連山の怪物

「カイっ!」

 すかさず変異種の炎虎フレアタイガーの前肢に斬り付けながらもチャムは呼び掛ける。

氷針嵐ニードルストーム!」

 フィノも叫びたいのを我慢して魔法を放つ。


 あの程度で彼が戦闘不能になるとは思えない。今必要なのは駆け寄る仲間では無く、立ち直る時間を稼いでくれる仲間だ。

 しかし、炎虎フレアタイガーを圧し包むように発生した氷の針を多量に含む嵐は、身震いと共に放たれた熱波の一撃で吹き飛ばされてしまった。


「あれが効かねえのかよ!」

 次は一矢報いてやると水属性剣アクアモードに切り替えた大剣を構えたトゥリオは、狼の遠吠えを耳にする。

「ウォオオォー!」


 三十頭を超える雲輝狼クラウドシャインウルフの遠吠えと共に、炎虎フレアタイガーの上空に現れた投氷槍アイスジャベリンが一斉に襲い掛かる。ところが、それも突如現れた紅球から放たれる深紅のビームのようなものに薙ぎ払われると、端から蒸散してしまい炎虎フレアタイガーの身体までは届かなかった。


(全然歯が立たない!)

 自分達より遥かな高みを窺わせる攻撃が連続して炎虎フレアタイガーを襲っているのに、一撃たりとてダメージを与えられないのだ。この時になってようやくハモロは、雲輝狼クラウドシャインウルフ達が逃げ出す判断をしたのが正しかったのだと思い知った。

(本当に怪物そのものじゃないか!)

 悔しいが、彼らの技量では全く届かない。この戦いに割って入ろうとすれば、間違いなく足手纏いになってしまう。


「下がろう」

 ゼルガも目の奥に悔しさを滲ませながらも、冷静に距離を取るよう呼び掛けてくる。瞳に恐怖を湛えたロインも彼の腕を引っ張る。ハモロは頷いて魔法の荒れ狂う戦闘に背を向けた。


 立ち上がった炎虎フレアタイガーは更に大きく感じた。

 頭の位置など剣の長さを合わせても全く届かない高さにある。チャムは光述しつつ後退する。奴の間合いに入り込めば、軽く弾き飛ばされてしまうのが落ちだ。

 フィノの後退に合わせながら下がるトゥリオと視線を合わせると首を振って寄越す。今は彼女が連発する魔法で出足を挫いているが、炎虎フレアタイガーが本気で前に出ようとすれば、押さえ切れないだろう。


冷気砲ブリザードカノンマルチ!」

 冷気の圧縮塊は、深紅のビームやあぎとから放たれる火炎で相克させられている。

「ダメです! 変異で魔法能力も向上していて、普通の魔法では太刀打ち出来ません!」

「巨大化しただけじゃなくて、魔法演算能力も向上したみたいね」

「その代償に正気を失ったみたいだけどね」

 待ちわびていたその声にチャムはすぐさま振り向いた。

「カイ!」

「堪んないよ。すごく痛かったんだから」

「後で優しくしてあげるからお願い! これはどうやっても無理だわ!」

「うん。下がってて」

 黒髪の青年はいとも簡単に請け負うと、炎虎フレアタイガーに向き直った。


「下がれ下がれ! 余波食らっただけでもただじゃ済まねえぞ!」

 トゥリオは雲輝狼クラウドシャインウルフ達を追い立てる。

「君達も下がりなさい!」

「でも!」

 チャムの呼び掛けに獣人少年少女は戸惑う。彼一人にしてどうしようというのだろうか? それが分からなかったからだ。

「出来るのは観戦くらいよ。見ておきなさい、魔闘拳士の本気を」

 一瞬彼らも何を言われたのか解らなかったが、やっと思考と記憶が繋がる。

「「「魔闘拳士!?」」」

 出来たのは仰天の声を上げる事と、カイのほうを向く事だけ。


起動アクティベイト

 彼の声が遠く流れる。

神々の領域第二段階ラグナブースター・ダブル


 吹き上がる魔力が周囲の空気を搔き乱した。


   ◇      ◇      ◇


 自信の表れだろうか? のそりのそりと前進していた炎虎フレアタイガーの足が止まる。異変に気付くくらいの正気は残っていたのかもしれない。


「そんな巨体、その脚で支えられる筈がないんだよね? 身体強化で支えているんだろうけど、どの程度動けるのかな?」

「グァルルル…」

 理解はしていないのだろうが、手をこまねくくらいには警戒しているようだ。


 両腕のマルチガントレットの彼らの紋章パーティーエンブレムが光輝を宿し、頬に光の紋様を浮かべたカイは余裕の表情で250メック3m近く上にある赤い双眸と視線を合わせていた。

