アトラシアの神聖騎士

「殺戮者が堂々と闊歩しておるわ。ホルツレイン王宮も堕ちたものよ」


 回廊の向こうから歩いてきた人物に不意にそんな声を掛けられはしたものの、相手には見覚えが無い。人物には見覚えが無いのだが、その衣装には心当たりがある。アトラシア教大司教ファーガスンが身に着けていたものと同様だからだ。

 ファーガスンの失脚後は大司教級の宗教指導者が不在となっていた筈だが、どうやら新たな大司教が派遣されてきていたらしい。


 それもその筈、アトラシア教の本拠地は魔境山脈の向こう、中隔地方北方三国の一つメナスフット王国に在る。

 北大洋は沿岸部を密林地帯が覆っている為に港の建設など不可能だ。ならば南大洋沿岸の港を介さねばならないのだが、そうなると中隔地方を南下縦断して南大洋を船旅し、ホルツレインの南の港まで辿り着かねばならない。大変な長旅である。カイ達が西部を旅している間に、おそらくそれを経て着任した新たな大司教なのであろう。

 ホルムトでは完全に信用と立場を失ったファーガスンはその逆の経路を辿って帰国したものと見られる。それでも本国ではまだ立つ瀬があるのだろう。


「安い挑発よ。放っておきなさい」


 ファーガスンの置き土産であろう。その憎悪はカイに向けられている。

 人間が変わったとしてもアトラシア教の失地回復が為された訳ではない。未だ御前会議への参加は認められていない筈だ。

 それは政教分離を標榜するアルバートの考えに反する。これからも国政にアトラシア教が関与する事は考え難いが、王宮には御前会議への大司教の復帰を推す声が有るのも事実だとグラウドが漏らしていたのも聞いている。


 おそらくそれが保守派であり反魔闘拳士派とも重なり、保守派の尖兵に利用されている可能性がある。もちろんそれはアトラシア教が再度勢力を伸ばす結果にも通じ、両者にとって利益の有る関係だと思われる。

 それゆえのこの挑発なのだろう。


「向こうの出方次第だけど、そう簡単に乗る気は無いよ」


 謂わば魔闘拳士の存在を政争の具にしようとしている。ここで乗るのは他に与える影響が大き過ぎる以上、慎重にならねばならないところだ。

 ただその新たな大司教と見られる人物の後ろに居る騎士らしい存在が気に掛かる。護衛にしては妙に剣呑な雰囲気を宿しているのだ。まるでこの場で斬り掛かって来ないとも限らないほどのその気配にカイは嫌な感じを覚えている。


「まあ俗に英雄と呼ばれる人間など人殺しくらいしか能が無いのが関の山だ。救済を旨とする我らとは志が違う」

「そうでありましょう、フォルディート猊下。神の御心など解さず、破壊と殺戮に快楽を得る者でなければ、あれほどの所業は成し得ませぬ」

「!!」

 これに眉を逆立てたのがフィノだ。チャムが身体で妨げなければ飛び出していただろう。

「ここは抑えて」

「ごめん、フィノ。お願いだよ」

 二人にここまで言われれば彼女もそれ以上の事は出来ない。薄く涙ぐみ、悔しさを隠さず睨み付けている。


「聞いていた通り、汚らわしい獣を好む英雄らしいな」

 フィノの動きを見てフォルディートと呼ばれた新たな大司教を守るように前に出ていた騎士が更に言って寄越す。

「神聖騎士クスガンよ。到着したばかりでそなたは知らぬのだろうが、王宮でこれが横行しておるのだ。嘆かわしい事よ」

 リドが鼻頭に皺を寄せて小さく唸っているが、クスガンの視線は少しズレているのに彼らは気付く。

「魔なる獣の同類でありながら、形だけは人間の似姿をしている。さしずめ性処理にでも連れ歩いているのか?」

「なっ…! 何ぃ!!」

「馬鹿、抑えろって言ってるでしょ!」


 そこまで言われればそれがフィノの事を指しているのは解る。これにトゥリオが激さない訳が無い。さすがに彼が動こうとすればチャムが身体を張っても物理的に抑えるのは困難だ。仕方なく鋭い言葉で制しようとする。


