パマール高地帯会戦
まず見えたのは大きく翻る青い髪だった。その次に目を見張るような美貌が下りてくる。
(なっ! 空から美女が降ってきた!?)
その顔がふわりと笑んだと思ったら、鳩尾に激痛が走り視界は闇に閉ざされた。
◇ ◇ ◇
放り上げられて監視兵の側に音も無く着地したチャムは、一人の鳩尾に柄尻を送り込んで昏倒させると、振り返って驚愕の表情を見せるもう一人に踏み込み、首筋を打って黙らせる。最後の一人が呼子の笛を口にしようとするが、背後から迫ったカイに口を押えられ後頭部に一撃が入り、沈黙する。
三人の監視を転がせると、二人は軽く手を合わせる。
二人が消えた丘の上を注視していたギールの視界にチャムが現れて、手招きして寄越す。美女に招かれて喜び勇んでと言う訳ではないが、バルガシュ傭兵団は極力音を抑えて速やかに丘を越える。ここは隠密性と速度が勝負だ。
駆け上がってきたパープルとブルーに跨った二人も戦列に並び、次の丘は迂回しようとしたところで、その向こうから怒号が上がり、剣戟の音が響き渡る。
◇ ◇ ◇
敵二千の動きを察知したラガッシは速やかに本隊を動かす。クエンタ軍が兵を分けて自軍の探索をするだろう事は想定通りだ。相手が窪地の狭間を、自分達の姿を求めて彷徨っている間に各個撃破しなければならない。
ただ実に円滑に接近してきた二千の動きは気になる。だが無理をして監視に兵に割いた分、情報は自分のほうが早いはず。状況把握を怠らなければ、この立地なら十分に戦える計算なのだ。
監視兵が合図を送ってくる。丘を回り込んだところに敵二千が居るのを確認したラガッシは、抜いた剣を高く掲げて振り下ろした。ラガッシ軍二千強は声も上げずに猛然と駆け出すと、眼前に見えた敵に襲い掛かる。
(なんだ? 妙だぞ?)
相手に動揺が見えない。それどころか整然と剣を抜いて盾を掲げる。
「止まっ!」
敵軍から怒号が上がって彼の声は搔き消される。そうでなくとも突進している自軍は簡単には止まらない。そのまま真っ正面から激突する。
(嫌な予感がする。この前の戦いもこんな違和感がした。一度退くか?)
ラガッシは頭の中で退路を思い浮かべる。幾つかある選択肢の中で、最も敵を攪乱出来そうな経路を探す。
(難しいが、出来ない事は……)
「うおおおわああ ── !」
急に雄叫びが側面から吹き付けてきた。
「敵襲 ── !」
「抜剣! 受け止めろ! 数は少ないぞ!」
「かましたれー!」
「おらぁ ── !」
新たな剣戟の音が響き渡り、怒号が行き交う。
(これで退けなくなったではないか! しかも……)
傭兵だと思われる者達の中に騎鳥と冒険者の姿を認めたラガッシは舌打ちをする。
「進めえぇ ── !!」
何をしてくるか解らない傭兵達よりはこちらから仕掛けた正面の二千のほうが対し易いと瞬時に断じたラガッシは大音声で方向性を明確に指示する。乱戦に陥るのを危惧したのか、正面の敵は緩やかに退き始めた。そうなれば勢いがつくのはラガッシ軍である。食い付いてくる傭兵団をいなしつつ敵二千に突っ込み、追い散らそうと遮二無二突き進む。
「進め進め!!」
「打ち崩せ!」
「雪辱を晴らせ!」
隊長達の叱咤激励の声が交錯し、金属が打ち合わされる音で辺りが包まれる。
(これで良い。少数の武威だけで支配される戦場など有り得ないのだ。油断さえしなければ不覚を取る事など無い。前回は敵の罠に嵌ってしまったまでの事。……呼子?)
