霧の小人亭にて

 フラグレンはアルギナと共に、チャムとトゥリオに付き従って大通りを歩いている。

 チャムが「恥かかせて悪かったから、美味しいものご馳走してあげる」と、放校後の予定を聞いてきたので、一の二も無く食い付いた。


(チャムお姉さまとお食事。んふ。恥ずかしい思いして良かった)


 フラグレンはウキウキで冒険者学校の井戸で沐浴して、私服に着替えてこの後のひと時を楽しみにしている。


「師匠、どこに行くんですか?」

「もうちょっと歩くぜ。だが、心配すんな。その甲斐は有るから」

「はーい」

 アルギナはアルギナで、トゥリオと一緒に食事できるのは嬉しそうだ。彼女のそれは恋愛感情ではなく、刷り込まれたように尊敬の念を抱いているように見える。

「チャムお姉さま」

「何?」

「お姉さまくらい強くなったらもう、恐いとか思わなくなるものでしょうか?」

「まさか。恐いものは恐いわよ。死を覚悟するくらい追い込まれた事なんて数え切れないほどあるし」

「そんなにですか!?」

 あまりに意外な告白。

「それでも何とかなってきたから今ここに居られるの。無様に見えても、歯を食いしばって諦めないでいたからかしらね。最近はそんなに恐い思いする事も無くなってきたけど」

「わたしから見たら、どんな相手でも負けたりする姿が想像出来ませんけど」

「そんな事は無いわよ。今朝は薙刀じゃなかったから、こてんぱんにされたし……」


 語尾がもにょもにょと消えて行ってしまったのが不思議だ。トゥリオはニヤニヤと笑っているし、何か有るんだろうとは思うが、あまり突っ込むのも憚られるような雰囲気だった。


「お二人は恋人同士ですか?」

 アルギナが臆面もなく言うので、フラグレンはドキリとする。どうにも口にし辛かったのにズバリと訊いたからだ。

「それだけは止せ! 命が幾つあっても足りねえ!」

「あんた、その言い方は激しく語弊があるわよ?」

 まるで恋愛と対に加虐趣味の有る特殊性癖を持っているように聞こえる。

 実際に思春期の乙女達は「きゃあ」と頬を染めながらも興味津々の反応をする。

「違うって。こいつに惚れてる奴にぶっ飛ばされちまう」

「えー、チャム先生以外に師匠をそんなに一方的にやり込めるほどの人が居るんですか?」

「世の中、広えんだ。とんでもねえのが居るもんだぜ?」

「「へー」」


 二人は理解出来たんだか出来ないんだか分からないまま相槌を打った。


   ◇      ◇      ◇


 立派な構えの高級旅宿の看板を見上げてフラグレンは納得顔になる。


「『霧の小人亭』ですね?チャムお姉さまクラスの冒険者でしたら当然です」

「知ってるの。ラグ? ここは有名な宿屋さん?」

 未だスリッツに明るくないアルギナは、宿屋とは思えない大きな建物を見回している。

「ええ、有名よ。一般向けとしては最高級クラスじゃないかな? でも、ここは料理店としても有名なの。私も宿泊した事は無いけど食事に来た事は何度かあるわ」

「そーなの? 残念でした、師匠。ラグは知ってるって」

「まあそう言うなよ。蓋を開けて見なきゃ分かんねえもんだぜ」


 思わせぶりな事を言うトゥリオに、フラグレンは首を捻る。彼女が知っている限り、確かにここの料理は高級に分類されるだろう。それでも上には上が有り、貴族向けの高級店は他にも多々在る。それらもフラグレンは知っている。


「入るわよ」

 耳には入っていた筈なのにチャムにも動揺が見られず、彼女は余計に解らなくなった。


 一階の食堂の扉をくぐると、店内の落ち着いた感じの空気が流れ出てくる。ほとんどの席が埋まっており、それなりに賑わった雰囲気もあった。


「ここですぅ、チャムさん!」


 背の高いトゥリオは非常に目立つ為、良い目印になっているらしい。席に近付くと、ちょっと大きめのテーブルに獣人少女が着いている。隅のほうに追いやられてはいるものの、席は確保出来たようだ。

