シーグルの胸の内
チン、チンとナイフを合わせる音が響き渡る。僅か
ナイフがチャムに届かない。自分の間合いに入る事さえ出来ずにあしらわれている。それは驚きの事実だった。アキュアルもシーグルに少しずつ戦い方を教わってきたのだ。それなりに進歩もしてきた筈なのだ。ところがその自分の攻撃はかすりもせずに空を斬るばかり。
別に彼女が間合いの長い剣を使っているのではない。カイから渡された同じナイフを使っているのだ。 なのに両手にナイフを持つ自分の攻めをヒラリヒラリと躱してしまう。左手の盾を使う事さえ稀なほどだ。
アキュアルはまさか自分が人族の、それも女性にこれほど差を見せられるとは思ってもいなかった。間違いなくチャムは今の自分では全く手の届かない高みに居る。そのあまりにも高い壁に愕然とする。
完全に息を切らしてうずくまるアキュアルの背を彼女が撫でてくれる。
「少し飛ばし過ぎたかしら。大丈夫?」
「…大丈夫、…まだ、や…れる」
「無理はダメよ。カイ、飲み物を」
カイが渡してくれた冷たい水が身体を冷やしてくれる。多少は息も整ってきた。
「すげえな、ねえちゃん。少しは自信あったのに」
「これでも戦闘の専門家なのよ。でも、歳の割に君の攻撃も鋭かったわ。口だけじゃなく頑張ってもいたのね」
チャムは最初、ナイフ一本で相手できると思っていた。ところが数合でそれを諦めざるを得なかった。それで盾も出して対処していたのだ。
アキュアルは褒められた事がとても嬉しかった。頭をポンポンとされてくすぐったくて、はにかむような笑顔を浮かべる。それをカイがいつものようにニコニコと見守っている。
「続けられる?」
「はい!」
こんな機会はそうそう無いと思う。アキュアルは少しでも吸収しようと真剣な眼差しで立ち上がる。
しかし、それは数合で妨げられる。
「何やってんだ、お前ら! アキュアルに余計な事を吹き込むんじゃない!」
「シ-グル…」
昨夜も乗り込んできた少年がまた割り込んでくる。
「ちょっと、あなた、一方的過ぎない?」
乱暴な物言いにチャムも眉を逆立たせるが、カイに手で制されてそれ以上は言わないでおく。
「何が気に入らないんです、シーグル?」
「全部だ! アキュアルから事情を聞いて変な事を吹き込んだんだろ? 戦い方を教えてどうするんだ。この子が余計な自信を付けて密林に行ったらどうしてくれる」
「君は彼を守らないのですか?」
「そういう問題じゃない! そうだ! お前ら、アキュアルを仲間にして戦闘の前衛として使いつぶす気だな? そんな事は許さんぞ!」
根も葉もない事を言ってアキュアルを引き戻そうとするが、それは彼を混乱させるだけだ。
「君は嘘を吐いていますね?」
「嘘を吐いてるのはお前らだろ!?」
あくまでカイ達がアキュアルを利用しようとしていると主張したいシーグルだが、もう遅い。
「アキュアルが成長して強くなったところで密林に行かせる気なんて毛頭ないんでしょう?」
「本当なの、シーグル!?」
「く! …そんな事は、…無い」
動揺が激し過ぎる。年若い獣人に胸中を隠し通すほどの欺瞞は出来ない。
「君はムルクに近過ぎたんですね。彼女が両親を失った苦しい胸の内の相談を受けていたんじゃないですか? そんな辛さをもう味わいたくない、とか。なのに彼女をも守れず死なせてしまった」
もしかしたら結婚の約束でもしていたかもしれないとカイは思う。だが、そこまで指摘してしまうと彼を追い込み過ぎてしまうだろう。
「それで恐くなってしまったんですよ。もしアキュアルまで守り切れずに失ってしまったらどうなってしまうか解らない。自分まで変になってしまうんじゃないか、とね」
「違う! …違う!」
「自分を守る為にとまでは言わないまでも、守り切れないくらいなら自分が死んだ方がいいくらいに思っているんでしょう?」
