ガレンシーの闇
(帰ってくるのね、あの女。何も知らずに…)
控え目な
(伯爵家の娘の分際であの方の隣に居座る忌々しい女…)
小卓の上のグラスの足に手をやって軽く揺すると、中の黄色い蒸留酒が香気を放つ。鼻先で少しそれを味わった後に傾けると、独特の甘みと香ばしさが喉へ流れ込んでいった。
(お前の天下ももうお終い。幾重にも張り巡らされた蜘蛛の巣に飛び込んでくるようなもの)
顔を伏せ、声を殺してくつくつと笑うと、濃い紫色の髪が胸元に垂れてきた。それを掻き上げながらグラスを卓に戻すと、込み上げてきた笑いに上体を揺らす。
(どれだけお前が小賢しくとも抜け出せはしない…。呪うなら不似合いな場所を望んだ自分を呪いなさいな。愚かしい自分を…)
部屋に哄笑が響き、夜は闇を深めていった。
◇ ◇ ◇
王都ガレンシーの街門前で勇者王ザイード・ムルキアスは解散の号令を掛けた。
これで国王直轄軍の兵は、臨時呼集が掛からない限りは
厳しい選抜をくぐり抜けて属する事を許された者達ばかり。訓練を強要したりせずとも彼らは独自に鍛錬を欠かしたりはしないだろう。再び集合しても腑抜けた様を見せる事はない。
この解散も恒例の事らしく、街門前広場では数多くの家族が待ち受けている。
迎えの父母の手を取り涙をにじませる者、恋人と抱き合い歓喜のキスを交わす者、子供を抱き上げあやす者、友人と腕を合わせて無事を祝う者。
そして、数としては僅かながら隊長らしき人物から小さな包みとなった子供や愛する者を迎え、泣き崩れる者もいる。彼らは一緒に受け取った戦死証明書を後
そう付き添いの兵が教えてくれた。
しばらくすると王宮から留守居の近衛隊が儀仗装備で現れ、衛士によって左右に分けられた民衆の中央を進んでくる。彼らはザイードの前で一斉に跪き口上を述べると、今度は二列に並んで道を作った。
その中を随行近衛兵を先頭に、勇者王の騎馬、戦闘指揮車と続き、後詰の近衛が後ろを固める。
列には市民から雨あられと歓声が降り注ぎ、皆が口々に国主の無事の帰還と勝利を祝う言葉を我先にと送る。その歓声が徐々に遠ざかっていく事で列が王宮へ向かって進んでいるのだと分かった。
「大した人気ですね?」
その列に加わるのを拒んだ四人は今、アヴィオニスが付けてくれた付き添いの兵とともに静かに街門をくぐった。
「当然です。ここはラムレキアですよ? 勇者王陛下あっての国なのです。これからも勇者の血筋によって庇護される事で栄えていくのです。皆がそう思っているのですから」
「すげえ考え方だな」
「そうですかぁ? 強い方が導いて下さるのでしたら心強いですし、戦う力を持たぬ方々が縋りたくなる気持ちも分かりますぅ」
この辺の共感を感じやすいのは市井の者としての暮らしが長い獣人少女故の事だろう。
「思想として分からない事はないんだけど、或る意味際どい体制よね? 実際にその中心となる柱が失われ掛けたのだから」
「だろ?」
「少しは勉強になったでしょ。上には上がいるって知って、臆病である事も大事なんだって」
そんな会話を聞かされても、相槌も打てず批判も出来ずに冷や汗を流す兵。
「ではご案内致します、魔闘拳士様」
そうは呼び掛けながらも、彼には小柄な黒瞳の青年が
「お願いします」
「こちらへ」
一度は観光したガレンシーの街を今度は素通りして、城門をくぐる四人だった。
◇ ◇ ◇
「ご相談いただけねば困ると申し上げたはずですぞ、王妃殿下?」
兵に従って辿り着いた王の間に入った途端、そんな声が耳に飛び込んできた。
「こんな案件を独断専行で決裁などされましては、我々は何の為に王宮に詰めているのか解りませぬ!」
「即断即決即行動。時には拙速を尊ぶ事はあると言っているでしょう? それに処理に関しては寸分の抜けもないと思うわよ? これが重要案件だってあたしにだって分かっています!」
「軍事ならある程度の裁量をお任せするのは仕方ないと思っております。しかし、戦場で国境を動かす裁定をするのは明らかに逸脱しておりますぞ?」
王妃と相対しているのは、銀髪に口髭をたくわえた紳士である。
「そういった案件はお持ち帰りくださり、両国の文官同士の協議によって粛々と進めるものではありませんか?」
「それで? 呑気に馬鹿みたいに高価な
「一時的な軍事同盟で済む事ではないのですか?」
紳士は、その程度の裁定なら軍事の管轄だと譲歩したつもりらしい。だが、アヴィオニスにはその譲歩さえ愚策だと感じたようで、頬をひくつかせている。
「あんたは馬鹿なの? そんな口約束に毛が生えた程度の同盟で軍を進めてみなさい! 連邦盟主軍を抑えられたとしても、その後ろから帝国軍がやってくるわ! 秩序維持行動とか何とかを大義に掲げてね! さすがにザイードをそこまで連れていく訳に行かないでしょ? 後の結果は目に見えているじゃないの!」
「こちらとてネレイナ王女の身柄と証言という大義があるではございませんか? それを盾に帝国軍の動きを非難すれば、容易には動けないでしょう?」
「ぬるいわ。帝国軍はそんなの屁とも思わないわよ」
兵は、銀髪の紳士が宰相クルファット・ギアデだと教えてくれた。
王妃アヴィオニスが宰相のような職務を遂行していると言っても、その肩書が本当に宰相という訳ではない。彼女は王妃であり、他の肩書は持たずに兼務をしているだけである。
そして、彼クルファットが職務として宰相に任じられる者であり、ザイードの留守を預かって王国を切り盛りしているのが実情である。それだけに政務に属する判断を王妃が取り仕切るのを嫌い、こうしてぶつかる事が多いのだと言う。
普通の王妃であれば、政務に口を出そうものなら非難の的となるものだが、ここラムレキアではそんな事はあり得ない。現勇者王どころか先王の信頼も厚いアヴィオニスの発言力は大きく、それが往々にして宮廷の権限を侵す。
それが不快な宰相を始めとした宮廷の者達の反発を買っているというのが、この衝突の裏側らしい。
「宰相閣下、そのような品性乏しい方には宮廷の理論など通用しませんわ。もっと噛んで含めるようにいたしませんと」
その発言で、皆の目が声の主に移る。そこには紫色の髪を高く結い上げ、青い瞳でアヴィオニスを射るように見ている妙齢の女性。
彼女は明らかに挑発するような言葉を使っている。いくら開かれた宮廷とは言っても、女性の最高位に在る王妃に向かっての発言とは思えない。
「ああ、あなたが例のシュッテルベ侯爵家の娘なの? 宰相が書記官に任命したっていう」
「ナミルニーデと申します、王妃殿下。以後お見知りおきを」
今更、取り繕っているのではない。畏まる様子もなく胸を反らしたままで言ってきている。慇懃無礼を地で行く態度だ。
「なかなか肝の据わった小娘だわ。或る意味、爽快ね。その自信がどこから来るのか証明してくれるんでしょうね?」
「それには及びませんわ。宰相閣下が登用してくださったのが一番の証明ではなくて?」
「今、その宰相の無能を論じていたのが分からない?」
議論は二人の女性の対決に移行していきつつあった。
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