脱出行

 坑口付近に集まった強制労働者に問い掛ける様にカイは話す。


「もうしばらくしたらこの国は戦争状態に入ります。そうなれば鉱山ここの状態は更に悪化すると予想出来ます。その前に脱出したいと考える方に関しては、僕達で護衛してホルツレインに逃がすつもりです。強制は出来ませんが、貴方方にとっての敵国にでも逃れたいという方は僕達に着いてきてください」

 普通ならば逃げ出したいと考えるのが当たり前だろうが、何せ逃亡先は彼らにとっては敵国になる。その辺りを踏まえて判断を委ねたいと彼は思っていた。

「でも、俺達、ホルツレインに行ってもまた捕まるだけじゃ……」

「ホルツレインでの身分の保証に関しては僕が請け負います。今は信じてくれとしか言えません」

 現状は打破したい。しかし、目の前の冒険者の言葉に乗るには確証が持てないでいる。彼らの中の天秤は揺り動かされて傾けないでいた。


「皆さん! 僕達はこのままここに居ても緩やかに殺されるだけです。僕の両親も死にました。父母が残してくれたこの命をみすみす捨てるつもりはありません。だから僕はこの方達に賭けるつもりです。生きて父母に感謝するために!」

 ベイスンの演説は彼らの心を揺さぶり、天秤を傾けてしまう。


(変に度胸があるわね、この子。それに頭も良いわ)


 チャムは感心していた。論拠を押さえ、誘導し、最後に心情に問い掛ける強い言葉をぶつける。筋道だった心に響く演説だ。彼にはかなりの才能が眠っていそうだと彼女は思う。

 隣では何か微笑ましいものを見る様にカイも彼を見つめている。似たような感想を抱いているのだろう。


「行くぞ! 俺は行くぞ! こんなとこで死んでたまるか!」

「そうだ! もうこんな国になんか愛想が尽きた! ホルツレインで捕まったとしてもここよりマシだ」

「そうだ! そうだ!」

 口々に賛同の声が上がり、広まっていく。

「では、鉱山街まで降ります。まだあそこで労働させられている人も救出しなければなりません!」


 鉱山街まで降りる前に、あの窪地近くまで彼らを連れていく。現状を確認してもらって還しの儀式の許可を得なければならない。特に異論はなく儀式の段にはなったが、フィノはまだ青い顔をしている。


「良いわ。私がやるから」

 彼女の肩を叩いて下がらせ、チャムは空中に流麗な魔法文字を描いていく。まるで手向けの言葉の様に。

焔輪ブレイズリング

 窪地を囲うように輝線が走り、炎が舞い上がって遺体を魂の海に還す。


 彼らの魂が報われるかどうかは、これからの脱出行に懸かっている。


   ◇      ◇      ◇


 鉱山街まで降りた彼らは冒険者を先頭に進んでいく。襲い掛かってくる監視は打ち倒し逃げる者はそのままにして、街に残っていた主に女性労働者を仲間に加えて集団は膨れ上がっていった。

 街にはもう動けなくなったり、体力が落ちて病を得ていたりする者も転がされていた。そこに有る鉱石運搬や人員運搬用の馬車も片っ端から持ち出して、動けない者や幼い子供達を乗せていく。馬も全部引き出して馬車に繋ぐ。


 街に居た強制労働者でない職工達から非難の声が上がったが、カイが革袋に詰まった金を出して黙らせた。

 さすがに食料まで引き上げていかないのだから、それくらいは我慢して欲しいものだと彼は思っている。その内四人が打ち倒した監視達も復帰してくるだろうから、彼らの護衛を受けて他の鉱山街に移動すればいい。


 そして彼らは鉱山街ツルミエットを後に、ホルツレイン王国への脱出行へと入ったのだった。


   ◇      ◇      ◇


 他の鉱山街からは少し距離を取って東に向かう。そこは荒野と草原がまだらになった土地だ。

 本当は皆、疲れきっていて旅など出来るような状態ではなかろうが、今は少し頑張ってもらわなければならない。逃げ出した監視の通報で追手が掛かると厄介だ。応戦は可能だろうが、ここで無駄に死人を出してトレバを本気にはさせたくない。今の四人はとんでもなく大きな荷物を背負っているのだから。


