光の正体
カイは一目散に海に向かって駆けていった。
「え? ちょっ! 待てよ! それじゃ俺だけ覗きみてえじゃねえか!」
慌てたのは取り残されたトゥリオだ。
「みたいじゃなくて覗いてるのよ! あんたもさっさと行きなさい!」
「トゥリオさんのスケベぇ!」
ビクッと震えた彼も逃げるように海に向かっていく。
「冗談じゃねえぞー!」
二人は顔を見合わせて小さく吹き出したのだった。
◇ ◇ ◇
しばらく眺めた後、そっと海に手を伸ばす。
「ちゅちゅっ!」
リドが警告音を出すが、大丈夫というように首に巻き付く尻尾を撫でる。
「光っているだけ。何でもないよ。いや、何か居るというのが正解かな?」
「ちる?」
沈めた手には何も起こらない。ただ、そこだけ光が薄まったように見える。
「避けた。やっぱり生き物だよ」
「ちゅー!」
器を出したカイは光っている海水をサッと掬い上げる。
「
水面に指を近付けると、カイは
投影された視野は、顕微鏡のように拡大した様子を映し出す。拡大された水面を、微かに緑色を帯びた黄色に光る丸い何かが度々通り過ぎていく。
「あん? 何だこりゃ?」
追い付いてきたトゥリオが後ろから覗き込んで疑問を口にした。
「ん? これが
カイは会心の笑みを見せている。
海水をビンに移すと大事に隠しに入れる。そして、その辺りだけが光っているのを再確認すると、原因を探りに動いた。
他と違う部分といえば一つしか無い。ここへ流れ込んでいるのは温泉の湯。それ以外に原因は考えられない。
海に流れ込む前の流れに触れる。ちょろちょろと流れている程度の湯量だが、まだ十分に温かい。
(硫黄泉だ)
カイの『解析』で検出されるのは硫黄の反応。化合物も含まれていない訳ではないが、ごく微量である。それ以外の含有物はミネラルばかり。単純硫黄泉という種類の温泉だろう。
「どうすんだ?」
流れを手に受けて考え込んでいるカイに、心配になったトゥリオが問い掛ける。
「うーん、何から手を付けるべきなんだろうね?」
「お前が悩むようじゃ俺にはお手上げだぜ?」
彼も湯を掬って鼻を近付けるが、すぐに顔を顰めた。
「臭ぇ…」
「硫黄泉だからね」
独特の何かが腐ったような匂いがする。流れている場所も、真っ黒な溶岩石の中に白い筋のような跡を付けている。いわゆる湯の花である。蒸発に伴って析出した成分で、硫黄とミネラルで出来ている。
カイはその湯の花を擦り取って匂いを嗅いだり、塊になっている物を採取したりしながら考えを纏めるように流れを遡っていった。
「およ?」
視界に現れたのは白い流れでなく、白いつま先だった。
当たり前だ。流れを遡ればチャム達が入っていた露天風呂に繋がっている。思考に没頭した所為で、それを失念していた。
(マズい。顔が上げられない…)
カイはぷるぷる震えながら身動きが取れなくなっている。
「どうしたの? 私のつま先はそんなに魅力的だったかしら?」
「もちろん。君が望むなら喜んでキスするよ?」
(お、怒ってない?)
予想外に穏やかな声音が余計に怖ろしい。
「あのね? 僕は純粋に
「考えていたんでしょ? 分かっているわ。顔を上げれば?」
お許しが出たのでそーっと見上げると、そこには太腿や二の腕は丸出しではあるものの、短衣を身に着けた彼女の姿があった。
「おあいにくさま。ご期待に添えなくて」
四肢を突いて落胆を表すカイに、無情なる女神の言葉が降り注いだ。
◇ ◇ ◇
「これがそうなの?」
露天風呂の脇に置かれた燐光を放つビンを指でつつきながらチャムが言う。フィノは鼻をくっつけるようにして、まじまじと中を見つめていた。
「そうこれが
「見るからにそうだな」
カイとトゥリオは今、女性陣に追い立てられるように露天風呂に浸かっていた。白濁した湯が色々と隠してくれて、彼女らも傍らで落ち着いていられる。
「何か特別な薬のような物?」
「違いますぅ。これは微生物ですよねぇ?」
「正解。いっぱい居るから水が光っているように見えるけど、ものすごく小さい生物が泳いでいるんだ」
それは夜光虫のような原生生物だ。体内に蓄光成分である硫化亜鉛を蓄えているのだろう。淡く燐光を放っている。そのプランクトンをカンム貝が食べる事で、蓄光成分が体内で凝縮され、それが真珠質である硬質タンパク質に混ざっているのだと考えられた。
「へぇー、じゃあこれを食べると真珠が
チャムの言う事はもっともだ。カイもそう考えていたこそ、チムニー周辺で確認出来なくて解らなくなっていたのだから。
「それがどうも大きな誤解をしていたみたいなんだ」
「誤解?」
「そう、この小さな生き物、プランクトンの一種が蓄光成分を直接取り込んでいるんだと思ったのが間違いの元」
蓄光成分である硫化亜鉛は熱水噴出孔から放出されている。その硫化亜鉛を有機物合成して栄養にしているなら、確実にチムニー周辺に集まっていなくては理屈に合わないと考えていた。
ところがチムニー周辺では確認出来ず、周辺海域でもその存在をはっきりとは確認出来なかった。
今思えば、海底が光って見えていたというのは沈殿した硫化亜鉛の所為でもあったが、このプランクトンも繁殖していたのだと思われる。
「硫化亜鉛を餌にしていなかったんだとしたら、どうやってこのプランクトンは体内に硫化亜鉛を溜め込んでいるんでしょうかぁ?」
チムニーからでなく沈殿した堆積物から取り込んでいたのだろうか? その可能性も有るだろうが、それではここの温泉が流れ込む海に集まってきている理由にはならない。フィノもそれに気付いている。
「それは簡単。硫化亜鉛を食べているんじゃなくて、体内で硫化亜鉛を作り出しているからだよ」
「あ! だからここの海に集まってきているんですねぇ!」
「たぶん、そういう事なのさ」
フィノは思い付いたようだが、チャム達はピンと来ていない。
「ちょっと待ってよ。分からないわ?」
「ああ、全然分からねえぜ」
「彼らが欲しているのは材料のほう」
亜鉛はプランクトンが捕食するバクテリアや植物性プランクトンの仲間が持っている。足りないのは硫黄のほうだ。
「この温泉の湯に硫黄が含まれているからあの流れ込みのところにプランクトンが集まってきているんだってこと?」
「うん、硫黄泉の成分を目的に集まって来たわけ」
「でも、筋が通らないわよ? 餌にもならない硫化亜鉛をなぜ合成しなきゃならないのよ」
カイは、ここからは仮説だとして語る。
プランクトンが硫化亜鉛を合成するのは単純に身体を光らせる為だ。彼らは光る事で相互を認識して集合しているのだと言う。
ではなぜ集まらないかといけないか? それは水平伝播を行う為じゃないかと語った。
水平伝播は、言うなれば遺伝子交換である。
プランクトンが生物としてその多様性を維持する為に、遺伝子情報の変化を並列化する作業。それによって環境の変化に対応できる身体を作り上げているのだ。
動物が雌雄を持つ事で行う多様性の維持を、プランクトンは集合体を形作る事で行っている。
「光る為に作る。当たり前といえば当たり前だわ」
タブレットPCを示しながら推論を並べる彼に、チャムは呆れたように言葉を零す。
「意外な盲点だったのですぅ」
カイは頭を掻きながら、苦笑いで応じた。
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