雲放つ狼

 彼らの心には戸惑いしかなかった。


 ここしばらくは現れなかった人間の気配を感じたのは昼の白焔たいようが中天に届く前の頃だった。

 偵察に出していた若い狼が駆け込んできて人間の来訪を報せる。殺気立つ者達を抑えて、冷静にいつも通り雲を放つ。耳や鼻がそれほど利かない人間は、それだけで恐慌を来す事が多い。あともう一押ししてやれば容易に逃げ去っていく。


 しかし、今回は難しいかもしれない。あの人間の街に、相当実力のある人間が訪れたと聞き及んで・・・・・いる。ならば、この場面は無理をすべきではない。

 相手が実力者であればあるほど、主感覚を閉ざされた状態で森の中までは侵入してくる事は無い。必ず圧倒的不利な状況を嫌うからだ。雲の密度を上げて、忍耐の一手が確実に仲間を守る方法。これは間違いない。


 群れの中には、人間を食い殺して見せて近付かせないようにする手段を主張する者もいた。しかし、その主張は年嵩の者達によって退けられている。人間相手に強硬手段を採っても、手痛い反撃を食らう事を経験的に知っている。そんな状況になれば数の少ない彼らのほうが滅ぶのが理屈である。


 やり過ごそうと雲を放ったが、人間達は立ち去らない。視覚を奪われているというのに右往左往もしない。これは由々しき事態かもしれないと思った頃に、彼らを動揺させる事態が起こった。

 人間の放った魔法が雲を吹き散らしてしまった。今までどんな魔法持つ者が現れても破られる事の無かった雲が、一瞬にして大部分が失われた。動揺が恐怖を呼び覚まし、唸り声を上げ始める仲間が出てそれを諫めねばならなかった。

 幸い、雲の勢力が押し負ける事無く、再び人間を包む事が出来たがやはり侮れない相手のようだ。


 雲の中に混ぜ込んだ魔力を感覚器のように用いて相手の動きを探る。迷いもせず真っ直ぐと向かってくる人間が感じられて、年嵩の者達さえもが怖気を震う。戦闘を覚悟して見交わした頃に人間達は森に立ち入り、そして止まった。

 彼らの鋭敏な耳が足音が止まった事を聞き付けると、次に重い物が幾つか放り出される音が続く。

「当座の食料置いておくから、あまりこの辺の人を脅かさないようにしてね」

 その言葉に、彼らは余計に混乱する。理解は出来ても意図が読めない。この人間達が何をしに来たのか解らない。


 雲の感覚器が伝えてくる人間の姿が遠ざかっていく。彼らは我に立ち返り、十分に離れていったのを確認してから、人間が置いていった物に近付いた。

 しっかりと確認しなくてはならない。それは毒の罠かもしれないのだ。手をこまねいた人間が新たな手段に打って出た可能性もある。放置された鹿からは毒の匂いはしなかった。魔核、人間が魔石と呼ぶ物は抜かれているが、火炎を司る鹿の仲間のようだ。


「ウォウオン、ウオゥ」

 許可を与えると群れの中から仔狼が飛び出してきて鹿に食い付いた。


 ここしばらくは、人間を刺激し過ぎない為に食事もかなり絞っている。育ち盛りには辛い状態だろう。だが、この狩場を人間に認めさせさえすれば、状況は改善する筈なのだ。今は耐え忍ぶしかない。

