異空間の謎

 胡坐をかいて腕組みしたカイは瞑目して首を傾げ、どう説明したものか悩んでいるようだった。


「目で見えるもの、触れて分かるもの、聞こえるものとか五感って、感覚器は身体の各所には有るんだけど、その情報を処理しているのは結局脳なんだよ」

 そう言いつつ青年は頭をトントンと指差す。

「ここで認識する訳だけど、情報が処理されて認識に変わった時点で干渉が可能になるんだよね」

「うお、途端に難しくなったじゃねえか!」

「えー、だってトゥリオ、幻覚って言ったじゃん。幻覚っていうのは認識を誤らせる方法でしょ?」

 フィノにじっと見られて「ですぅ」と言われれば、美丈夫は顔を顰めた。

「病気や薬の影響以外で、外部からの干渉で幻覚を見せる場合、大体は信号そのものに干渉して誤認させているんだよね。違うものを見せたりして、そこに在るように思わせたりとか」

「はい、簡単なのは光を屈折させて、見える位置をずらす方法とかですねぇ」

 掲げた手を横に動かして、ジェスチャーで表現するフィノ。

「でも今回のは認識そのものに干渉していたみたいだね」

「そんな事が可能なの? むしろ難しいように感じるけど?」

 チャムはまだ少しもじもじしながらカイを見る。

「不可能ではないね」

 青年は「あれには特に」と言い添えた。


 考え方によっては、認識のほうが干渉し易いかもしれないとカイは語る。

 それは個別のものであるようで、意外に統合的なものであるからだ。厳密に言うと、識別までが個別のもので、それを概念に当てはめた時点で認識に変わる。

 例えば、熟れたカシタンの実を誰もが赤いと思っているが、それはカシタンが赤いという共通認識があるからこそ「赤」だとされている。皆が「青」と言えばそれは青に変わる。

 つまり、カシタンのを見た時に目が捉える色は個々に違う信号として識別されている可能性は否定出来ないが、そこに赤いという共通認識が加わって全ての人が「カシタンは赤い」と感じる。色は後に学んだ概念に過ぎないのだ。

 逆に、この概念に干渉出来れば誤った認識を与える事は出来る。


「でもよ、同じ人間なら目玉の作りだって同じだろ? 同じ風に見えているんじゃねえか?」

 トゥリオがもっともな疑問を口にする。

「考えてごらんよ。僕のただ黒いだけの虚ろな穴みたいな瞳と、チャムの爽やかな朝の新緑みたいな綺麗な緑の瞳が同じ色を映していると思うかい?」

「そんな…。私はあなたの吸い込まれそうな漆黒の瞳が好きよ」

 美丈夫は「けっ、やってろよ」という顔をするが、フィノの目は細められ円弧を描いている。

「これだけ色々な瞳の色の方が居るんですから、そうかもしれませんですぅ。でも、これは例え話なのでそういうものだと思って聞いたほうが楽ですよぉ?」

「そうか」

 獣人少女に説得されてしまう。


「まさか…。概念…、共通認識に干渉するって…」

 チャムは一つの可能性に思い至ったようだ。

「そう。最適な集積情報があるよね?」

「形態形成場ですかぁ…?」

「うん、あれは形態形成場のできもの・・・・みたいなものだね」


 形態形成場は、種の集積情報によって形成された情報体である。

 細密かつ多量の情報で形作られているそれは、生物の膨大な記憶情報に近いかもしれない。生物の自我がその記憶情報から生まれいずるとすれば、形態形成場の中に自我・・が生じたとしても変ではないだろう。


