チャムの懊悩
「ずいぶん懐かれてたじゃねえか」
カイ達四人は、今は霧の小人亭の一階の食堂で夕食のテーブルを囲んでいる。出てきた料理は見慣れないものだったが味は最高で、チャムは舌鼓を打っていた。
「どこまで本気なのかは分からないわよ?」
「だがよ、顔は真剣そのものだったし、あの女の子は結構使えてたじゃねえか」
「ラグよ、トゥリオ」
トゥリオが
「ふーん、見てあげるの?」
「無理よ。私は指導の専門家じゃないもの。冒険者学校でやる基礎くらいまでは見てあげられるけど、深い部分になると教えるのは難しいでしょ?」
カイの問いに否定を示す。
「良いじゃねえか。女の子の手習い程度で良いんだろ? ラグは貴族なんだし」
彼女が家名を名乗った事と、その所作で貴族であるのは明白だった。
「ラグが求めているのはそれじゃないと思うわ。きっと本物の剣が知りたいのよ。だって、あの年頃の女の子が遊びや恋にうつつを抜かさず、毎朝晩素振りを欠かさないなんて何かの覚悟が有るとしか思えないじゃない?」
「あー、それは確かに難しいかもね。多少使えるくらいからはチャムに付いていくのは大変だと思うよ」
ミルム達を見ていれば解るように、指導者としてのチャムは非常に厳しい。自分が遥か高みを目指している分だけ、後進にも高いレベルを要求して来るのだ。
「君の剣に耳を傾けるには相当の技術が必要になってくるし」
(やっぱり解ってくれているのね)
チャムは喜色を露わにカイに笑み掛ける。
チャムの剣は言葉同様、悪い部分を徹底して教え込もうと突いてくる。その語り掛けてくる剣は実に雄弁だ。彼女は剣の深みに誘おうとしてくる。
対してカイの指導法は大きく異なる。相手が見た事も無いような変幻自在の技を見せてくる。その対処を相手に考えさせ体得させると共に、意表を突かれた時に動揺しない精神的強さも育もうとしている。彼は武技の世界の広さを見せてくれる。
それだけ性質の違うこの二人が組み合っているところは、並の武芸者には理解の及ばない世界を現出している。トゥリオは正直、その世界に僅かに足先だけでも踏み込めている自分を大したものだと思っていた。
「貴族かぁ。何か理由が有りそうだよね?」
顎に手を当てて思案げにするカイに、チャムも難しい顔を見せる。
「中途半端に絡むべきじゃないと思うのよ。とりあえずは様子見するわ。ラグの覚悟が本物なら、諦めはしないだろうし」
その過程で彼女の事情は伝わってくるだろうとチャムは語る。
真剣に取り組むのなら最初から専属指導者を雇うだろう。それが出来ないほどの貧乏貴族なら剣どころではない。女だてらに剣を手にするのを反対されているなら、冒険者学校に通う事も許されはすまい。どれを採っても決め手に欠ける前提条件だ。
「そんなに強さに理由が必要か?」
トゥリオは前提以前の問題に疑問を持ったようだ、
「あのくらいの年頃の話だぜ。自分を変えたいだけでも剣を手にする事だってあるだろう」
「それが街の子供なら解らなくも無いんだけどね。貴族なら、もう身の振り様を考えなきゃいけないくらいじゃないかな?」
「何も考えていなかったのは、あんたくらいでしょ?」
「何も考えてなかった訳じゃねえよ。いじけてはいたがな」
自己分析するくらいには成長しているとチャムは思う。
「結局はそれなのよ。あのくらいの年頃って一生懸命考えるのに、自分が何をやりたいのかが見えていなかったりするのよねぇ」
男二人が非常に苦い顔をする。少なからず思い当たる節が有るのだろう。
「私が重いのかもしれないわね」
基本的にきっぱりしているチャムが、目を伏せるのは珍しい事だと思う。
「求めるものが有るから剣を手にするって決めつけてはいけないのかもしれないわ」
「主観的になり過ぎているって思う?」
