幕間(1) 魔法理論
「ちっちー♪」
黒髪の青年の右手の平が上に差し上げられると、そこから跳んだリドは広げられている左手の平にくるくると回転してから移る。次は右手にだ。
そうして宙を舞って遊んでいるのだった。
そこは王宮練兵場の一画。
芝生に覆われている場所にカイとチャムは座り込んで、のんびりと話しながら遊んでいる。
だが、一つ懸念事項があるのだ。
狩猟動物は生まれた時から狩りが出来る訳ではない。本能的な部分もあるだろうが主に成長過程で覚えていくのだ。
では魔獣はどうなのだろう、とカイは考える。おそらく成長過程で親が魔法を教えているのだろうと予想する。
ではリドはどうすればいい?
必然、カイが教えねばならないだろう。魔獣の親はどうやって仔獣に魔法を教えているのだろう? やって見せて教えている可能性が高い。
しかしいかんせんカイとリドでは体の構造が違い過ぎる。
大道芸人でもないし。いや、大道芸人でも出来ないだろうが。
「この子に魔法を教えないといけないんだけど、僕は普通の発声魔法がどうにも苦手なんだ」
「そうなの? 苦手って言っても魔獣は発声魔法を使っている訳じゃないんじゃないかしら?」
当然そう考える。魔獣は発声が出来ない。
「やっている事は同じだと思うんだよ。発声っていうのは或る種の掛け声で、意識の切り替えに使っているだけでしょ? たぶん魔獣はそれを違う形でやっていると思うよ」
「あり得るわね。つまり脳内で構成を編んでいる事に変わりはないと?」
「うん。だから、発声魔法と同じ手順で構成を編む方法を教えなくちゃいけないんだけど、それをどうしようかと、ね?」
青髪の美貌は、カイが言わんとしているところをやっと理解する。
どうにも彼は迂遠な言い回しが多い。かなり理解は進んできたと思うが、この男の頭の中ではもっと言葉が乱舞しているようだ。
「それでチャムは簡単な発声魔法なら使えないのかと?」
彼もチャムが基本的に光述魔法を得意としている事は知っているが、伺いを立ててきたらしい。
「残念ながら無理。私の頭の中にあるのは魔法基本文の山のような羅列だけ。それの組み合わせで魔法を組み上げているの」
「そっちかぁ。じゃあ、それで頭はいっぱいだね」
カイの言う通りである。
チャムの記憶には大量の魔法基本文が詰め込まれており、それを
発声魔法の使い手が構成を編む脳内の魔法演算領域を、その記憶と組み換えに用いている為、普通にイメージから構成が編めない。そういう風に訓練してきた所為である。
「見せてもらってもいい? 落ち着いて見てみたいから」
特に問題は無い為、快く応じる。
「構わないわよ。えっと、この子に教えるんだから風系統の魔法よね?」
彼女に属性の得意不得意はない。全てが学んだ文法の中に含まれているから、イメージに左右されないのである。
その点では、光述魔法は優れていると言える。ただ、チャムが言うように圧倒的に起動は遅い。
なぜなら、物理的に構成を書き起こさなければならないからだ。光術に指を動かしている時間の構成を、発声魔法士は僅か数十分の一の時間で編んでしまう。実戦的でないと彼女が自嘲するのはその所為だ。
宙に、とても剣士とは思えない美しい形のチャムの指が舞う。すると光の筋が尾を引き、空間に構成が書き込まれていった。
最後に手を広げた彼女が、その光述に魔力を流し込めば発現する。その魔力量で威力も決まるのだ。
終始無言で発現する魔法は、隠密性にも優れている気がするが、廃れてしまった魔法だという。確かに無発声で魔法を発現させる技能もあるので致し方ないのかもしれない。
「ちー! ちゅりっ!」
チャムの掌の上で
彼女の母親も使っていたであろう魔法に親近感を覚えているのだろう。
「んー…、やっぱりね」
カイも納得顔をしている。
「古い魔法だって言った意味がやっと分かったよ」
「…どういう意味?」
「それはね」
発声魔法と基本となる理論は同じだと言うのだ。
その手順は以下となる。
まずはより堅固なイメージをする事から始まる。
その段階で、イメージの強度により魔法属性の適性が問われる事になるのだ。
次にそのイメージを脳内で言葉に紡ぐ。これがいわゆる構成を編むと言う作業。
より堅固なイメージをより忠実に言語化できるかで魔法士になれるか否かの適性が決まる。
更にその構成を魔力パルス化する。これは紡いだイメージ言語をシリアル信号、つまり一回線に流れるデジタル信号のように変換する作業。
これを魔法士は数式化と表現する事が多々あるが、実際には数式化されている訳ではなく、言語を伝送情報化しているだけなのだ。
この時に脳内で、普通は暗算などに使う魔法演算領域を使用する為に、まるで計算をしている気分になるので
次の手順は放出。脳から神経系を経由して、魔力パルスを空間に放つ。
その時ロッドを用いる場合が多いが、これは効果を高める為だ。そのまま空間に放出するよりは、魔石の魔力回路上に一度書き込んで、パルスを再び言語に変換する。そこに魔力を流し込む事で魔法は発現待機状態になる。
要するに、魔力パルスで空間に直接言語を焼き付けていくよりは、魔石の水晶の魔力回路上で言語化したほうが齟齬が少ない。損失が出難いのである。
そして、発声して魔法を発現させる。これは待機状態にある魔法構成を、言語として空間に強く焼き付ける作業。
これは先にあったように、意識の切り替えでしかないので発声の要不要とは別の話なのだが、暴発防止の為にそういう訓練が慣例化しているので、世に広まっている手法になっているのだ。
「分かるでしょ?」
説明を終えたカイは尋ねる。
「光術魔法っていうのは空間への焼き付け作業を直接やっているだけの話なんだ。その後の魔力注入をトリガーアクションにしているのは少し違うけど、根本的には同じ。同理論で魔法は発現している」
「言いたい事は解ったわ」
その違いを理解していたチャムも、彼の論調を解する。
「要するに、基本に光術魔法が有って、その時間短縮を意図して生み出されたのが発声魔法だね。手順は増えるけど、複雑な魔法ほどに時間短縮が可能だよね?」
「そうね…」
(この人にあまり色々教えるのは控えたほうが良さそう。頭の回転が速すぎるわ。気付かれてしまいかねない)
青髪の美貌は心の中で舌を出した。
「でも、そういう意味では、一番起動が早いのはあなた得意の記述刻印魔法よね?」
カイが口元を押さえて苦笑を隠すようにしたのは気になるが、乗ってきたのでとりあえず流す。
「そうだね。既に、物理的に書かれている刻印に魔力を流す事で発現するんだからね。でも、これが案外と魔力コストが良くないんだよ。生活魔法程度の短文記述なら大きな差が出ないけど、戦闘に使用するような複雑な記述だと魔法陣化しないといけない」
「そうよね。持ち歩きにも起動にも手間が掛かるわね」
魔法陣は、刻印に用いる魔法文字で全てが描かれる。
長文を同心円状に重ねたり、罫線で繋げたりした記述回路に必要量の魔力を流すのには相当な魔力容量が必要となる。一つの魔法陣で発現させられる魔法は当然一種類な上、魔力コストまで悪いとなると、お世辞にも実戦的とは言えない。
結果的に、汎用性は極めて高く、魔力コストは低めで起動の早い音声魔法士が主流になっていったのだろうと考えられた。
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