シーグルはもう耳を押さえて首を振り続けている。アキュアルはそんなシーグルを見るのが初めてだった。優しく厳しく父親の様に接してきてくれた彼が腹の内にそんな思いを隠しているとは思いもしなかった。
「何が悪いんだ! 身近な死を辛く感じるのは当たり前じゃないか! それを恐ろしいと思うのも!」
開き直ったように自分の正当性を連ね始める。
「ええ、構いませんよ。君の中だけに納まるなら。でも、君はそれをアキュアルにまで押し付けたんですよ。彼を抑え付けてこんなにまで苦しめているんです。シーグル、それも罪じゃないと主張する気ですか?」
「どうしろっていうんだ、シーグルに! 何もかもすべて守れとでも言うのか? そんな事は不可能だ!」
「マルチガントレット」
両手に無骨なガントレットを装備したカイはそれをシーグルの眼前に突き付け、告げる。
「だから僕はこの道を選んだんです。それを見せてあげましょう」
対峙した二人の間に緊張感が流れている。カイはあくまで自然体だが、シーグルの目は闘志にギラついている。本心を看破され晒されたのは、彼の矜持を大きく傷付けた様だ。
「本気で構いませんよ。回復魔法も有りますから」
シーグルは剥き出しの歯間から荒い息を吹き出し、襲い掛かってくる。
カイが左半身で突き出した左手を警戒しつつナイフを突き入れてくるが、切っ先はその左手の人差し指と中指に挟み取られてしまっている。すぐさま引いてもう片方のナイフに力を込めるがそれもまた挟み取られる。切っ先を挟み取られる度に金属の擦れ合う異音が鳴る。その異音が連続して響き、全ての攻撃が防がれていると解る。
アキュアルはその凄まじい技量に圧倒されている。
シーグルは狩り手として劣っている訳ではない。むしろ勇敢で確かな判断力を持ち、優秀な狩り手だと言われている。だがその攻撃は届かない。まるでそれが児戯であるかのようにあしらわれている。その光景はアキュアルには信じられないものだった。
「あのシーグルが…」
突き込むナイフにどれだけ力を入れようが、どんなフェイントを交えて攻撃しようが、全ては完璧に防御される。数度は挟み取られたナイフを引かないままもう片方を突き込むが、上体を揺らせるだけで躱されてしまう。
「そんな腰の入ってない突きが届くと思ってるの!」
チャムに強く指摘されて思い直したのか、突きに鋭さが増すが意味をなさない。シーグルの渾身の攻撃もカイの指二本の前に跳ね返されるのだった。
「良く見なさい、アキュアル。あれが強さを手段にして、大切なもの全てを守ろうとする者の姿よ」
「カイが言った道ってそれなの?」
「そうよ。そして君にも同じ道を歩んで欲しいと思っているんでしょうね。ピルスの為に」
「シーグルは無理だって言ったけど、アキュアルにも出来る?」
「保証なんて出来ないわ。私にもどれほどの覚悟が必要なのか想像出来ないもの。でも、大人になるまで妹を守るだけならそんなに難しくないんじゃない?」
チャムは彼の瞳の中に、一つの決意が宿るのを見る。後はアキュアルの胸の内に宿った衝動を何とかするだけで良い。
息を乱したシーグルは
「シーグルはそんなに強くない…。どうすれば良かったって言うんだ」
「上に立って抑え付けずに、隣に居て一緒に悩んであげるだけで良かったんじゃないですか?」
「一緒に?」
「そう。君もアキュアルと一緒に成長すれば良かったんだと僕は思いますよ」
「そんな簡単な事…」
近付いたチャムが腕を取って立たせながら、言い聞かせる。
「一人前になったつもりでも君もまだ子供なのよ」
カイはその様を、微笑を浮かべて見ている。
(カイ、あなたは誰を失ったの?)と彼女は思う。
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