聖弓の後継者
樹上から狙いを定める。大牙狼は音もたてずゆっくりと歩き回りながら、時折り地面の匂いを嗅いでいる。獲物の匂いでも追っているのだろうか?
動きの機敏な大牙狼の目を狙うのはあまりに難しい。祖父が言っていた通り、的として大きい首を狙うべきだろう。一撃で絶命させるのは困難だが、当てる事さえ出来れば襲い掛かってくるなり、逃げ去っていくなりする間に血を失い過ぎて死んでしまう筈だ。
一瞬、息を止めて集中し矢を放つと、大牙狼の首に見事命中した。やはり一撃と言う訳にはいかず、牙を剥いて襲い掛かってきた。しかし、ジュダップはは樹上に居る。大牙狼の爪は幹を削るばかりで、上がって来る事は出来ない。
「はい、おめでとう」
「すごいね。弓ってあんなに正確に狙えるものなんだね?」
しゃがんで大牙狼が事切れているのを確認していたら、彼が潜んでいた同じ枝から男女がトンと飛び降りてきて、口々に褒めてくれた。
獲物を発見した後、祖父に助言を受けてからジュダップがその樹に登って太めの枝に収まると、彼らは大地を蹴っていとも簡単に同じ枝に跳び上がってきた。それには驚かされたが、彼らは身体強化能力を持った冒険者達だ。軽い身体強化しか持たない彼とは大きな差が有るのは仕方なかろう。
矢を抜いたら、離れて見ていた犬耳の女性が近付いてきて、大牙狼の傷口から流れた血を洗い流してくれると、黒髪の青年が手早く毛皮を剥いでいく。実に手慣れたものだった。
「ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。こういうのは場数だから、良く見てコツを覚えてね。出来るだけ傷を付けなきゃ高く売れる毛皮になるから」
「カイ兄ちゃんもずっと狩りをしていたの?」
「僕は魔獣専門だけどね。決して少なくない数を仕留めてきたよ」
「だからそんなに上手なんだね?」
「君もすぐに慣れるよ。立派なお師匠様が居るんだから」
別の樹上でもしもの時に備えていたフェンディットが近付いてきている。
「どうだった、爺ちゃん?」
「好機を逃しているところは有ったが、今は慎重なくらいで良い」
「こいつぁ厳しい師匠だな。きっちり仕留めたのに褒めてくれないとはな」
「お爺様なりに褒めてくださっていると思いますぅ。良かったですねぇ」
頭を撫でられてはにかむ様子を見せた後、輝くような笑顔を自分に向けてくる孫を見ているとフェンディットは胸が痛んだ。もしかしたら過酷な運命を彼に背負わせなければならない。フェンディットも聖弓を継いだばかりの若い頃は、いつ弓が鳴くか気になって熟睡出来ない夜ばかり過ごしていたように思う。
ジュダップが同じ思いをするのか、自分だけの事だったのかはまだ分からない。それでも愛しい孫の幸福を奪うような決断をしなければならない。迷いの中、それを強いるであろう自分に歯噛みする。
カイの言った通り、ジュダップの決意を確認しても良いのではないだろうか? だが、孫がそれを拒めば山守りの役目は途絶えてしまう。そうすればフェンディット亡き後、
勇者の仲間であったフェンディットの祖先は、何を思ってこの山守りの役目を引き受けたのだろうか? 彼なり彼女なりの血族ならば、きっと役目を成し遂げてくれると信じて聖弓と名を残して逝ったのだろうか? フェンディットはその思いを裏切る結果を出してしまう事が恐ろしくて決められない。
自分が決められないからと言って、その決断をジュダップに委ねるのは怠慢なのではないか? 自分が決めたとなれば彼は絶対に役目を放り出せなくなる。もちろん放り出されては困るのだが、嫌々苦しみながら続ける役目と、高い志を持って臨む役目では心に掛かる負担は段違いになるだろう。最悪、寿命を縮めるような事にもなりかねない。
(儂は……、どうすべきなのだ?)
◇ ◇ ◇
ジュダップは隣を歩くカイを見上げる。本当に不思議な人だと思う。そういう訓練をしてきた彼に勝るとも劣らないほどに気配を殺し、音を消して付いてくるからだ。
彼らが狩りに着いてくると言った時にジュダップは、
全く獲物に出会えず、ただ森を歩き続ける行為は苦痛でしかない。一
ところが彼らはほとんど音を立てない。理由を訊くと、冒険者の依頼の中には人に気取らせないような行動を必要にするものも有ると笑って教えてくれた。でも、それはそんなに簡単な事ではないと思う。たぶん、彼らも人知れず訓練していたりするのだろう。
「ねえ、ジュダップ。君は何で狩人になろうと思ったのかな?」
抑えた声で囁くようにカイが問い掛けてくる。
「お父さんの仕事を見て憧れたりしなかった? 或いは別の仕事を目指しても良いんだって思わなかった?」
「ううん、全然思わなかったよ。僕は爺ちゃんみたいな狩人になりたかったから」
「どうしてか教えてくれる?」
当然かのように答えたが、彼はそれを変に思ったらしい。ジュダップにそんなに選択肢が有ると思ったのだろうか? 街の子なら色んな選択肢があるのかもしれない。それだけ多くの仕事に触れる機会も多いだろうが、ジュダップにはそんな機会はない。
知っているのは狩人の仕事と弓職人の仕事だけだ。他の仕事なんて何をやっているのかも知らない。でも、彼はそんな必要性を全く感じていないのだった。
「だって爺ちゃん、格好良いでしょ? トゥリオ兄ちゃんみたいにでっかい身体をしている訳じゃないのに、すごい大きな獣だって普通に狩って来るんだよ?」
「なるほど。確かにそうだね」
「それに、爺ちゃんは僕の英雄なんだ」
この事になると、彼はつい我が事のように自慢げに語ってしまう。
「時々、急にあの白い弓を持って出掛けて行く時が有るんだけど、そんな時はほとんど何も狩って帰らないんだ」
「獲物が無いのに格好良いの?」
「うん。爺ちゃんはきっと悪い奴をやっつけに行っているんだと思っていたから。だって、いきなり夜中に出掛ける事だって有るんだよ」
「見ていたのか?」
フェンディットは驚いたように尋ねる。
「何かこう、胸の奥でモヤモヤってして目が覚めちゃった時には、大体外見たら爺ちゃんが出掛けていくところだったもん」
「そうか」
「ほんとにちっちゃかった時は恐い人をやっつけて、父ちゃんや母ちゃんを守っているんだと思ってた」
ジュダップは振り返ると祖父を真正面から見据えた。
「やっと分かったよ。爺ちゃんはあの黒い奴をやっつけに行ってたんだね? あれって絶対に悪いやつでしょ? 金色猪に目もくれずに僕に向かって来たもん。あれが何かは分からないけど、人間に悪さをする化け物なんだ。それをやっつける爺ちゃんが一番格好良いに決まってるよ」
「ジュダップ……」
「だから僕は将来、爺ちゃんみたいな狩人の英雄になるって決めてたんだ」
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