勇者の来訪
勇者パーティー
ねっとりとしたコクと旨味が口中に広がり、香ばしい香りが鼻を突く。
「あー、何となく予想は付いていたのに……。敗北感」
「喜んで負けちゃいますぅ。太ってもいいから、お腹いっぱい食べたいですぅ」
「
長パンに切れ目を入れて軽く焙り、自家製のバターを塗る。そこへスライスしたスモークチーズと野菜を挟んだだけの調理パンが女性陣を魅了している。
この
牧場製のプロセスチーズは柔らかく、肉や魚のように熱燻や温燻では溶けてしまう。この為、一晩掛けての冷燻にする。燻煙小屋は吸排気の開口調整で全てに対応出来る設備にしたので、苦労する事も無かった。保存・流通の事を思えば、残水分量の減る冷燻は向いていると言えよう。
牧場の牛乳の収量は意図的な繁殖を行っていないのに十分な量が確保されている。各々の院には
その余剰分はモノリコート製造所からの引き合いが有って納品されていて無駄にはなっていないのだが、スモークチーズ作りも軌道に乗せておきたくて、カイは出来るだけ生産するように指導していた。
「これで牧場もひと段落かな?」
うんうんと頷きながらチーズサンドを味わっていたカイが満足げに宣言する。
「少し時間をもらうよ。一
「それは構わないけど、まだ何か仕込む気なの?」
フィノと見交わした後にチャムが言ってくる。
「正直に言うと、それ以上の強化が必要とは私は思わないわ。今だって身体の負担を思うと行き過ぎだと思うもの。それほどの相手がどこに居るって言うの?」
レスキリの耳が有るのでぼかしているが、彼女は魔王以上の敵など居ないと言いたいのだ。
「どこに居るのかは僕も知らないんだけどね」
「!」
チャムは瞠目する。その存在は確かに一度関与してきているだけに彼女も否定出来ない。
「これは守りの保険みたいなものだから、身体の負担にはならないよ。心配してくれてありがとう」
「それは良いの……」
「ほら、
そう連絡があったのを利用して、妙な雰囲気を打ち消そうとするフィノ。
「不安ね?」
「不安だね?」
「不安かも?」
「何でそんな酷い事言うんですかぁ!」
フィノの絶叫が居間に木霊した。
◇ ◇ ◇
港町カロンに五人の男女が降り立った。
長大な剣を背負った青年は紫色の髪に金色の瞳を持ち、整った顔立ちをその長身に備えている。見事な作りの
「足元がふらついているわ、ケント」
「そんな事言うなよ、ララミィ。俺だってこんな長い船旅は初めてだったんだ」
まだ揺れているかのような感覚がケントと呼ばれた青年を支配しているのだろう。
声を掛けた若い女は非常に麗しい見目をしていた。
腰まである長い黒髪をポニーテールにして、勝気そうな茶色の瞳に通った鼻筋、その下に桜色の唇が輝いている。意匠を凝らした
「ララミィだって船出した時はあれだけ騒いでいたじゃないのよ」
「言わないで、ミュルカ。船、初めてだったの」
恥ずかしげに頬を染めている辺りが微笑ましい。
ミュルカと呼ばれた女性は少し年嵩で、二十代後半くらいに見える。雑に切られた胸くらいまでの黒髪に、鋭さを感じられる黒い瞳を持つ美形である。しかし、左顎に剣の傷跡が有って、それが凄味になってしまっている。
「ミュルカは船旅慣れているんだな」
「そうね、ティルト。でも、あたしが乗ってたのはほとんど川船よ。安くて速い移動手段だからね」
海の船旅は経験が少ないことを暴露し、彼女は自嘲する。見栄を張るような性格では無いらしい。
彼女に話し掛けた男は、実に幅の有る筋肉質の体を誇っていた。短くした黒髪に青い瞳が填まっているが、その顔立ちはまだ若さを感じさせる。ケントと同じくらいだろうと思えた。装備もケントと同程度の物を着けているが、その下にチェーンを縫い付けたボディーアーマーも着込んで防御力を上げている。傍らに大きな盾と大振りなメイスが立て掛けられていて、彼が盾士であると知れた。
「それでもミュルカは迷惑になっていないだろ? ティルトみたいに二人分の重量食わないからな」
「うるせえ、さんざん動き回るなとか船が傾くとか言いやがって、あのでかい船が俺一人分で傾く訳ないだろうが!」
どうもその見た目から、船旅の最中はいじられ続けたらしい。
盾士の男をいじっていたのは細面の若い男だ。肩まで届かないくらいの黒い蓬髪に、紅い瞳が目を引く。顔立ちは端正なのだが、全体に無造作な感じが少し印象を悪くしているように思えた。腰ベルトに付いた輪にロッドが差されており、彼が魔法士なのは一目瞭然。ローブの下に着こんだ防刃皮革製と思えるベストとズボンが彼の防御力の全てだろう。
「軽口はここで吐き出しておいてくれよ、ジャナン。これからホルムトに着いたらお城に挨拶に伺わないといけないんだからさ」
「分かっているさ、ケント。場を弁えて、精々勇者パーティーメンバーらしくするさ」
皮肉屋の彼が言った通り、彼らは勇者ケントを中心とした勇者パーティーなのであった。
「しっかし、すごい湿気だな。さすが西方だぜ」
ティルトは手巾で汗を拭き拭き言う。筋肉量が多い彼は元々体温が高い為に余計に堪えるのだろう。
「確かに湿気は多いのね。ベタベタするのは不快だけれど、肌には良さそう」
「え!? そうなの? 肌に良いの?」
東方は、中隔地方ほどの乾燥地帯ではない。それでも西方に比べれば十分に乾燥していると言えよう。そこで生まれ育った彼らには、この湿気は不快感しか感じないかもしれない。
「乾燥はお肌の敵」
「解った。私、一つ賢くなったわ」
「でも、汗は拭いたほうが良いわ。肌が荒れちゃうから」
汗を流しながら我慢の姿勢に入るララミィに、ニマニマと笑いながらミュルカが言う。
「どっちなのよ!」
「どちらにせよ、汗臭い女はケントは嫌いだと思うわ」
「早く言って……、じゃなくてどうしてそうなるのよ!」
真っ赤になりながらキャンキャンと吠えるララミィを、ミュルカは楽しそうに眺めている。
今は駅馬車の旅の最中だ。東方を旅していた時には立派な馬にそれぞれが乗っていたのだが、長い船旅になると思い手放してしまった。
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