激しい騒音の中で微かに笛の音が耳に届いた気がした。嫌な予感が、ゾクリと背筋を凍らせる。
鬨の声が上がり、丘の上から多数の兵が駆け下りてくるのが見えた。それはラガッシの頭を絶望に染め上げる。
(謀られた。またしてもか……)
ここまでの自軍の動きを反芻する。監視兵の存在を気にせず不用意に近付いてきたクエンタ軍二千。それに釣られた自軍。衝突したところで後退を阻むように現れた傭兵部隊。退くクエンタ軍に引っ張られるように、敵分隊に側面を晒してしまい、今そこを突かれつつある。
しかし、そのラガッシの考えは穿ちすぎていると言えよう。二分されたクエンタ軍が、片方が囮になり引き寄せ、他方が側撃を仕掛けるのが当初の作戦だった。そこで慎重になり過ぎたり、敵将の上申に耳を貸してラガッシが軍を下げるのを嫌ったカイが、後尾に噛み付き動きを限定しただけの話である。
クエンタに説得されて、胸に期するものを秘めた者が多く含まれるクエンタ軍別働部隊がラガッシ軍の側面に襲い掛かると同時に、引き付けていた二千も反転攻勢に出る。一つの丘を背に三方向から攻め立てられる形になり退路を求めたラガッシ軍は、丘を駆け上って体勢を立て直そうとするが、その上にはいつの間にか冒険者達の姿が在った。
彼らが放つ威圧感に駆け上ろうとした兵の足は止まり、意識しないままに数歩後退る。それ程までに、ラガッシ軍に冒険者が植え付けた恐怖は大きかったようだ。
そうしている間にも、半ば押し包まれたラガッシ軍は死者と負傷者を増やしていく。怒号と悲鳴が交錯し、ラガッシの頭の中に終わりの鐘の音が響いたような気がした。
「全軍戦闘停止!!」
血を吐くように言い放ったラガッシの声に隊長達が反応し、全体に指示が行き渡っていく。それに呼応するようにクエンタ軍も攻撃の手を控え、将軍達やギールも警戒体制のまま待機を命じる。包囲状態は維持したまま、睨み合いになった。
(まだか? まだなのか、狼煙は!?)
◇ ◇ ◇
王宮の執務室でクエンタは、このところ滞りがちになっている政務の処理に追われていた。宰相シャリアは定期的に部屋を訪れては裁定済みの書類に目を通し、それを持って各所に下命を伝えに行く。
そんな時間が朝から続いていたが、にわかに部屋の外が騒がしくなったかと思うと抜剣した兵士が雪崩れ込んできた。
「何事です?」
一瞬、怯懦の表情を見せたクエンタだったが、気丈にも胸を張り見据えて問い掛ける。
「クエンタ様、どうか抗う事無く従っていただきたい。我らとて貴人に手荒な真似をするのは本意ではないのです」
「ならば引きなさい。その行いそのものが無法の誹りを受ける事は間違いありません。自らの矜持、もっと大切にすべきです」
その言葉に兵達は気圧される。彼らのイメージでは、クエンタは気弱な王女だった。物事はハッキリと告げるほうではあるが、決して強く押し通そうとする事などほとんど見られなかったように記憶している。
しかし、目の前のその女性は彼らの知っている王女とは別人のように見えた。彼女が弟を排すると決意し、それから味方を集めて実行に移し、更には国内の立て直しに苦悩の
「そうも参りません。我らはこの国が粗野な冒険者の国などに食い荒らされていくのを是とは出来ない義の者です。その為ならば後ろ指を指される恥くらいは飲み下しましょう。どうぞこちらへ」
「そうですか。残念です」
彼らは知らなかった。クエンタが冷静に対応して来るのにも理由が有る事を。
クエンタの執務机、彼女の座る椅子の脇にブチの有る白い耳がピコンと立ち上がった。
「
空中に浮かんだ大量の
騒動に気付いた王宮衛士が部屋に辿り着いた時には、執務室の床は気絶した兵で埋め尽くされていた。
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