 ブチの有る白い毛皮を持つ獣人少女は、肩口で切り揃えられた緩やかに波打つ栗色の髪の毛の間から垂れた犬耳が覗いており、口元は幾分突き出ているものの、顔はほとんど地肌が表れていて獣相が薄い部類に属する獣人だと思われた。

 ピンクの鼻の下には小作りな犬口。大きく円らな目は長い睫毛に縁取られ、青い光彩を放っている。そして特筆すべきは、胸元を押し上げる豊かな双丘だ。二人の少女はつい羨ましげに眺めてしまった。


「生徒さんですかぁ?」

 キョトンと二人を見つつ、小首を傾げている様を見ると、本当に愛らしいとフラグレンは思う。

「そうよ。一緒でも構わないわよね?」

「はい、いっぱい用意してくれるって言ってましたから大丈夫ですぅ」

 トゥリオが何も言わないところを見ると、甘ったるい喋り方は地なのだろう。

「この子がフィノよ。うちの主火力」

「火力!? 魔法士なのですか?」

「変かしら? 対多数の殲滅力なら私なんか目じゃないわ」

「それは役割の話なのですぅ。フィノはトゥリオさんやチャムさんに守っていただかないと何も出来ませんから」

 それは謙遜だろう。チャムは生半可な事では他人を誉めない厳しさを持っているとフラグレンは思う。

「フィノさんも高ランク冒険者ですよね? 魔法士科の講師をされないのですか?」

 ランク的なバランスは取れているのだろうと思ったアルギナは、何気なしに疑問を口にする。

「お勉強の時間を取りたかったので遠慮させていただきましたぁ」

「魔法士の方は向学心が高いのですね」


 それがフィノの気遣いだとフラグレンは気付いた。

 他国の魔法士に向けられる目は厳しい。ただでさえ魔法士科に臨時講師が入る事は少ないのに、それが獣人では弾かれてしまっても不思議ではない。彼女はフィノの気遣いに甘える事にする。


「お疲れ様。それと、いらっしゃい。君達は学校の生徒さんだね?」

「はい」

 二人は自己紹介しつつ、現れた青年を見上げた。

 ゆったりとした平服にエプロンを付けた黒髪の青年は、彼らの前に料理を並べていく。

「お腹空いているでしょう? 温かい内にどうぞ」


(あら、こんな料理人が居たかしら? 初めて見る顔だわ)


 一往ひと月強くらい前に訪れた時には居なかったように記憶している。新たに帝国人の料理人を雇ったのかとフラグレンは思った。


「来ましたですぅ!」

 獣人少女の尻尾は千切れんばかりに振られている。

「もう、フィノったら。がっつかないの」

「はわぁ、お預けは辛いですぅ」

「仕方ないわねぇ。先に食べてなさい。彼が私達のもう一人の仲間よ」

「「え!?」」

 フィノを嗜めてから、二人に向き直ったチャムの台詞に耳を疑った。

「あの、チャムお姉さま? この方もパーティーメンバーだと?」

「ええ、そうよ」


 驚きに目を見開いたまま、改めて青年を観察する。

 背は140メック170cm弱くらいだろうか。引き締まった身体つきの上には黒髪の頭。瞳も吸い込まれそうな黒で、穏やかな光を湛えている。

 目元も鼻も口元も鋭さを感じさせ、配置にも大きな問題はなく整っているのに、どこかのっぺりとした感じを与える。失礼ながら、お世辞にも美男子の部類には入らないように思う。


 彼女の評価も致し方ない事だ。この世界の人間、特に西方や中隔地方の人は非常に彫りが深い。鼻が高い訳でなく、凹凸に乏しい彼の顔はのっぺりと感じてしまうだろう。

 日本人でなら中の上くらいに位置していても、こちらでの評価は中の下くらいに下がってしまう。トゥリオの顔に馴染んできた二人にしてみれば、更に評価が下がったとしても変な話ではない。


「彼はカイ。料理が上手なのよ」


 朗らかに微笑む彼を指してチャムが言った。

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