雲狼の反応

 翌陽よくじつ、酔って帰ってそのまま寝入ったと思われるトゥリオを風呂に蹴り込んだ彼らは、朝食の席で依頼の高原に調査に出向く事を決定した。

 朝の賑わう表通りをセネル鳥せねるちょうを引きながら歩いていると、先陽せんじつの獣人達の姿を見つける。


「カイ、みんなもおはよう~!」

 向こうも気付いたらしく金一色の獣人少女が手を振ってきた。

「やあ、おはよう。ちょうど良かった」

「なになに~?」

「これから雲狼クラウドウルフの調査に行くんだけど君達もどうかな?」

「残念~、ロイン達もこれから狩りに行くところなの~。納品頼まれてて。ごめんね~」

 ハモロも何か言いたげにしていたが、ぺこりと頭を下げただけで止めてしまったようだ。

「案外、忙しいのね?」

「ああ、ハモロみたいな草食獣専門は依頼も受けるから」

「良い事だわ。無闇に狩っても卸し先が無ければ無駄になるものね」


 分業冒険者に於ける形態は様々で、大都市周辺であれば売り込み先に困る事は無いのだろうが、こういった宿場町くらいの規模だと大量に狩っても卸し先に困る事にもなりかねない。その為に、冒険者ギルドを通した受注制度が有り、草食獣狩り冒険者はそれに従って狩りに出るらしい。

 肉食魔獣狩りとなると不振に終わる事も少なくないが、草食獣狩りなら安定した成果が望める為に一般化した制度だと言えよう。


「悪い、手伝えなくて」

「構わないわ、君達の仕事だもの。頑張りなさい」

 彼は、チャム達がこの辺りに明るくない為に声を掛けてきたと思ったようだ。

「お肉、いっぱい仕入れてくるから、あの料理店に食べに来てね~」

「そうね、また伺うわ」

「そろそろ行こうぜ」

 ゼルガが二人を促す。

「じゃあ、またね~」

 四人は手を振り返し見送る。


 表通りを抜けた彼らも、件の高原に向けてセネル鳥に騎乗した。


   ◇      ◇      ◇


 高原に到着した頃には、八の刻半十時過ぎになっていた。

 その時間になってさえ周囲が薄霧に包まれているところを見ると、雲狼クラウドウルフは警戒して普段から視界を制限するよう動いているのだと分かる。


「見えないほどじゃねえな」

 ブラックの上で周囲を見渡したトゥリオは、当てが外れたように言う。

「まだ本気じゃないと思いますぅ」

「きっとね。この程度でビビる冒険者なんていないでしょ?」

 サーチ魔法の感知範囲内に多くの反応が有るのにカイは気付く。

「ああ、これはそんな効果も有るんだね」

「どうかした?」

「草食魔獣も結構入り込んでいるようなんだ」


 そう言われたチャムとフィノは、僅かながら強い魔力を感じる方向もあるのに気付く。その辺りに居るのだろうとは思うのだが、この霧そのものも魔法の産物だけに少し魔力を含んでいて確かな感触を掴む事は出来ない。


「知恵の回る草食魔獣は、この霧を利用して狩人の目から逃れようとしているみたいだね」

「だが、こいつは雲狼クラウドウルフが出してんだろ? 奴らに襲われんじゃねえのか?」

雲狼クラウドウルフは自分達が食料にする分しか襲わないんだろうね。人間の狩人や草原の肉食獣皆に狙われる危険を鑑みれば、彼らの餌になる危険性のほうが遥かに低いと踏んだんじゃないかな?」


