さを引き立てていると感じる。

 コウトギで用いられているのは各地で採取されている岩塩で、尖った塩辛さを持つ。その所為で、あまり量を使うと塩味ばかりが先に立ってしまうので、控えめに使う事が多いようだ。

 ただ、握り麦に関すると薄塩は功を奏していると感じる。噛むほどに塩味と白麦の甘味が渾然一体となって舌を楽しませてくれる。

 更に齧ると、緑色の具が見える。どうやら山菜の塩漬けのようだった。

 白麦と一緒に頬張れば、程良い塩味と僅かな苦味が握り麦の甘味を増し、硬めの食感と相まって唾液が溢れてきた。


(ん ──── !)

 一瞬の望郷の念がよぎるが、今の喜びのほうが大きい。


「すごく単純な調理なのに、びっくりするほど美味しいですぅ!」

 派手に尻尾を振りながら、フィノが感想を漏らす。

「こりゃ、ひと汗かいた後には最高だぜ。堪らんな」

「さっき驚いた顔してたけど、あなたの国でも同じ食べ物があるの?」

 チャムに今の心境を見透かされたようだ。

「あるんだ~。もう、携帯食の定番中の定番でさ、どれだけの数食べたか分からないくらいだよ」

「何て顔してんのよ、もう!」

 喜びを露わに頬張るカイの表情は語るまでもない。それが面白くて美貌の笑みも深まる。

「まあ、飽きるような味ではないわよね。あとで作ってあげるから、物欲しそうな顔しないの」

「わあ! チャムが握ってくれるなら、そっちを食べるよ」


 聞くと、この世界の握り麦も三角形が一般的なようだ。やはり同じ手で握るという調理をする以上、形状的にも同じところに納まったのだろうと思われる。


「はい、口開けてー。食べさせてあげるから」

 赤い瞳の狐耳娘が美丈夫に纏わりついていた。

「止めろ。自分で食えるから絡むな。べったりくっつくんじゃねえよ」

「……」

 犬耳娘フィノは少し距離を離すと、その様子をじーっと見ている。あからさまに不機嫌な視線を見せているのだが、トゥリオは気付いていない。

「何なにー、照れてるの? 大丈夫よ。フスチナがトゥリオを選んだの」

「俺の意見はねえのかよ! 人前でべたべたすんのは嫌ぇなんだよ! 離れろって」

「んふー。じゃあ、人前じゃなかったら良いの? 今夜、部屋に行っていい?」

 フスチナという狐獣人の娘は、艶やかな流し目を送る。

「バカ言うな。カイもいるんだぞ。来てどうするんだ?」

「お邪魔なら遠慮するよ~。女の子部屋の床で寝かせてもらうから」

「余計な事言うな!」


 ネーゼド郷でも獣人コミュニケーションはあった。

 男性獣人からの力比べのご挨拶。それは当然であるかのように体格で五分に見えるトゥリオに集中したのである。


 樹間の広いコウトギの森林を狩場にする彼らは長剣を使う。それほど大振りではないが、肉厚の鉈のような剣を使っているのだ。

 練習用の重い木材を使用した木剣も備えてあり、それを用いての試合と相成った。


 剣技ではチャムに大きく劣る大男とは言え、普段鍛錬している相手のレベルが違う。

 素早い動きで迫る狐獣人の斬撃をいなし、打ち落とし、絡めて飛ばして退けていく。熊獣人の力強い斬撃も真っ向から受け、逸らし、弾き、そして剣の腹を打ち込んで倒していった。

 挑戦者全てにきっちり勝利した彼は、皆に肩を叩いて讃えられたのである。


 その様子をずっと見ていたアカメギンギツネ連に属する娘がいた。

 それがフスチナである。ネーゼド郷一の美人と呼び声高い彼女が流離さすらい人に惚れ込んでしまった。

 そのからフスチナはトゥリオに纏いつくようになり、彼も満更ではない様子を見せる。


 美丈夫トゥリオは、基本的にはモテる。粗野な口調が目立つが、鍛え抜かれた身体の上に品を感じさせる美形なのだ。

 宿の食堂、酒場、街角でさえ彼に話し掛けてくる女性は多い。それをフィノがヤキモチを焼いて見せる事はあまりない。美に関しては人族に対して根源的な劣等感があり端から負けを認めているのか、或いは、彼と同じ人族である時点で嫉妬の対象から外れるようで、精々不機嫌になる程度。

 ただし、今回は露骨に嫉妬心を感じさせる。出会った当初は、自分がソウゲンブチイヌ連に属している事であまり毛皮の美しさを誇ったりは出来なかったようだが、仲間に褒め称えられるほどに自分の可愛さは自覚に至ったのだろう。それならば、同じ獣人娘には負けていないという自負を抱いたらしい。


「構いませんよぅ。カイさんを床で寝かせるなんて忍びないので、フィノのベッドで一緒に眠るといいのですぅ」

 トゥリオの耳がぴくりと反応する。

「そう? フィノは暖かいだろうから、ぐっすり眠れそうだね?」

「ぬくぬくですよぅ」

「カイ! 手前ぇ!」

 カイは心底分からないという表情を見せる。

「どうして? 君はその娘とぬくぬくすれば良いじゃないか? 僕だけダメって言うのはおかしい」

「そうよ。トゥリオはフスチナと一緒に眠ればいいじゃない」

 その彼女の台詞で、男衆からの敵意は一斉に高まる。また、挑戦者が増えるかもしれない。

「わざとやってんだろ?」

「やってるよ。誰かさんが鼻の下を伸ばしているのが妬ましいからね?」

「あら、そんなの妬まなくたって、歓迎してあげるわよ?」

 大男の怒気にもどこ吹く風。

「今夜はいい夢が見られそうだなぁ」


 意図的に挑発しているのが分かっても、苛立ちを抑えきれないトゥリオだった。

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