楽しい潜伏生活(3)

「ただいまー。チーズ買ってきたよー」

「待ってたわ! 愛しているわよ、カイ」

「お待ちしてましたぁ。大好きですぅ」


(主語がチーズでなきゃ最高なんだけどね)

 笑いには苦い色が混じっている。


 彼ら四人には空前の燻製ブームがやってきていた。赤バスはもちろん、狩った魔獣肉も燻製、ストックの豊富にある卵も茹でて燻製、根菜類も試しに燻製。

 その中でも比較的ストックの少なかったチーズが最高評価を得ていて一瞬で食べ尽くしてしまったのである。そのまま食べ、焼いた平パンに挟んで食べ、ほぐして麦飯の上に乗せて食べ、様々な方法を試しては消費しているのだから、ストックが少ない物などあっという間に無くなってしまう。


 そんな時にカイがポーレンまで潜入しに行くとなれば、色々と注文が殺到するのは自明の理である。平服になれば目立たない顔つきに珍しくない黒髪。機転も利くカイが潜入工作役を担当するのはほぼ一択になる。その彼に、この森林地帯では入手が困難な加工品などの食材の調達をお願いしてあったのだ。


 その間に三人が何をしていたのかと言えば、あの後カイが作った大型燻煙器に食材を放り込んで焚口にチップをばら撒き放置。手が空いたらめいめいが森林を散策し、新たなチップになる樹木の探索である。そのお陰で大型燻煙器の脇には大量の枝が分類されて山積みにされている。その前ではトゥリオが大汗をかきながら、木株で作った台の上で枝に鉈を振るい、せっせとチップ作りをしている。


「大変そうだねぇ。置いておいてくれれば僕がやったのに」

「良いのよ。あれくらいにしか役に立たないんだからやらせときなさい」

「勘弁してくれよ。俺だって結構枝拾ってきただろうが」

「でも、あんた、赤バスの開き干しから綺麗に身を外したり、魔獣の肉を程良い大きさに切り揃えたりとか下手くそじゃない。自然とそんな役しか回って来なくなるでしょ?」


 どちらかと言えば不器用なフィノでも前述の作業や、卵を茹でたりといった作業は上手にやる。その辺を見極められてしまったトゥリオは、チャムにチップ作りを命じられてしまったのだ。

 燻製の味はチップによって変動する。有望なチップ探しは彼らも平等に競って勝った負けたと楽しんでいるが、それ以外の作業に関しては役割分担が出来上がりつつあるのだった。


「やっぱり手配されていたよ」

「仕方ねえだろうなぁ。結構な騒ぎになっていたし」

「当分ポーレンには近寄れないわね」


 カイが冒険者ギルドで確認してきた手配書にはちょっとした額の褒賞金が書かれていた。

 ただし、その手配内容はそれほど詳細な物ではなく、黒髪青髪赤髪獣人女といったごく限定的な情報でしかない。似顔絵や細かい容姿などの人相書きではなかったのだ。それを頼りに探索するには十分な情報かもしれない組み合わせだが、それほど注意を引いていなかったのも事実。

 その理由は曖昧な罪状。国家転覆罪という市井の民には縁遠い罪状は、人々に危機感を抱かせない。強盗や殺人といった罪ならば、いつそれが我が身や家族に降りかかるかと熱心になろうものだが、その内容で注意喚起出来るのは衛士や兵士が精々だろう。


「下拵えが済むまではどうせ何にも出来ないから、のんびりしていればいいから」

「あの魔人を引き摺り出さなければ手が出せないものね」

「そっちは任せて良いのかよ?」

「すぐには無理だけど、ちょっとずつ手繰り寄せるから待っててね」

 タブレットPCに夢中になっているフィノの横でそんな会話が行われていた。


 しばらくするとカイは(もう辛いや)と言って横になる。すぐに寝息を立て始めた彼の頭を持ち上げて、チャムはその膝の上にゆっくりと下した。

「幸せそうなつらしやがって」

「この人に頑張らせているんだから、このくらいはしてあげなきゃね」


 この後、彼はこの時の至福の寝心地を滔々と語り、チャムに苦笑いをさせるのであった。


   ◇      ◇      ◇


 翌朝、仕込んでおいたチーズが見事な茶色に染まっているのを確認して、歓声を上げる一同。出来上がったばかりの燻製チーズは、朝食の席で彼らを唸らせ顔を綻ばさせる。申し分無い出来上がりなのだが、チャムがポロリと一つ零してしまう。