 とりあえずは配った食料を歩みながら摂ってもらう。

 これには大量に仕入れたばかりの魚の干物が役立った。肉みたいに調理を必要とせず、そのまま齧れば良いし、塩分も栄養も摂れる。焼いて取り置いたパンも有るが全員には行き渡らないので、病人と子供に限らせてもらう。

 そんな食事でも彼らは貪る様に消費していく。ほとんどの者が栄養失調状態なのだ。本当は柔らかく煮込んだスープのような物を与えるべきなんだろうが、今は形振り構っていられない。兎にも角にも栄養補給して前に進んでもらう。

 セネル鳥せねるちょうにも子供を複数乗せているので、四人も徒歩。一緒に干物を齧りながら歩く。時折りカイが広域サーチで安全確認しながらの逃避行だ。


 荒野を行けば魔獣が襲ってくることも有る。避難民達は恐れ慄き悲鳴を上げる者も居るが、いつの間にか回り込んでいた冒険者がことごとく狩っていく。大集団の為に守る範囲は広大になるのに、遠くの位置からでも魔法が飛んできて魔獣は倒れるし、接近されれば一刀のもとに両断していく。

 いつの間にか皆が落ち着いて行動するように変わってきていた。冒険者の彼らに任せておけば大丈夫だと、そんな認識が広まりつつあるのは彼らの意図するところだった。

 それを傍らで見ているベイスンは皆が思っているより大変な思いをしているのを知っていたが、四人は何でもない風に振る舞っているので他の者が不安にならぬように黙っている。しかし、彼らへの感謝の念は魂に刻み込まねばならないと決意していた。


 夜まで歩いてそれなりに距離を稼ぐと、見つけた岩場で夜営をする。昼間の移動では魔獣除けの魔法陣は使っていない。あの魔法陣では人間の追手は防げないため意味が無いのと、魔獣の襲撃で避難民達の切迫感を煽って行き足を少しでも速めたかったからだ。しかし、夜営となればそうもいかず、こっそりと起動してあった。皆にはサーチ魔法で危険が無いと確認してあると告げている。

 何ヶ所も竈を作って有りったけの鍋を使ってスープを作り、どんどん肉を焼いて配る。人々は暖かい食事にありついて少し落ち着いた様だ。談笑する声もそこかしこから聞こえ始める。今は少しでも体力を回復させてもらい、明陽あすからは食事の準備も自分達で行って欲しいと考えている。


 フィノにはずっと丸パンの種を焼いてもらっている。カイもずっと小麦粉を練ってパン種を作り続ける。昼間は移動に時間を取られるので発酵させる時間が夜しかないのだ。

 ベイスンとメイベル、そして街で救出した彼女の母のエランカに、パン種を小分けする作業を手伝ってもらっている。特にエランカは料理が得意だと聞いて、作業を少しずつ任せていきたいと考える。


「えっと、30ラクテ36kgの小麦粉が五十袋。ここから徒歩で国境まで大体三巡18日くらいだから一日当たり……」

「……二袋と八割方くらいです、カイさん」

 一瞬の間を空けてベイスンが教えてくれる。

「早いね。それなら一陽1日二袋半くらいにすれば余裕が出るかな?」

「はい、五袋は余る計算になります」

「凄いでしょう? ベイスンはとっても頭が良いんですよ。陣取り遊びでも誰にも負けないんだから」

 メイベルが我が事の様に自慢してくる。本人は「止めてよ、メイベル」と恥ずかし気だが。

「君は誰かに算術を習ったのかな?」

「はい、村長さんに少し。普段から使うようにしてたら慣れてきました」

 どうやらベイスンは暗算がかなり得意なようだ。魔力はそれほどではないが、魔法演算領域は相当発達しているように感じる。昼間の演説を聞けば、機転も利くし知恵が回るのも解っている。

 食後にカイが筆算のやり方を教えてやると、スポンジが水を吸うように覚えていく。

「ベイスン、君は本当に凄いね」

「とんでもないです。カイさんこそどうやってこんな演算方法を編み出したんですか? こんなの初めて知りました」

 それは当然だ。日本の小学校で習うものなのだから。

「まあ、こんな方法も有るってだけだよ。書き物が出来る環境が無いと使えないからね」

「それでも驚きました」


 カイが市井に埋もれる大きな才能を見出した瞬間だった。

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