背負いし者達

 そこそこ長い付き合いにはなってきた筈だが、チャムがこうも激怒しているのを見るのはカイも初めてだ。フィノの事ももちろんあろうが、何かが彼女の逆鱗に触れたのだろうと思う。


「お、おお……。蛮族の徒にしてはそなたは美しいな。そなたなら朕の子を産む栄誉を与えん事も無いぞ」

「黙らっしゃい!」

「ひぃ!」

 散々困らせてきたルファンだが、この時の空気の読めなさ具合が最高潮だったかもしれない。

「聞きなさい? お前がずっと自分がそうだと主張している神使の一族には、誰が見ても見間違う事の無い決定的な特徴が有るの。お前にはそれが全く表れてないわ。だからお前が神使の一族の末裔である可能性は皆無よ。良い? お前は見ての通りの矮小な人族の男なの。解った?」

「わ、矮小だと!?」

「気に入らないなら言い換えてあげるわ。お前ほどお粗末で貧相な男に抱かれるなんて虫唾が走るわ。何が有ろうがお断りよ!」

 どうやら背の高さは彼のコンプレックスだったようだ。その上に追い打ちを掛けられてルファンは顔を真っ赤に染めて怒り狂う。

「この売女め! 黙っておれば……、ばほっ!」

 すさまじい音を鳴らしてルファンの頬が張られて、首がグリンと回る。これはヤバいと慌ててカイが羽交い絞めにするが、まだ彼女の怒りは収まらない。

「大体、何な訳? 神は何で神使であるお前を助けてくれないの? お前が神の声を聞くって言うのなら、今がその時じゃないの? 言ってみなさいよ、神は何だって言ってるの?」

「ぐ……、ぬぬぬ……」

「今が試練の時だとでも言ってる訳? 何、神使ってのは被虐趣味の一族なの? 違うでしょ。神使と呼ばれる一族はただのサポート役なのよ。魔王を討つため異能を授かった勇者を導き、聖剣を与え、道を指し示す役割を担うだけの存在よ。そんな事も知らないで御大層に名乗っていたんじゃないでしょうね?」

「…………」

「愚かしいにもほどがあるわ。後ろの連中に手を突いて謝りなさい。『嘘ばっかり吐いて申し訳ございませんでした』ってね」

「そのくらいにしておいてあげようか、チャム。言って聞くような相手なら、ここまで捻じ曲がらないよ。言葉を弄するだけ無駄なんだから」

「……そうね」

 カイに耳元で囁かれて、少しは鎮まってきたらしい。それ以上に虚しい思いも有るのだろうが。


「そろそろ往生してはどうかな? 貴方がこのトレバ皇国解体宣言書に署名してくれれば、こんな風に晒しものにする必要など無いのだ」

 クラインはそう言うと指示を出す。

「縄を解いて差し上げろ。ペンの用意を」

(黙っておれば、言いたい放題を……)

 呟くような小さな声がその口から漏れている。鼻息が荒くなって妙な気配を発しているのに気付かず縄を解いた騎士の腰に飛びついたルファンは小剣を引き抜くと、前に出ていたクラインに斬り掛かった。


 咄嗟に動けなかったクラインを押しのけて、目にもとまらぬ速度で剣を抜いたチャムはその小剣を根元から斬り飛ばした。

 完全に一線を越えてしまったその凶行に、彼女はそのままの流れで首を刎ねようとしたのだが、その刃はルファンの首の1メック1.2cm手前で止まってしまっていた。

 その剣を掴み止めていたのはカイの銀爪だった。


「なぜ……?」

 チャムの問いに彼は首を振る。

「良くぞ止めた、銀爪の魔人よ。褒美を取らせてやろうぞ。何を望む。地位か財貨か……げはっ!」

 ルファンの胸の中央にはマルチガントレットの五指が突き刺さっている。

「お前みたいなくだらない奴の血には、僕の大切な人の手を汚させる価値さえ無いってだけだよ」

 その爪は心臓にまで達していたか、ルファンは数度の痙攣を残してくずおれた。


 西方を乱し続けた男の最期とするにはあっけ無いものだったかもしれない。


   ◇      ◇      ◇


 クラインは目の下に隈を作り酷く疲れた様子を見せて本営に帰還した。

 何が彼をそこまで疲労させたかと言えば、それは捕縛者の聴取検分である。


 トレバ皇国解体宣言書署名調印式の場で起こった凶行はすぐさまホルツレイン・フリギア両国国王の耳に届き、その処理は正当なものであると承認された。続いて連行されたトレバの第一皇子は、その場に安置されている父の亡骸に震え上がり、促されるままに宣言書に署名捺印を行い、トレバ皇国の解体は正式な手続きに則って実行される事が決定する。