「美味しいのよ。すごく美味しいのだけれど……、作業中に身体にも匂いが移っちゃうのよねぇ」

「そうなんですぅ。自分の身体からも美味しそうな匂いがするのは女の子としてちょっと……」

 彼女達も、こまめに湖水で沐浴したり衣服を洗濯したりはしている。どうもそれでは追い付かないという主張らしい。

「お風呂作らないといけないか」

「そりゃ無理だろ。いくら誰も来ないような森林の中とは言え、ひと処に居付くのはマズくねえか?」

「もちろんそうだよ。だから作るなら基礎からでなく浴室だけ」

 その言葉に女性陣二人から懇願の眼差しを浴びせ掛けられれば否やは無い。


 まずは素材集めから始めなくてはならない。浴槽と床材の一部は改築時に使ったカラハム材の残りが使える。しかし、その他の壁や屋根に使う素材は現地調達が必要だ。皆で森を巡って倒木の残り具合を調べつつ、耐腐食性の高い木材を見繕うのに半を費やした。

 昼食の準備を快く引き受けてくれた女性陣に任せて、カイは素材を平板に変形させる作業に入る。


 昼食を終えて、真っ平な土地を作り上げたら、床組みの足になるつかを幾つも立てた。束の下には厚みのある硬質な金属板を留め付けてある。その束の上には大枠を囲う四方の土台と、その中に床板を支える大引きおおびきを掛ける。その上に根太ねだを転がし、床板を張り付けていった。下に水漏れすると使っている内に傾いてしまい兼ねないので、融着して水密を高くする。排水は床回りを通って、樋で排出するような構造。

 次に土台から柱と間柱を立てていき、屋根土台になる軒桁のきげたや梁を渡す。屋根は三角屋根ではなく、斜めに傾げているだけにした。雨天時も使用出来るだけで十分だからだ。壁材の平板を張り付けていくと大まかな形にはなってくる。


「いっその事、家ごと作ったほうが早いんじゃねえか?」

 彼が思っていたより凝った作りにしているのを見て、トゥリオは問い掛ける。

「やって出来ない事は無いんだろうけど、それだけの平らな場所を確保するのが難しいからね」

「だがよ、これだけでも格納すりゃ結構圧迫しちまうだろ?」

「それは大丈夫。反転リングに繋げるよ」

「お風呂リングね?」

「それは便利ですぅ」

 それはそれで売り物になりそうな物を考える、とトゥリオは思う。


 中に浴槽を据え付け、扉を付けて昇降階段も取り付ければ一応は機能する浴室にはなった。床近くの壁には各所に格子付きの通気口が設けられ、屋根の高いほうにはやはり大きめの格子窓が付けられている。それで程良く蒸気が抜け、中がサウナみたいにならない配慮だ。

 外部に別の土台を組み上げると、その上には前に作ったのと同じ焚き釜を据え付け、その上に注水槽を設置する。最後に、内部の壁に魔獣除け魔方陣を刻印し、扉にも魔法錠を刻印したら完成だ。排水樋の先にはもうトゥリオが穴を掘っていた。いつでも使える状態である。


「では、お姫様方、お試しください」

「ええ、喜んで」

 程なく、簡易とも呼べないほどの出来の風呂の中からは、彼女達の嬌声が聞こえてくる。どうやらご満悦の様子だ。トゥリオは落ち着かない様子を見せるが、覗き込めるような場所は設けていない。カイはその辺は紳士である。


(あ、反転リングに繋げるの忘れた)


 彼は肩を竦めて、専用の反転リングを作り始めるのだった。

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