市民煽動

 衛士隊からの報告で全てを中断させられ、王の間に集められたラムレキア王国の中枢に位置する人々は当惑を隠せないでいる。いきなり湧き起こった市民運動がその規模を急激に拡大させつつあるというのだ。


「もう少し整然と報告なさい!」

 苛立ちを見せるアヴィオニスに衛士隊長の一人は更に委縮してしまう。

「えー、ですから…、北地区と西地区で多くの市民が集まっているのが確認されまして、調査に向かいましたところ強い反発を受けまして一部で投石などもありまして…。その…、東地区では城門に向かって行進が行われているという報告と、南地区では放火などが行われているという報告が確か…、あ、これ!」

 跪いて必死に書類を捲りつつ報告を行っていた彼だが、すぐに言葉が覚束なくなり怪しげになる。そのうち報告書を床にぶちまけて必要なものを探す様子を見せ、混乱の極にある事を示す。

「話にならない! 必要なら何人でも連れてきて整理しなさい!」

「しかし、事態は急を要します。素早い対応が必要かと…?」

 無能の烙印を押されるのを嫌った彼は、更に言い募ってくる。

「状況を把握出来ないのにどう対応しろって言うの!?」

「至急、騎士団の出動による鎮圧を…」

「ならん!」

 ザイードが一言に切って落とす。

「騎士の剣は市民に向けるものではない。許さん」

「ですが!」

「もう良いわ。下がりなさい」

 王妃の声音は優しく、強い落胆を示している。


「どうする?」

 彼女の問い掛けに勇者王は少し考える様子を見せるが、すぐに思い付きを返してきた。

「直轄軍の兵長、騎士の者を私服で動かす。騎長に情報を纏めさせる」

「良いわね。それでいきましょう。伝令!」

 武装を禁じた隊長クラスの兵を私服で調査に向かわせる指示をする。万一の時、彼らなら丸腰でも一般市民に後れを取る事はない。

「何?」

 伝令が退出の為に開かれた大扉の向こうにチラリと青髪を認めて問い掛ける。

「良い? カイが街に出ていったわ。少し待ったら何が起こっているか分かるから待ってなさい」

「動いてくれたの? 助かるわ。こっちでも対策を講じたから、状況把握は出来そうね」


 王の間の緊迫は、未だ予断を許さない状況であった。


   ◇      ◇      ◇


「王宮は今、国を、民を見放しつつあるのです!」

 彼女は深紫の髪を振り乱して涙ながらに市民に訴えている。

「宮廷は王妃アヴィオニスの専横を止める力を持たず、勇者王陛下は王妃の連れてきた青髪の女に籠絡され、国政をないがしろにしているのです!」

 美しい顔が悲痛に歪む様子は、集まった市民に憐憫を感じさせる。

「わたくしは宮廷貴族の一員としてこの国の正しい在り方を問い、聖剣ナヴァルド・イズンと勇者王陛下を中心として民の平穏と安寧、そして正義を体現する国家を目指すべきだと訴え続けてきました!」