 その目標の為には、あの人間達も諦めさせねばならない。再来を告げて帰ったので、再びやってくると思うべきだ。


 これは相談・・が必要だろう。


   ◇      ◇      ◇


「居た~!」

 例の料理店で夕食を摂っていると三人の獣人少年少女がやってきた。

「あら、首尾よく狩りは済んだのかしら?」

「終わり~。納品してきた~」

「お疲れ様。同席する? 今陽きょうは奢らないけど」

「チャムが良いって言うなら」

「ああ、そうさせてもらおう」

 珍しくゼルガが勧めてくる。チャムは人見知りな彼も少しは馴染んできたのかと思った。


「ね~ね~、チャムってブラックメダルなんでしょ?」

 ロインがいきなり食い付いてきた。

「そうよ。誰かに聞いたの?」

「だって~、ギルドで噂の的だよ~。すっごい美人のブラックメダルが来たって~」

「君達、騒ぎの後に来たものね」

「見せて見せて~。見た事無い~」

 チャムが隠しから徽章を取り出して見せると、三人から「おおー!」と声が上がる。

「なんつーかその、チャムの品格ってのはこの実績に合わせて身に着いてくるものなのかな?」

「素直に偉そうなって言ってやれよ」

「あんた、良い根性してるわね?」

 チャムが睨みつけると、トゥリオはおどけて震えて見せる。

「ゼルガ達も二でスレイヤーまで上ったのもすごいって言われたけど、ここまで上るのにはすごく大変なんでしょうね?」

「一人でどうにかなるものじゃないのよ。時間はもちろん、運も出会いも大切。私はそれに恵まれていただけ」

「それでも尊敬します」

 ゼルガが彼らに向ける目はずいぶんと変わったように感じた。


「君達だってスレイヤーランクなんでしょう? 大したものじゃない」

 まだ年若く見え、しかもポイントが稼ぎにくいと言われる草食獣狩りをしていてランクを上げてきたというのは見事だと思った。

「ハモロ達も最初から草食獣狩りをしていたんじゃないんだ」

「あら、そうなの? 向いているからこそ今のランクが有るのかと思っていたわ」

「向いているかいないかって言われたら向いていると思うけど……」


 草食獣狩りは、対象の危険度が低いだけ得られるポイントはそれほど高くない。ただ、コンスタントに依頼があり、完遂難度は低めな為に平均してずっと稼げると言えばそうなのだ。


「言われるほどランクを上げにくい訳ではないんです」

 ゼルガは悟ったような表情で告げてくる。

「真面目にずっと続けていればそれなりに上がっていきます。でも、最初の頃はそれが分からなくて……」


 ごうを出てすぐの頃は、三人一緒でという条件で臨時パーティーを組んでの肉食魔獣討伐や、凶暴な農作物害獣の討伐もやっていたと言う。しかし、彼らが獣人の膂力と反射神経を発揮するのは見るからに明白で危険な役割ばかりを強いられ、拒もうとすると非難されたりもしたようだ。


「そんな状況が続く事も有って、三人で話し合ったんです」

「懸命ね」

「無駄に命を削るような事は止めて、自分達だけで地道に生活出来る方法を探したんだ」

 ハモロが結論を継いだ。


 確かに『倉庫持ち』が居ない彼らが、三人だけで狩りを続けるのは大きな負の要素になるだろう。それでも、セネル鳥と荷車があればカバー出来る程度のものである。

 後方支援が無くとも戦えるくらいに腕を磨いて、安定した暮らしが出来るくらいに個々を高めてきた。


「ロイン達も故郷に居る頃は狩人やっていたの~。山で動物や魔獣を狩って、郷に持ち帰る暮らしをしていたから、三人なら大丈夫だと思ってた~」

 無理に冒険者っぽく振る舞わなくとも、連携した狩りが出来ると信じていたらしい。

「信じられる仲間が居るなら、それ以上の幸せなど無いのですぅ」

「上手くいったんならそれで良いじゃねえか」

 彼らなりの苦労を労う言葉が自然に出てきた。

「ええ、三人で狩りを始めたら、またその頃の記憶が蘇ってきましたから。ナイフ二本だけを持って、皆で山々を駆け巡っていた頃の事が」

「ちょっと遠回りしたのかもしれないけど、君達は在るべき形に落ち着いたのだと思うわ」


 彼らにとっては大切な過去であり、大切な今なのは間違いない。三人である以上、未来もずっと同じで在り続けるのは難しいかもしれないが、心の置き処はそんなに変わらないのではないかと思う。


「スレイヤーランクなら、どこに行ってもそれなりの信頼が得られる筈よ」

「ああ」

 チャムは真剣な顔で、気休めなどではない事実として伝える。ハモロはそれに良い笑顔で答えた。

「何たって、この人よりランクでは上だもの」

「「「え!?」」」

 カイが現在ハイノービスだと教える。

「ちょ! カイ、何やってんのよ~!」


「僕なりに頑張っているんだけどね?」

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