情報戦略
夜になってカイは国王の私室を訪れていた。触った感触で薄々は気付いていたのだが、
「クラインや孫たちの事を頼むぞ」
アルバートは国王でなく、家族を思う男の顔をして言う。
「物理的に守るのはそう難しくは無いのですが、いかんせん未だ現地の生の声が聞こえてきません。孤児院建設資材の運搬を頼んでいる方には、それとなく様子を探って来てくださるようお願いはしているのですが、支援に現れる者と統治しようとする者に見せる顔は違うでしょうからね。正直、何を言われるかは解りません」
「確かにそうであろうな」
クラッパス商会に新領での孤児院建設を依頼して
反して治安維持を担っているホルツレイン軍の兵達は、どちらかと言えば遠巻きに見られている事の方が多いようだ。それが嫌われていると見るか怖れられていると見るかは微妙なところである。
各地で起こっている叛乱は旧統治者側が復権を目指して動いているものであり、民心がどこにあるかは不明。トレバ戦役では略奪暴行を厳に禁じていたお陰で反逆心は抱かせていない筈ではある。
しかし人を物を土地を奪われる不安は拭えないと考えられる。それを親が口にして子供が耳にする。子供が怖れれば親がより警戒する。そういった悪循環の中で反逆心が醸成されていってしまう事もある。それが表層に表れないまま民衆の意識化に潜って行ってしまった時、それは育まれ定着してしまう危険を孕んでいる。
それを防ぐには広報や教育が必要なのだが、この世界ではそれを十分に行える情報インフラは無い。二人とも理解している分だけ悩ましいところだ。
「支援を強化するのは難しくはない。しかし甘やかし過ぎるのは今後の自立心を妨げてしまうのではないかと思えてしまうのだ。その現地状況の視察の為に、現地状況の懸念をするのはジレンマというものか」
「少し小細工をしますか?」
カイはこの世界にも情報インフラに似たものが存在していると思っている。それは旅商人の口と吟遊詩人の存在だ。彼が着目したのは後者である。
「宮廷詩人にトレバ戦役の詩を作らせませんか? 暴君ルファンに虐げられし民を救う為、名君アルバートが立ち上がり挙兵する。王子クラインがその命に従い暴君を討つ。そんな筋書きでどうです?」
「間違っておらぬが、正しくもないぞ。そこまですれば露骨に過ぎぬか?」
アルバートが派兵を決めたのは外憂を取り除く為、安全保障条約締結以前にフリギアの信用を得る為、そしてその後の交渉を優位に進める為、など色々な思惑の下にある。決してトレバの民の為だけではない。
「それくらいで丁度良いんです。純朴な人々はおとぎ話じみた物語のほうを好むんですよ。『魔闘拳士の詩』を見たらよく解るでしょう?」
「確かにあれは真相を知る者は失笑を禁じ得ないがな」
「あの詩の中で僕は、絶世の美姫に従う紅顔の美少年拳士ですよ? どこにそんな人が居るっていうんです?」
「そうとばかりは言えぬぞ」
同席している王妃ニケアが酒杯を傾けつつ割り込んできた。
「妾はそなたの顔は好ましいと思うぞえ」
「ほう、余は目の前で妻の心変わりを見せられるのか?」
「僕は間男をする趣味などありません」
「つれないのう。そなたが拳を握って、妾の筋肉の動き一つ見落とさぬよう射通すような目をした時の顔なぞ、背筋がゾクゾクしてしまうぞ」
「……それは特殊な性癖なので、一般に当てはまるとは思わないでくださいね?」
「そうかえ?」
「ともあれ詩が出来上がったら名の有る吟遊詩人を数名雇って、その辺の酒場で歌わせます」
名の有る吟遊詩人ならその新曲はすぐに噂になるだろう。他の吟遊詩人も必ず聴きに来る筈だ。この世界に著作権など無い。吟遊詩人は即座に新曲を覚える。それも彼ら詩を生業とする者の必須技能だ。そして彼らはホルムトを離れて各地で新曲を歌う。同じ詩をその地で歌っても大した儲けにはならない。新たな地で客を集めてこそ利益が上がるのだ。新領も新たな地になる。
「広まるには多少の時間を要するので今回の視察には間に合いませんけど」
その詩が広まると共に自分達の住む地が、暴君を討った軍を率いた王太子領となったのを知り、そしてその王太子が早くも各地を行脚して復興支援の施策を練ったと思えば、クラインの人気が急騰したとしても変な話ではない。
「叛乱を企てる者を炙り出すにも有効でしょうね」
支援を絶たれた抵抗勢力の選択肢は多くない。空中分解するか、苦し紛れに暴発するかどちらかというところ。暴発するにせよ、動きは露骨になるのだから嗅ぎつけるのも難しくない筈だ。
「利点は多いのだから、多少の恥ずかしさくらい陛下には安いものでしょう?」
「そなた、自分が痛い目に遭っているから余も同じ目に遭わそうとしておるな?」
「まさか。そんな事、欠片も考えておりませんとも」
「そなた、そんなに悪知恵ばかり上手になっては親が泣いてしまうぞ? 妾なら聞くに堪えぬ」
ニケアはからかうようにニヤニヤとしながら言ってくる。
「そうは申されますけど、クライン様も結構強かですよ? 最近は特に顕著ですけど」
「ふむ、では友人は選ぶよう言い聞かせておかねばならぬかえ」
「そんな意地悪を言う方にはお土産は要りませんよね?」
カイは彼女の弱点を的確に突く。
「おお、それはいかん。妾が地方の珍しい酒をどれだけ楽しみにしておるかそなたには解るまい。アルバートのつまらぬ矜持くらい幾らでもくれてやる故、土産だけは忘れるでないぞ?」
「一国の王の矜持を酒で売り渡すのは勘弁してくれんか? 王妃よ」
「婚姻の話が出た折にあれだけ言うたではないか? 妾ほど王妃に向かぬ者は居らぬぞ、と」
事実関係は知らないが、国王が苦笑しているところを見ると本当なのだろう。
「そなたは妃としても十分に尽くしてくれておる。王子も姫二人も丈夫に産んでくれた。余とてそれ以上は望まん」
「義務の範疇ぞ。それなくば国務卿以下の者にとうに排されておったであろう。運良くクラインを産んでおらねば、奴らは今のように好きにさせてはくれなんだはず」
それは一面事実であろう。しかしこの二人にはそれだけとは思えない絆を感じる。少なくともアルバートは、ニケアのタイプを決して嫌いではないように見える。もし王家の公務を取り仕切るとはいえ、国務が無理を通そうとすればアルバートも黙っていなかっただろうと思えた。
「今のままでよい」
「物好きな王も居ったものぞえ」
何だかんだと言いながらカイは
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