強き狼

 隊商用地サイトの外れで行われたその対戦は、好事家ならば対価を払ってでも見たいものだっただろう。


 低く駆け込んだチャムが左下段から斬り上げた剣閃は、僅かに身を躱したアサルトをすり抜けていく。大振りに見えるそれも彼女にとっては先手初手の一撃であり、合わせようと振り下ろされてきたナイフは盾に阻まれ、そのまま押し込まれそうになる。

 が、両手ナイフ使いにその戦法は一気に形勢を決めるものにはならない。静かに忍び寄っていたもう一本のナイフが自分の脇腹を狙っていると分かれば更に押すのは完全に悪手だ。瞬時に横跳びに躱し、仕切り直すしかない。

 冷静に自分を観察している狼の目が全ての初動を見通してくるような感覚に襲われる。反して彼女の目は相手の筋肉の盛り上がりなどから動き出しが見えない。つまりそれは相手がただ闇雲に鍛えただけの筋肉ではなく、実戦の中で培われた柔軟で強靭なバネの様な筋肉の持ち主で有る事を意味する。


 不慣れなら苦戦は必至だが、チャムは毎陽まいにちのように同じ質の筋肉の持ち主と対峙しているのだ。ここで気後れなどしない。そういう相手ならここで戦法を変えていかなければならない。

 瞬発的な動きから、流れるような一連の動作に剣を委ねる。傍目から見るとそれはまるで剣舞の様に見えるかもしれない。動き続ける事でこちらの初動を読ませないようにし、要所要所の手首の締め込みだけで剣に力を乗せる。そうすれば一見、軽そうに見える剣が重く感じられ、相手に動揺を与える事が出来るはずだ。


 しかし今、対峙している相手もその程度の技術では釣られてくれそうにもなかった。

 まるで見切られているかのように剣閃は宙を刻み、ナイフの間合いの外に追い出すことが出来ない。チャムの中で嫌な予感が首をもたげてくる。


 僅かな焦りが踏み込みを深くさせ、斬り上げた剣が空を斬り、伸び上がってしまった身体が相手の前に晒されてしまった。

 音もたてずにスッと近付いてきたアサルトに、持ち替えたナイフの柄で身体を数か所トントンと突かれてしまった。負けを悟った彼女は力を抜いて、だらりと両手を下げた。


「カイ以外だと久しぶりに負けちゃったわ」

「こちらこそ驚いた。貴女ほどの剣士にはそうそう出会えるものではない」

 握手を求めてきたアサルトに応えて、つい自然に笑顔が浮かんでくる。それは僅差の悔しさが感じられず、それだけの実力差が有った事を意味する。


「まだまだ修行が足りないのね」

 その言葉は更に高みを目指す思いの表れであり、当然それに付き合わされるのは自分であるだろうとカイに思わせる。とは言え、彼女が守られる姫君に甘んじてくれるとは欠片も感じられない以上、既定の事実の様なものなのも否めない。