彼女のこの台詞はトゥリオのそれとはニュアンスが変わってくる。チャムの剣とその先にある強さは、目的のための手段なのだ。剣を強さの象徴と捉えている訳ではない。要は得られる強さが有るなら得物は何でも構わない。
「僕はその子を見ていないから微妙なところなんだけど、チャムが何かを感じたならそれを信じてみたら?」
「私……」
チャムは自分に
「そうね。私、もうちょっと真面目に向き合ってみるわ」
彼の微笑みが心強かった。
「ところで、あなたは昼間何をしていたの?」
心の中で一つの落着が付いて、食が進んだところでチャムは疑問を口にする。自分の事ばかりだったのが後ろめたかったのかもしれない。
「ん? 料理」
「へ?」
「厨房借りてずっと料理してた」
「もしかして、これ?」
「そうだよ」
彼女は目を瞬かせて、皿の上に目を移す。思い悩んで食事に身が入っていなかったのが申し訳なく思えてきていた。
「マジか!?」
「ご、ごめんなさい! 美味しいとは思ったんだけど、気付かなかったわ」
「大丈夫だよ。鉄板使っているからなかなか冷めない筈だから」
その料理は木皿の上の鉄板に盛り付けられているので、まだ湯気を立てている。ナイフを入れた瞬間に驚くほどに肉汁が溢れ出てきたのを思い出した。その肉汁が今、付け合わせの野菜に染みて良い感じになっていたので、チャムは手を伸ばす。
「ふぁっ!」
意識が昼間の事に捕われてしまって感じられなかった感覚が一気に襲い掛かってきた。野菜はシャキシャキで甘いのに、その後に口一杯に肉汁の旨味が広がった。恐る恐る主菜にナイフを入れると、まだ残っていた肉汁が断面を流れる。口に運べば、肉の旨味がこれでもかとばかりに舌を楽しませてくれる。
「う、美味ぇ…」
「何これ? 大きめの肉団子みたいに見えるけど」
彼らの前に有るのはハンバーグである。それも
切り出した赤身肉を調理ナイフで叩いて挽肉にしたら、他の部位から削り取った脂身も叩いて細かくし練り込む。今回は牛肉十割で後は形を整えるだけなのだが、叩いた牛脂を真ん中あたりに仕込んで焼いてあった。
その為に、ナイフを入れただけで肉汁と脂が混然一体となった肉のスープと呼べるものが溢れ出してくるのである。
食事を始めてからずっとフィノが発言していなかったのは、ハンバーグに夢中になっていたからである。 カイは昼間、この脂身の練り込む量や中央に仕込む量の調整の為に数多くの試作品を作っていた。それらはほとんどフィノとリドのお腹に納まっていたというのに、この食事中もずっと、一切れ口に運んでは頬を押さえて幸せを満面に浮かべる作業を繰り返していたのだ。話なんて聞いてはいない。
「はひぃ、最高ですぅ」
「よく飽きずに食べるね、フィノ。僕としては助かるけど」
「だってこれは完成品ですもん。試作品なんて目じゃないですぅ」
呆れながらも、高評価は嬉しそうなカイ。
「何て云う料理なの?」
「うーん、名前は地名だからこっちじゃ通じないなぁ。名付けるとしたら挽肉ステーキってとこかな?」
「これなら十分……」
「カイー!」
その時、小さな男の子がテーブルに駆け寄ってきた。霧の小人亭主人ムバナンの息子のカウリーである。
「どうしたの、カウリー?」
「母ちゃんがお願いだって」
彼を追うように歩み寄ってきた夫人が頭を下げる。
「ごめんなさい、カイ。あちらのテーブルのお客様が、どうしてもこの料理が食べたいっておっしゃって」
賑わっている所為で気にしていなかったが、他のテーブルから様子を窺われていたようだ。
「そうでしたか。解りました。作りますよ」
「ありがとう。お願いね」
夫人のリラに手を合わせられれば断れるカイではない。
売り物になりそうだという予感が当たったチャムは楽しそうに笑った。
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