もう一つのお土産

「ところで侯爵様。さっきの話は聞き流せないんですけど?」

 ベイスンの肩に手を置いて引き寄せると言い募る。

「僕はあなたにベイスンの事をお願いしましたが、何で彼の将来が決められているんです?」

「不満か? 私は彼に保護を求められたから保護もした。面談したら十分な素養を感じたから教育している。私の付き人みたいな事もしているが、空いている時は教師を付けて学ばせているぞ。別に使い走りにしている訳じゃない」

「いえ、僕はベイスンを一時的に保護して欲しかっただけなんです。ホルムトに戻ったら、彼に住む場所を与えて家庭教師も付けて、将来は何かとやってもらおうと思っていたんです。当面はルドウ基金の職員になってもらう予定ですからね」

「それは困るぞ。彼にはもう、政務官になれるよう勉強してもらっているし、既に或る程度の機密にも触れられる立場にある。今更、引き抜かれては元も子もない」

 いきなりグラウドとカイが自分の奪い合いを始めて、ベイスンは目を白黒させる。

「守秘義務の意味くらい彼ならすぐに理解出来ます。お気になさらず」

「待て。私はきちんと彼の希望を聞いて今の状況にある。それを無視するか?」

「ちょ、ちょっと待ってください! カイさん、侯爵様のおっしゃっておられる事は本当です」

「そうだぞ。ベイスンは早く独り立ちして経済力を得たいと言った。彼の能力を見れば、一番の適性を持つ道を最短で歩ませている。非難されては敵わん」

 それが事実だとするとカイの旗色は悪い。

「ベイスン。一言相談して欲しかったよ」

「カイさんがそんな風に考えてくださっているなんて思っていませんでした。僕はあなたが愛しているこの国を良くするお手伝いが出来るならそれが良いと思ったんです。侯爵様に僕ならそれが出来ると言われて」


 それも真実だろう。だが、グラウドならベイスンの非凡さを簡単に見抜き、優秀な政務官に育てて使うくらいの事は簡単に思いつくのは間違いない。今も将来も喉から手が出るほど欲しい優秀な人材をグラウドが手放さないのは想像に難くない。彼が激務の世界にその身を投じるのを眺めているのは口惜しいが仕方ないとカイは思った。


「良いんだね? 大変だと思うよ?」

「カイさんがそこまで僕を必要としてくれているのが解って確信しました。僕でもあなたや侯爵様やこの国の為に役立てる事を。頑張ってみます。見ていてください」

「解った。侯爵様、くれぐれも無理させないよう大事に育ててくださいね? 約束ですよ?」

「約束しよう。将来の右腕を簡単に潰してなるものか。任せろ」

 五分五分の戦いを演じるこの二人だが、今陽きょうのところはグラウドに軍配が上がる。


 ベイスンの将来を譲るのは仕方ないにしても、一つ釘は刺しておかねばならない。

「言っておきますが、無茶しないでくださいよ。裏から手を回して妙な手で貴族にしようとかしないでくださいね?」

「む、没落貴族の娘でも宛てがって貴族に取り立てようと思っていたのだが……」

「止めてください。彼にはもう大切な人が居るんです。命を賭けても守りたい人が。だから早く経済力が得たいと言っているんですよ?」

「ひゃ! か、カイさん! それは!」

「出世の為に彼女を捨てたりしませんよね?」

「当たり前です! でもそれをここで言わないでください!」

 ベイスンは真っ赤になって制止する。


 渦中の人物、メイベルは一時的に侯爵邸に住まっていたが、今は母のエランカと市街で暮らしている。と言うのも、エランカは高い調理技術を持っており、グラウドの推薦でモノリコート工場の製造部門で調理主任を担っている。その為に、工場近くの専用公宅に転居していった。

