ホルムト豊穣祭再び

 昨輪さくねんのホルムト豊穣祭は、出兵中とあって自粛ムードの中行われた。その反動は凱旋パレードと、その後の祝賀祭で払拭されてはいたが、今輪ことしの豊穣祭は盛大に行われる事が決まっており、熱戦の機運が高まってきている。

 本業の露天商から各商店が出す露店、更には有名店が出店する豪勢な露店が並びつつある様はホルムト市民をワクワクさせる。


 今回は早々に参加を決めていたカイは、希望通り馴染みある大通りでの出店権を得ており、前評判の的にもなっていた。

 あの『魔闘拳士』が出す露店であり、更には二前の『モノリコートの衝撃』を引き起こした人物の露店でもある。凱旋以降、顔は知れ渡ってしまったカイなのでもう隠しようもなく、参加の情報はどこからともなく漏れ、市民の注目を集めている。

 反して速やかに準備された露店はそんな豪華なものではなく、お手製の小ざっぱりした雰囲気を漂わせる構えでその時を待っている。期待に胸膨らませる市民は指差しては噂話に興じていたが、そこで何が売り出されるかまで知っている者は誰一人居なかったのである。


当陽とうじつは手伝ってもらうからね、レッシー」

 相変わらず、刷り込みが為された雛のようにカイの後ろを着いて回っている彼女にカイは予定を空けておくように言う。

「はい! このレスキリ、カイ様の優勝の為にこの身を捧げる所存であります!」

「うんうん、よろしくね」


 彼がこの笑顔をしている時は、碌な目に遭わないと知っている仲間達は素知らぬ振りを決め込んでいた。


   ◇      ◇      ◇


 宮廷魔法士が城壁上から上空に打ち放った炸裂火球が光の花を開き注意を引く炸裂音を立て、華やかな開幕を迎えたホルムト豊穣祭。


 カイの露店の前には腰に手を当て仁王立ちの女性の姿がある。

「性懲りもなく出店してきたのね、あなた。その……、魔闘拳士様?」

 周りの視線が気になって日和ってしまったらしい。その様子にカイは少し失笑してしまい、穏やかに譲る。

「カイで構いませんよ。えーと、ダニータさん。すみません、店名は忘れてしまいました」

「なっ! ラシフェルド料理店です! 名誉あるこの名こそ覚えてくださいな」

 そうは言いながらも名前を覚えていてもらって、口元を隠してニヤついている。

「申し訳ありません。マレイアもクレステンもいらっしゃい」

「覚えていてくださったんですね、カイお兄様」

「すごいや!」

 わっと駆け寄ってきた姉弟の頭を撫でる。有名人が親しく接してくれて二人は感激しているようだ。

「こら、懐いてどうするのです!? 今輪ことしこそあのの雪辱を晴らす時ですのよ!」

「でもでもお母様、今輪ことしもモノリコートのいい匂いがしています」

「毎回毎回同じ物でこの激戦を勝ち抜こうなんて甘い考えだと思い知らせてあげましょう。あれ・・をお持ちなさい」

 ダニータがお付きの者に手を差し出すと、ドームカバーの掛けられた銀盆が手渡される。

「特別にラシフェルド料理店の商品を味わう権利を差し上げますわ。そしてあなたは敗北を知るのです」

「これはご丁寧にどうも。喜んでいただきましょう」

 ドームカバーが取り払われるとそこには青と黄色のコントラストも目に鮮やかな、一片のケーキが現れる。

「これは生クリームにモノリコートを練り込んだんですね?スポンジもふわふわに焼き上げられていてお見事。そしてこの香りはピリチカですか? 生地にも工夫してあるんですね?」

「よくぞ見破りましたね。御明察の通りです」


 ダニータの眉がピクリと反応する。看破されるとは思ってもみなかったらしい。

 ピリチカは、地球のオレンジっぽい果実だ。パシャほど酸味が強くなく、柑橘系特有の甘みが強い、そのまま食べられる事が多い種類の果物。だがこうやってケーキやクッキーなどに練り込んで使われる事も少なくない。