「待って待って! それは辻褄が合わないわ。だって人類が生まれないと種の形態形成場は生じないはず。御神が作りたもうた人の子によってどうして…」

 カイは頷いて見せる。

「チャモが先か卵が先かって議論だね。この場合、チャモが先」

 青年は三人を指し示して続ける。

「人がそう願って生み出した存在だよ」


 チャム達の内を衝撃が駆け抜ける。トゥリオは「マジか」と零し、フィノの瞳は定まらず揺れている。チャムは何もかもが引っ繰り返されてしまったかのような顔をしていた。


「でもぉ…、だとしたらぁ…」

 フィノは辿り着きたくない答えがそこに転がっているのに気付き、手を伸ばしてしまう。

「あれは造物主でも絶対者でもない。でも、超越者ではあるね。人の認識に容易に干渉出来る。だって共通認識そのものなんだから。そのつもりなら、全能だと思い込ませる・・・・・・のも容易い」

 カイは結論を言ってしまった。

「その証拠に、あの異空間に取り込まれた時、君達は草原を見ていたと言ったよね? 僕にはそれが見えていない。なぜなら、この世界の人類の形態形成場に属していないから」


 チャム達が認識に干渉されて草原を見ていた時に、カイはあの藍色の空間に浮いたままだったと言うのだ。触れる事はもちろん、叩く事も爪で削る感触さえ返ってきていたあの場所が、ただ認識の干渉だけで作り出されていたのだと知る。

 慈愛神アトルがカイに干渉出来ないと言った意味をチャムは初めて理解した。そして、神が彼を「ことわりの外側に佇む者」と称する理由にも。

「理」、つまり「形態形成場」に属さないカイは、それを視る事が出来、多少は制御出来たとしても、その外側にしか居られない存在なのだと知っていたのだ。神々も、本人も。


(ああ…、この人の孤独感はどれほどのものだろう?)

 チャムは、何もかもが腑に落ちてしまった。

(生まれた世界でさえ弾き出されてしまった彼が、この世界でさえ自分がそういう存在だと知ってしまったら? その彼を、誰かが普通に受け止めてしまったら? 隙間を埋めてくれた相手に心を奪われても当たり前じゃないの)

 奇しくも自分がその役割を演じてしまったらしい。カイが彼女に寄せる情は当然とも言える。出来るだけ何でもありのままに受け入れようという彼女の姿勢が、運命を呼び込んでしまったのだろう。


「じゃあ、カイさんには最初から神様だけしか見えていなかったんですねぇ?」

 フィノが納得したようにうんうんと頷く。

「それとあの虹色のふわふわしたやつだけって事かよ?」

「ああ、あれがたぶん形態形成場そのものだと思うよ。神の本体」

 だから、彼は神の個を形作る基質マトリクスを破壊すれば形態形成場本体に飲み込まれると言ったのだ。

「そして、おそらく君達が『魂の海』って呼んでいるもの」


 記憶と学習、共通認識で自我が形成されていくのだとすれば、形態形成場は自我、つまり魂の基本になるものと考えても良いだろう。魂はそこから生まれ、そこへ還っていくという概念もあながち間違ってはいないと言えるかもしれない。


「ふわぁー、ですからぁ、神様も還る場所も、もしかしたらフィノ達そのものも一つのものって言えるのかもしれませんねぇ?」

 彼女は或る種の感動を覚えているようだ。

「うーん、それはちょっと宗教的な考え方だけれども、間違ってはいないかな? でも、僕は基本は個だと思っているよ」

「一人ひとりの力が合わさって、あれほど巨大な情報体を形成しているって言いたいんですよねぇ?」

「そう。最初に人ありき、かな。どんな生物でも命が基本って思いたいよね? まあ、これも宗教的だね」


 情報量の多い人類の形態形成場だからこそ巨大になる。そこから自我を持つ個が生まれても来るし、その力が類を見ないものになるのも頷けよう。

(この世界の神というのは、高エネルギー情報思念体って感じかな?)

 そんな風にカイは思う。


「それで、カイ。あなたの上半身が消滅させられたように見えたのも、そう認識させられていたのかしら?」

 チャムの視線がちょっと怖い。


(あれ? これは僕が怒られる流れ?)

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