「神聖騎士と聞こえましたけど、聖職者にあるまじき品の無い物言いをされる方ですね。立場なりの品性を持ち得ないのなら組織としての底も知れるというものですよ?」

 正直、チャムは彼に関しても(ヤバいかも?)と思っていたのだが、言葉を聞く限りは冷静に見える。それでも視線は凍らんばかりに冷たく、言葉には皮肉が含まれているが。

「貴様! 教会そのものを侮辱するか!?」

「貶めているのが自分だと知りなさいと言っているのです。それとも言葉を正しく解せないほど剣だけに打ち込んだとでも?」

「クスガン!!」


 逆に挑発されて剣を抜こうとする神聖騎士をフォルディートは鋭く制する。自陣から仕掛けてしまうのは彼の本意ではないらしい。そうなればどこに原因があるかは追及は免れない。問題行動の誹りを受けるのは間違いないのだ。


「良く舌の回る男だ。まあいい。この場はこれまでとしておこう」

「そうね。差別主義を神に被せる人物と話していても益など無いわ。でも忘れない事ね。神は人の争いを好まないわ。曲解して利用しているのはいつも人間の側だという事を」

 一瞬、醜く顔を歪めたフォルディートだったが、鼻を一つ鳴らして去っていく。


「少し警戒したほうが良いかな?」

「面倒そうな輩であるのは間違いなさそうよ」


 獣人少女フィノを抱き締めて慰めながら、美丈夫トゥリオの尻を蹴っ飛ばすという器用な芸当を見せながらチャムは答えるのだった。


   ◇      ◇      ◇


 ホルムトでは託児孤児院と反比例するようにアトラシア教会は数を減らしている。それでも未だアトラシア教会本部が城壁内にあるのは事実であり、全く勢力を失っている訳ではない。ではその本部が拠点として機能しているかと云えば否となる。ほとんど寄付が集まらない状態では何も出来ないのは確かであるし、その打開の為にフォルディートは神聖騎士の派遣申請を行ったのである。


 貧困対策は王国が傾注しているし、孤児に関してはルドウ基金がほぼ完璧な対策を講じている。救済を以って人心を集めるのは難しい。教義の対極にある魔闘拳士が極めて高い人気を維持していれば、論を以ってそれに対応するのは非常に困難だとしか思えない。

 ならば魔闘拳士が身を立てる基本になっている武を以って対し、これを下して見せねばならないだろう。それを成せれば英雄の絶対性を崩し、主張を広げていく事も可能だと考えた。その為に魔闘拳士が凱旋した後も接触を避けてきたのだ。

 神聖騎士の召喚は一つの賭けなのである。クスガンを魔闘拳士にぶつけなければならない。


「ほう、その者を魔闘拳士と戦わせたいと申すのか?」

 国王を前にしてフォルディートはその思惑を隠す気もない。手管を弄したところで逆風の今は思い通りにはならないと思える。

「我らは教義を疑ってはおりませぬ。魔獣は人類の敵でしかあり得ないのです。神の御心に従わぬ者にほしいままにさせるのは国を傾ける因にしかならないと考えまする。私はホルツレインの将来を思えばこそ、神のしもべにしてその御心の体現者である神聖騎士の武でそれを証明して見せねばならないと思いました。どうかお許しをいただきたくお願い申し上げます」

「許すも何もあるまい。カイ・ルドウは我が客にして国賓であるが、我が臣でも民でもない。余は彼の者に命じる権を持っておらぬ。頼む相手を間違っておるぞ」

「では陛下は何が起ころうと関せぬとお申しになられるか?」

「好きにせよと言ってはおらぬ。ただそなたの無謀をどう諫めるべきか言葉を探しておる」

「無謀とお申しになられるのですか? では余計に陛下にも世にも神の御心を知ら示さねばなりませんな」


 アルバートが密かに面白がっているのを新しい大司教は気付いていないのだった。

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