フリギア情勢
「オッグ!」
「ウォン!」
「おっきくなって!」
「ウ…、ウォウ?」
ご主人ミルティリアの命令と言えど、それだけは応えられない
別に言葉が通じている訳ではない。ただ、あれ以来何度もこのお願いをされているオッグは、何となく音の響きで察しているだけだ。
「それは無理よ、ルティ。オッグは普通のワンちゃんなの」
リドが本来、大型魔獣だと聞いているキャリスティは、母親として説得に掛かる。
「あれはリドちゃんだから出来た事なのよ」
「そんな事無いもん!オッグだって頑張ったら出来るもん!」
幾度となく繰り返されてきた議論がまた始まる。
(いや、止めてあげて)
我が家に飼われた不幸を慮って大型犬を撫でて同情するナーツェンだった。
◇ ◇ ◇
テーセラント公爵一家はフリギア王城前城に自室を持っている。だがもちろんそこだけでなく、豪邸と呼べる規模の大邸宅を城壁内に保有している。テーセラント公爵バルトロが王城に上がる時に同行するか、都合が合わなければ別で移動するかして、前城の部屋に滞在しているだけだ。
これは政務大臣の激務に就くバルトロが、ほんの僅かな隙間の時間と言えど家族との時間を作りたがる為に前城に詰めているに過ぎない。故に以前は自室に詰めている割合も半分程度だったのだ。
しかし、その割合は現在、十割に変化している。それは国王から命ぜられているからであった。
ロアジン会談と呼ばれる、ごく一部の者しか事前に知らなかったホルツレイン王国との交渉が行われたのが、重臣達に衝撃を与えたのは事実だ。元々は激務に耐える政務卿に国王サルームが寛容さを示し、休暇を与える名目だった。
ところが政務卿が休暇明けの御前会議にロアジン会談の交渉内容を持ち込み、国王の裁定を求めた。その内容は偏ったものではなく順当だと言えるが、両国の相互発展に寄与する重要な事項が含まれている。その交渉役として国王が政務卿を派遣するのも、皆が頷ける。ただ、その仲介役を申し出て、席を設定したのが魔闘拳士だというのが重臣達に更なる衝撃を与える。
彼は、レンギア滞在時はそれほど派手な活動はしなかったものの、トレバ戦役で示したものは彼らに脅威を感じさせるに十分な能力だった。
軍勢を用いず街壁を崩落させる武装。随行した戦場絵師が描いた、一万近い軍団が地に伏す様子を現出させる対軍団魔法。そして大軍を前にしてさえ無双を見せる強大な武威。どれをとっても、本拠地ホルツレインの隣国に位置するフリギアにとっては悪夢の対象に近い。その魔闘拳士が両国の友好の為に動いたとなれば、否やは言えないのが動かし難い現実だと重臣達は思ったのだ。
更にはその席に於いて、魔闘拳士が直々にホルツレイン王孫ゼインとテーセラント公爵家長子のナーツェンを引き合わせたと言う。魔闘拳士がゼインの将来性を高く評価し、懇意にしている情報は重臣達も把握している。そのゼインを引き合わせた相手がナーツェンとなれば、彼は魔闘拳士の公認を得たに等しいと皆は考えたのだ。
ナーツェンがゼインと直通遠話回線を与えられた事は、バルトロもサルームにしか報告しておらず、機密事項とされている。それでも魔闘拳士の公認を得た人間が王権近くに存在し、それが公爵家という王家の血に連なる者であるのが問題視された。
穿ったものの見方をする者は、魔闘拳士は次代としてナーツェンを推しているのではないかとしか思えなかったようだ。それは邪推なのだが、テーセラント公爵家がフリグネル王家を窺うのではないかという未来予想。この一事が、将来的に国を割るのではないかという危険性。それを訴える者が御前会議で頻出する事態に至って、議論は紛糾する。
よって、この議論に決着が見られるまでは、テーセラント公爵家一家は王城での待機が命じられた次第である。
◇ ◇ ◇
ナーツェンは、ゼインとの通話を数回重ねている。それは王太子領の様子であったり、獣人達との出会いであったり、ホルムトへの帰還を伝えるものであったりする。どれをとっても他愛もないものだ。