「どう思う?」

「あいつが『将来の夢は綺麗な花嫁さん』とか言うタマに見えてるのなら、そっちのほうがどうかしてると思うぜ」

 同意が得られるとは思っていないが、そこまで辛辣な答えが返って来るとは思っていなかった。

「失礼です、二人とも。女の子はいつでも素敵な旦那さまとの結婚を夢見ているものなんですよぅ」

「「申し訳ございません」」


 フィノに怒られた二人は丁重に謝るのだった。


   ◇      ◇      ◇


 落ち着いたところで彼らはお茶と軽食の時間にする。


 片手間に作業を始めたカイにチャムは疑問を口にした。

「何を始めたの?」

「勝者には商品が無いとね」

 そう言うと、剣竜ソードリザードの剣状尾部の素材から何本ものナイフを形成させていく。その中から大振りなものを二本取り出すと、特に念入りに刃入れを始めた。

「これはアサルトさんが使ってくださいね。腕に見合うものを使わないともったいないですよ」

「ずいぶんと立派なものだが構わないのか?」

「粗末な武器であなたが危機に陥るのは僕の本意ではありません。フィノには何の憂いも無く、旅の仲間でいて欲しいのです。その為の投資だと思ってください」

「ならば遠慮なく受け取ろう。配慮に感謝する」

 残りのナイフにも刃入れをして、ごうで使ってくれるように渡す。どうやらスーチ郷はひと際厳しい状況の様なので、これくらいの援助は問題ないだろう。

「彼の分だけでもオリハルコンを入れてあげれば?」

「それやっちゃうと普通の砥石じゃ砥げなくなっちゃうんだよ。手入れの出来ない刃物なんて使い物にならないからね」

「そうかぁ。私達の装備って、あなたの変形魔法あってのものなのね」


「まだ、止めに行かなくて良いんでしょうか?」

 未だ怒声や罵声が聞こえてくる隊商用地サイトのほうを見て、フィノは不安気にしている。トリマイ達も放置してきているが、彼らにしてみたらこれは死活問題なので、ここいらでガス抜きしても構わないだろう。さすがに命までは取らないと思う。

「これも報いってやつさ。放っときゃいいって」

「そうですか…」

 まだ痛ましそうな表情は消えない。

 冒険者をやっている割に彼女は全くスレてない。基本的に善人なのだ。それが悪い方向に働かない限りはフィノの長所であるのは間違いない。

「お前が簡単に武器を渡すって事はお父上の実力を認めているって事だよな?」

「当然だよ」

 トゥリオはカイがなかなか自分の武装に手を付けてくれなかったのに悔しい思いをしたようだ。

 その理由はちゃんと説明した筈だから、基準に関しては納得しているのだろう。フィノが仲間に加わる時にはすぐにロッドを準備したのが心に引っかかっているのかと思って彼は続ける。

「だってフィノは出会った時点で、魔法士としてほぼ完成していたでしょ?」

「そいつぁ、まあ確かにな」

「そんな…」

 赤面して謙遜するフィノ。

「僕は彼女を尊敬しているんだ。だって生まれながらにして厳しい環境に居たんだよ」

「そうよね」

「普通なら諦めて埋没する道を選ぶよね。狩り手にはなれずとも、女衆としてはそこで生きる道は有ったんだよ。自分の適性をかなぐり捨ててね」

「それをしなかったからか?」

「うん、彼女は自分の才能を信じて、そこを伸ばして少しでも誰かの為になる未来を選んだ。心が上げる悲鳴を宥めながら、暖かいものを後にして、一人で切磋琢磨してそしてやっと今ここに居る」

「並大抵の事ではないでしょうね。フィノは本当に頑張ったんだと思うわ」

 また少し涙ぐんでしまうフィノを抱き寄せて、良い子良い子と頭を撫でるチャム。

「それほどの努力に敬意を払えないなんて考えられないね。だから僕は自分に出来得る限りの力でフィノのロッドを作ったんだ。それが時期尚早なんてトゥリオも思わないと信じてるよ」

「そこは別に気にしてねえよ。こうやって聞かされると自分の不甲斐無さが身に染みるだけだって」

 静かに聞いていたアサルトは娘の成長を感慨深げに見ると共に、良い仲間に恵まれた彼女の幸福を一緒に喜べている。


「娘の事を頼めるだろうか、カイ」

「信じてください。僕は絶対に仲間は裏切らない。彼女が自発的に抜ける事を望まないなら、僕はフィノを守ります」

「ありがとう。もし、俺の力が必要になるならいつでも声を掛けてくれ。少しは恩返しがしたい」

「はい、考えておきます。僕は人使いが荒いですよ?」

 冗談交じりに感謝に応えておく。

「また会えることを期待している。その時は一手願えるかな?」

「構いませんが、娘に良い所を見せたくたって手抜きは出来ませんよ。僕だってチャムに恥ずかしい所を見せられないんですから」


 その答えに、カイは生まれて初めて狼が大口を開けて笑うところを見るのだった。

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