 忙しくしている母に代わって家事を一手に握るメイベルも将来は調理の道を歩むのかもしれない。だが現在はまだ扶養家族として母の手伝いをしているだけ。

 ベイスンも休暇にはエランカ邸を訪っては食事を振る舞われていて半ば家族のようにしている。本当の家族になった時の予行演習のようなものだろう。


「こら、止めてあげなさい。普通の人はあなたみたいに恋愛に開けっ広げじゃないのよ」

「あれ、僕が怒られるとこ?」

 トゥリオを始めとしてアルバートやクラインもニヤニヤとこの遣り取りを聞いている。


 一人、フィノだけは(おや?)という反応だったが。


   ◇      ◇      ◇


 これだけの顔が揃っている場を逃せない用がカイには残っている。

「陛下、導師をお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「構わぬぞ。何かあるのか?」

「お見せしておきたい物が有ります。ただ導師くらいの知識が無いと真価が解りませんので」

「呼ぼう。君の名を出せば飛んで来るだろう」


 クラインが言った通り、普段は魔法院に籠って出て来ないアッペンチット導師が息せき切ってやってくる。

「何用ですかな? カイ・ルドウが呼んでいるそうじゃが」

「お久しぶりです、導師。またいつもろくな物食べてないんでしょう? 御馳走が有りますよ」

「おお、これは凄い!」

 豪勢な料理を頬張るアッペンチット。

「ってそうじゃないわい! お前がワシを呼び出すとは何か有るのじゃろう?」

「お腹を満たしてからで構いませんのに」

「新たな知識こそがワシを満たすのじゃ。もったいぶるな」

「相変わらずですね。仕方ありません。これです」

 一つの小卓の上に一枚の布を広げるカイ。そこには魔法陣が描かれている。

「見覚え有るでしょう?」

「有るに決まっとるわ! ワシは毎陽まいにちの半分をこれと睨めっこしておるのじゃぞ。じゃが、これは全く同じではないな? 何じゃ、この違和感は?」

 ダッタンの遺跡から複写回収した魔法陣を、魔法院でも研究中なのだろう。

「『魔獣除け』の魔法陣です。反転させてあるんです」

「何を!? 魔法院でも未だ分解解析の半ばにあるのじゃぞ? 確かに全力を傾けている訳ではないが、それもお前が遠話器などというものを持ち込むからじゃ。あれの試作、製品化で忙殺されていたからの」

 文句を言いつつも、魔法陣を食い入るように見つめている。

「うむぅ、これは確かに……」

「幻惑記述を取り除いて、効果を逆転させただけですよ。元が有るから難しくはありません」

「言うほど簡単ではないぞ。しかし、この構成は何度見ても美しい」

「そうですよねぇ。ここの構成の繋がりとか美しくてフィノは見ててうっとりしてしまいますぅ」

 出しゃばらないよう脇から覗いていたフィノだが、本音が口を吐いて出てしまう。

「む? 解っておるではないか? おぬし、何者じゃ?」

「あ、すみません。つい。フィノは魔法士ですぅ」

「僕のパーティー仲間で優秀な魔法士ですよ」

「ほう。この美しさが解るとは才能がある。魔法院に来るべきじゃな」

「あげません。そんな事を言い出すならこの魔法陣もお渡しできませんよ?」

「言わん! 言わんから、これをくれ。後生じゃ!」

 魔法陣の布に飛び付いて身体を張って主張するアッペンチット。まるで子供のような反応に苦笑いが漏れる。

「差し上げますから、思う存分研究してください。僕達はもう実用していますから」


「ただし、これをお渡しするには条件が有ります。陛下も良く聞いてください」

 魔法陣に手を置いたカイは真面目な顔で告げる。

「余も関係するのか? 聞こう」

「使用は厳しく制限します。市販は考えていません」


 主な使用目的を都市や町、村落の保安とする事。特に森林帯、密林帯、魔境山脈、その他魔獣の主たる生息域では基本的に使用しない事。つまり、広範囲で魔獣を現在の生息地から追い出すような使用を厳に戒める方向しか認めないとカイは言う。


「魔獣保護の意図が無いと言えば嘘になりますが、それだけではありません。もし、先に挙げたような場所で使用して、そこを新たな人類の版図にしようなどと考えようなら、必ずしっぺ返しが有りますよ? おそらく暴走した魔獣の群れが溢れ出し、少なくない被害が出ます。その責任は人に有ります」

「うむ、心得た。そなたの言う事はもっともだ。不毛な争いは余も好まぬ」


 この魔法陣は後に野営陣と呼ばれる街道沿い安全地帯に用いられるのだが、今はホルツレインの機密扱いになる。そんな物を惜しげもなく提供するカイを、ベイスンは驚きの目で見つめていた。


 彼の尊敬する人物がなぜこの国で重要人物扱いされているかがやっと解ったベイスンであった。

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