 狂気の籠った双眸が面倒な障害物を見つけたかのように睨み、無造作に左前肢で払い除けようとした。あろう事か、その一撃は低い衝撃音と共に止まってしまう。そこには、自分の上半身より大きく遥かに重い上に力を込めて叩き付けられた足先を、掲げた右腕一本で受け止めている人間の姿が有った。


「ひっ!」

 カイが吹き飛ばされてしまうと思ったロインはつい顔を逸らしてしまったが、恐る恐る薄目を開けてみるとそこには信じられない光景が繰り広げられている。

 炎虎フレアタイガーの前肢を片腕だけで受け止めたばかりか、軽く手首を返して放った一撃がその前肢を弾き飛ばしてしまった。

「えええっ!?」

 ふわりと動いたカイの身体は次の瞬間には右前肢の横にあり、唸りを上げて走った蹴りが払い上げてしまう。自動的に支えを失った頭部が落ちてくると、踏み込んだ彼はその顎に左の拳を振り上げた。

 振り抜かれた拳とほぼ等しい速度で打ち上げられた頭は、あらぬ程の角度で折れ曲がったが反動で戻ってきて大地に打ち付けられた。

「うっ……、そ~?」

 身長140メック強170cmの人間が、頭頂の高さで450メック5.4mはある魔獣を打ち倒したのである。自分の目で見たのでなければ、とても信じられはしないだろう。


 巨大な炎虎フレアタイガーは軽い脳震盪に陥っているのか、首を振りながら立ち上がる。その赤い双眸は血走り、余計に赤く染まって殺気が宿った。

 その肩の周囲に再び紅球が現れると、少し距離を取ったカイに立て続けに深紅のビームが走る。だが、時遅く彼の姿はその場には無い。

 焼け焦げた大地からの熱気で陽炎が立つ向こう側、ロインの目には突然炎虎フレアタイガーの肩口付近に現れた青年が、思い切り振り被った右拳を振り抜く姿が映った。

 腹の奥まで響くような激しい打撃音が聞こえると、何と虎の巨躯が横に捲れてゴロゴロと転がっていく。そして、何本かの大木を薙ぎ倒してやっと止まると、何て事無いように声が掛けられる。


「お返しです。結構痛いでしょう?」

「ガルォッ!」

 怒りに痛みを感じなくなったのか、炎虎フレアタイガーは跳ね起きると、低く構えて突進の姿勢を見せる。

「嬲るつもりは有りません。終わりにしましょう」

 軽く地を蹴ったカイが舞い上がり、放物線を描いて炎虎フレアタイガーに正面から迫る。それを待ち受けていたかのように洞窟のように見える咢を開いた巨大魔獣は、彼に向けて灼熱の火柱を吐き付けた。


「あああっ!」

 空中にあるカイはそれを避けようがないと思ったロインの口からは知らず知らずに大きな悲鳴が漏れた。

 寸前にマルチガントレットを交差させて受ける姿勢を見せるが、火柱は真正面から彼を飲み込んでしまう。

「ダメぇっ!」

「問題無いわ」

 思わず顔を覆ったロインがチャムの声に顔を上げると、火柱が通り過ぎた空中には、光る盾を翳して金色の粒子を纏ったカイの姿が見えた。

「せめて苦しまずに逝きなさい」

 彼の右拳が目にも留まらぬ速さで打ち出され、炎虎フレアタイガーの額の真ん中に突き刺さる。一瞬、首を振って振り落とそうという様子を見せたが、虎はビクンと身体を震わせ固まってしまった。

 地に降り立ったカイの右腕は血に染まり、その先には光る刃が伸びている。


 ゆらりと傾げた炎虎フレアタイガーの巨躯は、地響きを立てて横倒しになると二度と動かなかった。

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