 その流れで両国王は王太子クラインに、皇王ルファンの血縁者に対する処分の判断を委託する。ルファンの血縁者はそれなりの数に上る。それら全ての者の聴取検分をここ数陽すうじつに渡って行っていたクラインはやっと解放されて本営に戻ってきたのだ。


 本営前ではカイ達がせっせとセネル鳥せねるちょう達を洗って額に汗しながらも、爽やかな笑顔を見せている。

「あら、お疲れね」

「疲れもするさ。何だあの連中は。揃いも揃って!」


 皇王の王族は、その全てが疑似ルファンのようなものだった。

 自尊心と虚栄心だけで出来上がったような彼らは、聴取を行う係官に食って掛かっては自分の扱いの悪さをキーキーと騒ぎ立てる。検分しているクラインでさえ辟易する状況に、係官たちの負担は想像を絶するものと言えよう。

 クラインは全ての者を斬首に処する決断をし、命令書に署名した。ルファンに毒されて、その身の内深くまで浸透している思想は更生の余地も無く、幽閉するにしても彼らを担ぎ上げようと奪還を企てようとする者が現れないとも限らない危険性を考えれば、生かしておく意味を彼は見出せなかったのだ。


 先のホルツレイン侵攻の時には、彼も国王と共に反逆者ルギア伯爵の処刑命令書に署名をした。当時はその一筆が人の命を奪うものだと戦慄したものだ。手の震えを抑えるのにずいぶん苦労したのを覚えている。その責任の重さから目を逸らすのが嫌で、周りの者が止めるのも聞かずにルギア伯の斬首にも立ち会った。ドンと首の落ちる重い音と、斬首台を染めていく驚くほどの量の血を見て嘔吐感を抑えきれずに情けない姿を晒したのも忘れられない。

 あの時も今も同じだ。国を統べるという事は、色々な形で命の重さがその肩に圧しかかって来ると思い知らされる。明るい場所を笑顔を振り撒いて歩きながら、非情なる決断をも要求される。父も歩くその道を、得も言われぬ孤独感を感じながら行かねばならないのだ。それでも根は善人であるクラインは揺らぐのを止められない。


 丈の低い草に覆われていたロアジン東部平原は、今は馬蹄に蹴り荒らされ黒土の無残な姿を晒している。ほんの一巡前6日前にはそこは戦死体が数多く横たわっていた。その黒い平原を眺めながらクラインは問い掛けてみる。

「カイ、君は何を思う?」

 セネル鳥達が乾かしてもらった羽根を嘴で整えているのを満足気に見ていた冒険者達は彼の声音に潜んだ苦悩を読み取って集まってくる。

「どうしたんです?」

「私は今、命を奪う決断をしてきた。それは必要だと思う。思うが迷いを断ち切れん」

 クラインは皇王血族に下した処分を告げて言葉を重ねる。

「時々思う。カイ、君ほどの強大な力の持ち主ならば迷いは殊更なのではないか?」

「そう思ってしまうでしょうね?」

 気遣うようにクラインを見つめた後、カイは遠くに視線を移して続ける。

「クライン様が思ったように、誰もが殺さずに成し得るのではないかと言うかもしれません。その力が有れば命を奪わずに実現出来た筈だ、と。でも……」

 彼は言葉に迷うように一拍置いた。

「痛みを伴わずに作り上げたものは脆いのです。それを取り巻く者達が少しでも道を誤ればいとも簡単に崩れ去ってしまう砂上の楼閣なのです。しかし痛みを感じながら作り上げたものは強固に出来上がります。人々がその痛みを忘れられないから」

 ロアジン市民は何が最も大事で尊いものなのかを絶対に忘れないだろう。

「その様を見てみたいと望むのだから、罪くらい僕が背負いましょう」


 壮絶なるその覚悟にクラインは目を見開くばかりだ。

 カイの背に手を添えて、チャムはそっと寄り添い微笑みかける。

 それに彼は屈託の無い笑顔で応える。


 その支えが彼をより強くしているのだとクラインは思った。

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