 雲狼クラウドウルフは我が身を隠す為と食料確保の為に薄霧を作り出し、草食魔獣は危険回避に薄霧を利用する。或る種の共生状態が出来上がりつつあるとカイは感じた。


「それでも人間側はこの状況を放置する事は出来ないわね? 今は様子見していても、不満と不安が積み重なってきたら大きな動きをせざるを得なくなる」

 人に放置を決断させるには、この高原は少々近過ぎると感じるのはチャムだけではないだろう。

「だろうね? ほら来たよ」

 話している間にも高原の外れの森に近付いていた彼らは、そこから雲と見間違うような濃霧が噴き出してきたのが見える。

「勘付かれたね」

「すげえな、こいつは」

「はうぅー」


 一気に視界を奪われて恐怖感を覚えたのか、フィノは身震いする。それに気付いたトゥリオはセネル鳥を寄り添わせ、安心させるように背中に手をやった。


「どう? 居る?」

 その様子を白く霞む視界で確認しつつ、チャムが尋ねてくる。

「居るよ。でも、森の中だね。出てくる気は無さそうだ」

「ほんの数で私達の情報も向こうに筒抜けって訳ね」

 想定内とは言え、確認出来てしまった事実にチャムはため息を漏らす。


 カイのサーチ魔法の感知範囲では、森の中には確かに二百以上の数の生命反応が有る。半数以上が分散しているところを見れば、それは小型の樹上生活動物の類だろう。それを除いても、集団を形成している百近い反応がおそらく雲狼クラウドウルフだと思えた。

 彼らは完全に警戒しているらしく、固まったままで動く様子は見せない。カイは力の強い雄が周囲を固めて、群れを守ろうとする状態を想像した。


「どうするの? 場所掴めているなら突っ込む? とりあえず、正対して見なきゃ始まらないでしょ?」

 戦って撃退し追い散らすという選択肢も片隅に置きつつ、方針を問い掛けてきた。

「いや、今陽きょうはいきなり仕掛けるつもりはないんだ。挨拶って訳じゃないけど、僕達の姿勢を見せておこうと思ってね」

「やっぱりカイさんはあの子達を討伐する気は無いんですねぇ」

 フィノは胸を撫で下ろす。


 無益な殺生を好まない彼女は、そのカイの方針が嬉しいのだろう。彼が能動的に人を襲う魔獣には全く容赦しないが、そうでは無いものには非常に寛容であるとは知っていても判断はその胸の内にしかない。それが確認出来ただけでもフィノはこの調査を無駄足とは感じなかった。


「フィノ、この霧、はらえるかな?」

 カイの頼み事に応えるべく、フィノはロッドを掲げた。

 魔力が大きくうねる。その要望に応じようと大規模に魔法を使おうとしているのが分かった。

熱風ヒートストーム!」


 彼ら四人を中心に熱風が放出され、周囲の濃い霧が文字通り霧散していく。微細な水の粒として空中を浮遊していた霧が、熱されて水蒸気になって上空へ上がっていったのだ。

 それでも効果範囲は十分ではなかったらしく、雲狼クラウドウルフが潜んでいる森を視認するには至らなかった。それどころが、新たに溢れ出てきた霧が再び視界を閉ざしていく。


「すみません。無理でしたですぅ」

「いや、十分十分。一瞬でも高原全体の霧が掃われたんだから、彼らだってこっちの力量を掴めたんじゃないかと思うよ」


 熱風ヒートストームは本来、一方向に向けて熱風を吹き付ける魔法である。フィノはそれをアレンジして全周囲に放散するように制御した。更にその範囲が高原全体に及んだともなれば、間違いなく脅威に感じただろう。


「この辺で良いかな?」

 霧だけでは四人を追い払えないと思わせた上で、カイは改めて歩を進めていく。


 木立が確認出来る辺りまで来ても彼は止まらず、そのまま森に少し立ち入る。そして、下生えの無い拓けた場所に以前狩った体高200メック2.4m以上は有りそうな鹿の魔獣を数頭、『倉庫』から取り出して置いた。


「当座の食料置いておくから、あまりこの辺の人を脅かさないようにしてね」

 森の奥のほうへ向かって呼び掛ける。

「また来るよ。……帰ろう」

 振り返ると、カイは仲間に呼び掛けて踵を返した。


「あれで良かったの?」

 彼の意図が全く解らない訳では無いが、本音を引き出すべくチャムは尋ねる。

「うん、フィノの力も分かっただろうからね。敵に回さないで交渉したほうが得策だと思ってくれたなら良いんだけど」

「そうよね」

 彼女が信じた通りの答えが返ってきたので、微笑んで返した。

「それにだんだん解ってきたし、ね?」


 黒髪の青年は、未だ濃い霧を見透かすように眺めた。

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