その会話の中で自分の趣味嗜好を伝えたり、ゼインの考え方に触れるなどして親交は深まっているように感じていた。
それを羨ましげに見つめているミルティリアと通話を代わったりなどして、ゼインやセイナとの付き合いは円滑だと思える。
「あのね、あのね、パパ」
「何だい、ルティ?」
「ルティは大きくなったら、ゼインのお嫁さんになりたい!」
「ぐはぁぁ!」
バルトロは胸を押さえ顔面を蒼白にして倒れ伏す。
「あらぁー、そうなの? ルティはゼイン様と結婚したいの?」
「うん!」
「ぐふぉぉぉ!」
のた打ち回る父に軽く引きながらミルティリアは答える。
「だそうよ、あなた」
「…………」
(こ、これが父離れというやつか。何という
父との結婚を望む常道台詞を貰った事は幾度かある。バルトロはその状態がしばらくは続くと思っていたのだ。それだけに傷は深い。
その最中、部屋の扉がノックされ、王城メイドが用向きを聞く。それはナーツェンを謁見の間に呼び出す使いだった。
◇ ◇ ◇
出口の見えぬ議論に業を煮やした国王サルームは、ナーツェンを呼び出し直接内心を問い質すと宣する。質疑の為の待機令のようなものだったので重臣達に否やは無い。ただ、それを伝えに戻った筈のバルトロがなぜか死に体になってしまっているだけだ。
そして、玉座から数段下がった前にはナーツェンが跪いている。
「面を上げよ、テーセラント公爵子ナーツェン。なぜ余が前に引き出されているか聞いておるか?」
謁見の間にサルームの重々しい声が響く。
「聞いておりません。ですが、それとなくは察しております」
「では聞こう。そなたは玉座を望むか?」
尚武の国らしく国王は単刀直入に訊く。
「ぼ……、私は玉座を窺おうなどと大それた考えなど全く以って持ち合わせてはおりません」
「大それた事か? 出来ぬ事はあるまい。そなたが望めば魔闘拳士が動くのではないか? 王孫ゼインと図ってホルツレイン軍を動かせるのではないか?」
議論の中で出た疑問をそのままぶつけてみる。
「有り得ません。私は望みませんし、ホルツレインが安全保障条約を破棄するとも思えません」
「自らに危険は無いと申すか?」
「…………」
「好きに話せ」
サルームは表情を和らげて問い掛ける。
「もし、万が一、陛下が領土的野心を持ってホルツレインに対すると仰せであれば、この身は命を賭して陛下をお止めしなければなりません」
謁見の間がざわりと揺れる。それは聞き方によっては国王への叛意だ。国王の行動如何で彼は叛意を示すと言い放った。ここでの発言権は無いに等しいバルトロが拳を握り締める。
もし国王がナーツェンに叛意有りと断ずれば、彼は排されるであろう。最悪、国家反逆罪に問われて命を奪われるかもしれない。
そうなった時、魔闘拳士は動くだろう。その程度ではホルツレインは軍を動かさないとしても彼は動く。少なくともフリグネル王家を排除しようとする筈だ。バルトロの頭に、街壁復旧工事中のロアジンの様子が浮かぶ。彼はやる。一人でも間違いなく目的は達する。フリギアの終わりがバルトロの頭の中を駆け巡る。
「それが魔闘拳士様、カイ・ルドウ様と私との約束です。あの方は戦乱を望んでいません。その思いを私に託してくださった以上、この身を賭して期待に応えたいと思っております」
「その為ならば余を諫めるも厭わぬと?」
「はい!」
重苦しい沈黙が謁見の間を支配している。
「ふっはっはっはっは! その意気や善し! 余も民を苦しめるだけの戦乱は望まぬが、余が血迷うた時はそなたが止めよ。それを命じる」
「御意! 確かに承りましてございます!」
「これにてテーセラント公爵子の一件は終了とする。良いな?」
「「「「御意!」」」」
居並ぶ重臣達は口を揃えて賛意を示したのだった。
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