「では遠慮なく」

「驚いて腰を抜かさないようになさいなさいな」


 添えられていたフォークでひと口分を切り取り口に運ぶと、生クリームのコクに程良い苦み、香ばしい香りが鼻も楽しませる。その後には、スポンジから柑橘の爽やかな香りと酸味がやって来て、さっぱりとした後味を演出する。

 生クリームにモノリコートを練り込むと甘みもコクも強くなりすぎてしまいがちだが、甘みは絶妙に抑えられ、コクもくどくない程度にしてある。

 どうやら単純にクリームにモノリコートを練り込んだだけでなく、モノリコ粉末との併用で味を調えているようだ。このブレンドには苦労しただろうと容易に推測出来る。間違いなく企業秘密だろう。


「素晴らしいですね。このバランスを出すのは大変だったでしょう?」

「それはもう寝る間を惜しんで試作に試作を重ね……、ってそんな事はどうでも良いのです! ぐうの音も出ないのではなくて?」

「うーん、生地に少しだけモノリコ粉末を練り込んだらほろ苦さが増して大人の味になるんじゃないですか? あと、上にピリチカの砂糖漬けの輪切りでも添えると見た目でも楽しめそうですよね?」

「なあっ! そ、それは……、そうですわよ。次の新商品に使うアイディアですわ! 盗んだらダメですわよ!」

「これは差し出口でしたね。すみません」

「許して差し上げましょう。良いですから、さっさと降参しなさいな」

「いえいえ、そうは参りませんよ。モノリコートの真髄をお見せしましょう」

 ニヤリと笑う顔に自信が見える。


 カイの露店の覆いが取り除かれると、その中央には奇妙な釜が鎮座している。

「準備は良いかな?」

「出来てるわよ」

「温度管理も万全ですぅ」

 二重になった釜の外側には湯が張られており、内の窯の中ではモノリコートが溶かされている。湯煎状態で維持されているようだ。

「じゃあ、特別にウチの商品も味見していただきましょう」

「それは! まさか!」

 チャムが差し出した物を受け取ったカイは、ダニータにそれを見せつける。串に貫かれているのは剥いただけのナーフスである。

「これをこうするんです」


 溶けたモノリコートの中に漬け込まれたナーフスは、そのほとんどが没するとすぐに取り出された。そしてすかさずフィノの冷気の魔法で冷やされる。

 カイが露店で売ろうとしているのは『モノリコートナーフス』。つまり地球で言うところのチョコバナナだ。


「調理はこれだけです。どうぞ」

「う、いただきますわ」

 姉弟にも続けて二本作られ手渡された。

 はしたないと思いながらもひと口齧ったダニータは、あのの再現のように固まってしまう。

「わあ、嘘みたいに美味しい!」

「甘ーい。美味しい」


 マレイアは幸せそうに顔が緩み、弟のクレステンは夢中で嚙り付いている。

 冷やされてパリッとなったモノリコートを歯が割ると、中には柔らかな果肉が待っている。まず感じられるのはモノリコートの香ばしい甘さ。その後に来るのは独特の食感に、ねっとりとした深みのある甘みにほのかな酸味。この二つの甘さが口の中で奏でる和音ハーモニーは他の物では決して感じられない至高の調和。そして最後にやって来るのは、しっかりとした満足感と満腹感。


「こ、これは! 何という物を! これは魔性の食べ物よ!」

「そんな大層な物じゃありませんよ。僕はこれを誰もが手軽に食べられるおやつにしようと思っているんですから」

 今はまだモノリコートもナーフスも少々高価い。だが価格の安定は時間の問題だと言って良いだろう。その時は定番の露店になる筈だ。

「今回は4シーグ320円で売りますけど、将来的には3シーグ240円くらいで安定すると思います。あなたのケーキは素材と手間を考えると10シーグ800円は下らないでしょう? ずいぶんお手軽だと思いませんか?」

 ダニータのモノリコートケーキの単価は12シーグ960円である。ちょっと手軽さには欠く値段だ。

「丁度良いんですよ。ラシフェルド料理店は大人向けの高級菓子。こっちは下町のおやつで住み分けが出来るんです。理想的でしょう?」

「くっ! それはそうですけど……。またしても」


 ダニータは敗北感に苛まれていたのだった。

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