 掴まれて皺の寄ったスカートや、前にする人々と目も合わせられずに視線を下に落とした様が彼女の悔恨を表している。

「力及ばず、国政をほしいままにする王妃を止められなかった事をお詫びしたいと思います」

 ここで深々と腰を折って頭を下げてみせる。

「わたくし一人の力では何も出来はしなかったのです。でも、多くの力が合わされば、出来なかった事も出来るはずだと思うのです!」

 胸元で手を握り合わせ、真摯な色を浮かべた碧眼が集まった群衆を射た。

「どうか皆様のお力をわたくしにお貸しください! 陛下のお耳にこの言葉を届ける後押しをお願いします!」

 一拍置くと、握りしめた両手を前に差し出し、放して大きく広げて見せた。

「この国を正しき形へと導く為に皆様の声を上げてください! 王妃の独裁を許さないという皆様の声をあの王宮に届けるお手伝いをさせてください!」

 そこからでも見える王宮の尖塔を指し示して声を張り上げる。

「我が国は王妃一人のものではありません! 我ら皆のものです! 奪われてはなりません! 皆様の力でそれを教えてやるのです!」

 観衆の一部から上がった歓声は、一石を投じられた池に広がる波紋のように広がり続けた。


 巧みなナミルニーデの弁舌は群衆の意識を書き換えていく。彼女の願望でしかないものを、まるで皆の要望であるかのように転嫁し、扇動してより大きく増幅される。

 こうなればもう群衆に煽動されたという意識など無い。自分達の思いを彼女が代弁してくれただけであるかのように感じている。生じた大きな波は留まる事などないだろう。


 ナミルニーデの乗った馬車が動き始めると、観衆は大きな一個の生き物のように追随を始める。腕を振り上げて王妃弾劾の声を上げる者に周囲は呼応し沸き返る。彼女の民衆への献身を讃える者が現れれば、ともに賛美の声が吹き上がる。

 続く行進に目や耳が引かれた者が事情を聞くと、我も我もと説明して加わるように勧誘し、そのほとんどが列の一部と化していく。噂話で醸成されていた不安に火が点き、燃え上がって人を衝き動かす。

 成長する群衆は熱狂して、城門を目指してゆるゆるとではあるが力強く歩を進めている。


 一人の黒髪の青年が踵を返して裏路地に入り込んでも、誰一人として気付きはしなかった。


   ◇      ◇      ◇


 王の間に詰めている者達は不安の中、落ち着きなく時を過ごしていた。

 言葉もなく考え込む者。責任の所在に関して小声で議論する者。市民にその苛立ちの矛先を向けて不満を吐露する者。そして、密やかにアヴィオニスの行状を問う言葉を囁く者。

 決して狭くはない場所であるのに、空気は悪化の一途を辿っているように感じられた。


 そんな状況でも落ち着き払っている者もいる。王妃が出した許可で、ともに詰める事になった三人もその一部だ。

 チャム達はメイドが用意してくれた飲み物を口にしつつ、時折り言葉を交わしている。事態を楽観しているのではない。まずはここにいない彼が戻らない事には話が進まないので、時間を潰しているに過ぎない。


「ここかぁ」

 大扉の向こうから黒瞳が覗くと、チャムは手を振って応える。

 様子を窺いながら入室したカイは三人の仲間に歩み寄ろうとしたが、それより先に声を掛けられた。

「あなたのほうが早かったの。良ければ外の様子を教えてくれない?」

「構いませんよ」

 アヴィオニスの要請に彼は快く応じる。


 彼らは玉座近くまで上がり王妃に状況報告をするカイの言葉に聞き入る。同席する者達も、今はしわぶき一つ漏らさず耳をそばだてた。

「ナミルニーデさんがいらっしゃいましたよ。見事な演説でした」

 さすがに王妃の片眉はピクリと跳ねる。

「あの娘、何て?」

「つまるところ『王妃の独裁許すまじ』という論調です。アヴィオニスさんの弾劾? 排斥運動というのが正確なところでしょうか?」

「やってくれるわね」


 周囲の者は震えが上がってくるのを抑えられない。本人を前に、よくもそんな事を言えるものだと思う。王妃が激怒したらどうしてくれると青年を睨み付ける者も出てきている。


「市民の様子は?」

 反してアヴィオニスは冷静に見える。

「解散を促す衛士に反抗する者は見られましたが、それほど過激ではありません」

「放火なんて情報も有るんだけど大きな被害は無いのね?」

「放火や略奪といった事は行われていません。ですが、少し過熱の具合が異常な感じはしました」

 ひと心地付いたのか黙る王妃。

「ラムレキアは基本的に纏まりのある国だから、反体制運動に免疫が無いのよね。不慣れな市民は自制が利きにくいかも」

「それだと流行り病のような広がり方をしちゃうかもですぅ」

 チャムの言及で、あまり良くない想像に至ってしまう。

「出て行かないと収まらない感じなのかもねぇ」


 国民が不慣れなら、王宮も不慣れなのであった。

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