魔闘拳士の敗北
膝から落ちて数度震えると、えずいて口端から血の筋が流れる。カイは勇者ケントをじっと見て告げた。
「もう良いでしょう? 貴殿の勝ちです。抜いて下さらないと癒す事も出来ません」
紫髪の勇者は
「いかん!」
女剣士ミュルカと魔法士カシジャナンはダッと駆け出した。
(マズい! マズい! これはマズ過ぎる!)
その国で英雄と謳われている人物を聖剣に掛けてしまうのは、どんな批判が来るか想像も出来ない。
ましてや、罪の確定している訳でもない人物に寸止め組手を挑んでおいて、重傷を負わせたとなれば何らかの罪に問われてもおかしな話ではない。衆目監視の下、こうも大胆に行われたとあれば弁明の余地も無いのだが、少なくとも速やかにこの状況を収拾する必要が有る。
血相を変えて走る二人に引き摺られるように盾士ティルトと女剣士ララミードも走り出したが、それを押し退けるようにカイの仲間達が駆け寄っていった。
カイは聖剣の剣身を掴み、歯を食いしばって引き抜く。放り出したその切っ先は側に落ち、地に食い込む軽い音を立てた。
「ごふっ! がはっ! げほげほ! ……
彼は盛大に血を吐き散らしながら自らの身体を回復させる。
「あ、ああ……」
ケントは「大丈夫か?」と声を掛けようと震える足を前に出すがそれは上手くゆかず、言葉にもならない。彼とて盗賊団など明らかに罪を犯し、そして襲い掛かってくる者達をその手に掛けた事はある。だが、組手の相手を誤って傷付けたり、ましてや互角に近い戦いを演じた相手を不本意にも命に関わり兼ねない怪我を負わせた経験などなかった。
咳き込み続けるカイに手を伸ばして支えようとしたが、横から突き飛ばされてたたらを踏んだ。
「大丈夫!?」
左肩を支えて正面に回り、跪きながら気遣う声を掛けるチャム。右肩はフィノが縋るように支え、トゥリオは横に片膝を突いて様子を窺っている。
「もう
人間の身体は案外強い。健康体であれば少々の体内出血は簡単に吸収してしまう。ただ、本来気道である場所を血が通り抜けるのが苦しいだけである。
「早く
カイを支えるのを仲間に譲ったミュルカがカシジャナンに強い口調で指示を飛ばす。
「すぐに」
「要らないわ。もう自分で癒してしまっているから」
「でも、そんな一瞬で治るような傷じゃ……」
「もう大丈夫です」
彼の前には、命には関わらないまでも、夥しい量の血が吐き出されていた。
「痛くはない?」
「本当の痛みはこんなものじゃありませんよ」
組手で打ちのめされ、のた打ち回るような痛みに帰宅も儘ならず、諏訪田の自宅に一泊した事も少なくない。カイにとって組手で味わう痛みは当たり前の事なのだ。
ともあれ、ミュルカ達は一つ、胸を撫で下ろしたのだった。
「俺、そんなつもりじゃ……」
やっと自分を取り戻しつつあるケントの口から弁解の言葉が漏れる。
「つもりが無くともこれはダメ! さっさと謝ってこの事態を何とかしないと!」
「す、済まない。本当に大丈夫か?」
ミュルカの叱責を受けてやっとまともな謝罪の言葉が出る。この事故の収拾を付ける為にまず最初にすべき事を指示し彼女らは思いを巡らせているが、ケントのほうはまだ覚束ないでいる。
「問題ありません。これは組手の上での事故ですから、誰も責任を取る必要などありませんよ」
その言葉を彼の口から聞いたミュルカ達は、少し落ち着いて状況を整理出来そうだった。しかし、その後に続いた言葉が彼女らを余計に動揺に導いた。
「誰かに
「しそう?」
ケントは聞いた事も無い単語に首を捻る。
「
カシジャナンを始めとした彼らの脳裏には歓迎舞踏会での一幕が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「お楽しみいただけておられますかな? 魔闘拳士殿のお陰でこのホルツレインも非常に豊かな国に変わりつつあります。ご満足いただけると自負しておりますぞ」
好々爺とした老貴族はケント達にそう声を掛けてきた。
「ええ、こんな立派な宴を設けていただけるとは、卑小の身には汗顔の至りでありますが」
「ご謙遜を。あなた方は世界を救う方々。どれほどの感謝を表しても足りぬでしょう」
こういう時の対応にはケントは向かない。已む無くカシジャナンが応対して、供としての言葉を紡ぐがそれを謙遜と受け取った貴族は持ち上げてきた。そこまで言われるとケントも気分が良くなって、称賛の言葉を伝えたくなってきた。
「すごい発展しているって聞いてたけど、こんなに見た事も無いものがゴロゴロしているなんて思ってもみなかったです。本当に凄いんですね、ホルツレインは?」
「ええ、外憂も取り除かれ、隣国とも友好関係が築かれています。商業は活性化して、何もかもが良好な状態に見えるかとは思いますが……」
そこで一拍置いたその貴族は、すこし眉尻を下げて困り顔をする。
「全く問題が無い訳でもございませんで」
彼曰く、国王陛下の英断や、魔闘拳士が生み出した発明品や産品でホルツレインは発展の一途を辿っている。それは望ましい傾向なのは間違いないのではあるが、王家の権限が拡大し最終決定だけでなく全ての流れが支配されかねない状況にあるらしい。
そしてその寵愛を受けている魔闘拳士は国内での発言力を増大させ、手を付けられない状態なのだそうだ。そのままでは国民の声を吸い上げた貴族達の声が政治に届かない事が起こりかねない。その傾向は既に見えつつあると言うのだ。
「それでも魔闘拳士を諫めようとする者も少なくはないのですが、彼はあの通りの武人でありその武威は伝説として大陸に轟いておりまする。諫言を耳に入れれば激発して何をされるか解らないとあれば二の足を踏む者ばかりで、懸念だけが膨らんでいくのでありまして」
王国の有様を憂う貴族は悲嘆に暮れているようで、その表情には悲痛な影が差していた。
「それはいけない!」
その様子に、義憤に駆られたケントは声を荒げた。
「武人が我がもの顔を始めれば碌な事にならない。誰かが止めなきゃダメだ」
「しかし、我が国には魔闘拳士以上の武威持つ者などどこにも居ないのですよ。諦めるしかありませんのでしょうな」
「その役目、俺がやりますよ」
勇者ケントは力強く胸を叩いた。
◇ ◇ ◇
「でも、あの貴族だってお前のの成した事を褒めていたんだぞ? 色んな発明品とかでホルツレインを豊かにしてくれたって」
動揺に目を泳がせたままケントは言い募る。
「嘘の中に事実を織り交ぜる。真意を悟らせずに讒言をその耳に忍び込ませる。詐術の常套手段でしょう?」
「彼の言う通りだ」
確認を取るように、魔法士に目を向けたケントに対してカシジャナンが答える。
「僕を英雄と敬ってくれるこの国の中枢にも、煙たがっている者が多数いるのですよ。その者達は君が僕を負かしてくれればいい。あわよくば殺してくれればいい。そう思って、その耳に嘘を注ぎ込むのです」
勇者ケントの評価を著しく下げたカイは彼の呼び方を変えた。
本当なら組手の前の話の中で違和感に気付いて欲しかった。しかし、一つの考えに捕らわれて色眼鏡でしかカイを見られなくなっていたケントは、敬意を持つのは難しい相手になってしまったのだ。
逆に無関心でいられなくなったカイは、勇者に現実を教え込む気になっていた。
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