礼美の一矢

 諏訪田剛人は渡された名刺を眺めている。そこには『フリージャーナリスト 北井俊介』と書かれていた。

 用件には心当たりは有る。むしろそれしか無いと言ったほうが正しいか。


「流堂櫂君はここの門下生で間違いないですかね?」

「ああ、そうだが、何か用かな? あいつなら今は来れないぞ」

 想像通りの質問に皮肉を込めて返してやる。

「まあ、そりゃそうでしょうねー。逮捕拘留中ですからね」

「知ってんなら用は無いだろ?」

「いえ、そうとも限らなくてね。彼がここでどんなふうにしていたとか何でも情報が欲しいんですよ」

 北井は透かすように見てくる。

「調べてどうする?あいつはまだ十四になったばかりだ。何にも書けないんじゃないか」

「扱いが難しいとこですな。だからこそ取り上げれば売れるんですよ」

「好きになれん考え方だな」

 他人の不幸でメシを食っている手合いである。諏訪田の感性では信じられない人種だ。

「ところでここは不良少年等を積極的に受け入れているそうですが、櫂君にも非行事実が有ってここに来たんですかね?」

「集めてるつもりは無いぜ。ただ、世間の認識がそうで、親共が勘違いして放り込んでくるだけだ。だが、あいつは違う」

「どう違うんです?」

「自分から来たからだ。戦う術が欲しくてな。あいつには道徳だの規範だのは何にも教えていない。ただ鍛えているだけだ」

 風向きがおかしい事に北井は気付く。どうも自分の筋書きとは違う証言しか出て来ない。

「じゃあ、彼は貴方が教えた技であれをやったんですな。それについてはどう考えていらっしゃるんで?」

「ああ、あの馬鹿どもの事か? ははははは!」


(困ってやがんな。お前のような手合いが欲しがるもんはくれてやらん)


   ◇      ◇      ◇


「罪悪感とか無いんですか?」

「有る訳無いな。奴らはあいつの身内に手を出したんだろ? 知らずにとは言え虎の尾を踏んだんだ。食い散らかされなかっただけ幸運に感謝するんだな」

「いやいや、それはちょっとおかしいなんてものじゃないでしょう!」

 北井はついつい突っ込んでしまった。

「おかしい? 何が?」

「食い散らかすとか何が何だか……」

「解らんか? 猛獣に手を出せば痛い目に遭うのは当たり前だろうが」

 もう、訳が分からない。

「猛獣? 櫂君がですかい?」

「そうだ」

「じゃあ、貴方はここで子供を猛獣に育てたって事になりますぜ?」

「違うな。あいつは最初にここに来た時から獣だった。俺は上手に加減出来る方法を教えてやっただけだ」

 もう完全に雲行きが怪しい。こんな世間一般からかけ離れた話、誰が欲しがるというのだ。

「参ったな。俺には貴方が何を言ってるのかさっぱりです」

「あいつに会ってみろ。じゃねえと解らんだろうな」

「それが出来れば苦労しませんって」

 既に流堂櫂は家裁送致まで済んでしまっている。今はまだ、周囲の状況が固まっていないので拘留されているだけの状態だ。


 このまま話しても迷路に迷い込むだけだと悟った北井は話題の転換を図る。

「世間じゃ櫂君を、悪を正したヒーローみたいに扱っていますが、それについてはどう思います?」

「ヒーローねえ。ちゃんちゃらおかしいってのが本音だな。あいつは世間を味方にしたいなんて全然考えちゃいないだろうからな」

「知ればどう思うと?」

 ネタに出来るものの一つくらいは拾って帰らねば気が済まない。

「うーん……。なあ、あんたは正義って何だと思う?」

「こう言ってはなんですが、俺みたいな人間が捨ててきたもんですかね。ま、メシの種には利用しますが」

「俺も似たり寄ったりだぜ」

 諏訪田は何か遠くのものを見るような、何かを懐かしむような風情で続ける。


「世の中にゃ、俺達がすぐに持て余して放り出してしまうようなそれを、後生大事に抱え込んで走り続けているような奴が居るんだ。汚れてしまった人間には眩しいが、それでも眺めていたいって思っちまうんだよ」


   ◇      ◇      ◇


 礼美はどんよりと落ち込んでいる。

 拓己は死んでしまった。もうあの優し気な笑顔を見る事は叶わない。未だにどうして彼が死ななければならなかったのかが解らない。ただ弟の櫂が彼を死に追いやった奴らに天誅を与えてくれた。

 その櫂も警察に逮捕されてしまった。礼美は自分だけ取り残されてしまったような気分に苛まれている。自分に何か出来なかったのか自問するが、何も思い浮かばない。無力感だけが彼女を襲う。


 大学には戻れないでいる。もうそろそろ就職活動の事も考え始めなければならない時期なのだが、そんな気力も湧いて来ない。そもそもこの珍しい苗字の所為で大学に戻ったところで、まともに行動も出来ないだろうと諦めている。それを告げると両親も同意してくれた。留年しても構わないから、しばらくはゆっくりするようにと父に言われる。母も精神的には苦しいのだろうが、礼美には笑顔を見せてくれている。


 手持ち無沙汰なのが余計に悔しい。こうしていると、櫂のほうが余程考えていたのかと思ってしまう。礼美は何かがしたい。せめて弟だけでも救い出したい。拓己の無念を晴らしてくれた彼だけでも何とかしてあげたい。でも自分には何も出来ない。堂々巡りは続く。


 居間のPCを立ち上げる。知識の足りない礼美は、現代人風に情報の海に答えを求めてしまう。

 しかし、PCの中そこに彼女は一つの手掛かりが有るのに気付いた。ストレージに見知らぬ動画ファイルが有るのを見つける。もしかしたら櫂はあの動画を上げる前にここで編集をしたのかもしれない。それならこれは編集前のファイルなのではないか?

 急いで礼美はその動画を再生してみる。それは確かに編集前の動画だった。


 ネットに出回っている動画は、櫂があの三人を暴行して真実を自白させるとこから始まっている。ところがその元動画には少年達が話している場面が有った。

 女性の礼美にすれば、聞くに堪えない発言が続き顔を顰める。最初は吐き気を覚えるだけの物だと思ったが、彼女は一つの方法を思いついた。


(これなら今の状態に一石を投じられるかもしれない)


 そう思った礼美は猛然とPCを操作し始めるのだった。


   ◇      ◇      ◇


 新たにアップされた動画にネットは騒然となった。


 話題独占の暴行動画の新バージョンが公開されたのだ。投降者である少年は逮捕拘留中なのだから、それを行ったのは第三者である筈だが、そこには新たな事実が残されていた。


 三人の少年が同級生らしい少女に対する暴行の相談をする様子。そして、それを阻止するように暴行少年が動き始める様子。その事実がもたらした影響は甚大だった。

 サーバーがパンクし兼ねない勢いで動画のカウンターが回る。それに伴い続々とコメントが寄せられる。


「とんでもないクズ共だった」

「一人殺しておいてこれ、だと?」

「もう人間じゃない」

「誰かこいつら何とかしろよ!」

「ヒーローカムバック!」

「やっぱりあたし達のヒーローは正義の味方だったわ!」

「死刑だな、これは」

「こいつらに少年法の適用なんて不用だろ」

「警察の怠慢許すまじ」

「英雄を解放せよ」

「こんなんでも更生の余地ありとされる世の中」

「どうせ精神鑑定とか言い出す」

「メディアも家庭環境がどうだとか言うだけ」

「そうそう」

「万死に値する」

「こんなのが野放しにされたら怖くて外歩けないよう」

「顔覚えたぞ 次は俺が」

「問答無用でボコったる」

「警察の人、ここ見てー!」


 この五日後、被害少年本人と家族から告訴の取り下げが申請されて受理される。


 そして、流堂櫂は不起訴となり釈放されたのだった。

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