ベックルの陰謀

 ザザザ、とまだ夜露に濡れている低草が踏みしだかれる。


 風鳴りの後、鋭い金属音が響く。それが何度も何度も繰り返されるがチャムの斬撃は彼には届かない。

 捉えたと思った突きもわずか一指に弾かれ、地面を擦るように斬り上げると懐の中に悪戯っぽい笑顔がある。慌ててバックステップし距離を取ろうとするが、足を払われて抱きとめられる。


「もう! どうして一筋の傷くらい付けられないのよ!」

「物騒なこと、言うなぁ」


 カイの腕の中にお姫様抱っこされて言う台詞ではないだろう。そうトゥリオは思うのだがこの後のチャムとの組手を考えるとめったな事は言えるものではない。


(しかし、ブラックメダル冒険者相手でもあしらえるほどのノービスがいるなんてどこの誰が信じるって言うんだ?)


 目の前で展開されている光景が常識を引っ繰り返している現実に溜息しか出ない。

 この組手の前にトゥリオはチャムと何本もやったのだが、彼女にいいように翻弄され、何度も首筋に剣を突き付けられ、尻や太腿を何度も蹴られて、荒い息を吐きながら地面に転がるしか出来なかった。

 動けなくなったトゥリオを見下ろして彼女は「全然鍛錬が足りないわね」と言う。これでも結構な修羅場はくぐってきたつもりだったのだが、それが微塵に砕かれる。

 

 退屈そうにする彼女はカイに組手を申し入れて了解をもらうと、嬉々として踏み込んでいった。

 その結果がこれである。簡単にあしらわれていながら満更でもなさそうに頬を膨らませて見せるチャムとカイの関係はこの世の不思議を体現しているとしか思えない。


「ずいぶん良くなったと思うよ。最近は時々ちょっと本気だし」

「それじゃダメなの! ずっと本気を引っ張り出せるくらいじゃなきゃ相棒だなんて言えないじゃない!」

 抱っこされたまま駄々をこねるなど普通の女の子のようではあるが、内容は少々あれである。


「腹立つわ。もうそろそろ動けるでしょ?さっさと立ちなさい」


 不満の捌け口がこっちに向くのは勘弁してもらいたい、とトゥリオは思うのだった。


   ◇      ◇      ◇


 ロムアク村の午前中は、子供達も家や畑の手伝いに追われて静かなもの。


 朝からセネル鳥せねるちょう達を引き連れて草原を走り、その後に三人で組手をするのがここ数陽数日のルーチンになっている。

 その後、昼食を済ませた頃には子供達がやってきて、草原をリドと追いかけっこしたり、セネル鳥に乗せてもらって駆け回ったり、三人に旅の話をねだったりして過ごす。天気のいいはそのまま昼寝したり、カイが手慰みに作った玩具で遊んだりとのどかなものだ。


 ロムアク村の大人達は不意に現れたこの面倒見の良い冒険者達が子供を預かってくれるので畑仕事が捗る。

 普通ならその辺で遊ばせておいても、急にどこかに行ってしまわないかとか、子供を狙ってはぐれの魔獣が近寄ってきてないかとか、何くれとなく気に掛けておかなければいけないのだ。

 その義務の軽減だけでも体力的にはずいぶん楽になる。その上、近くを巡って危険な魔獣を狩ってきて、肉まで子供に持ち帰らせてくれるのだから、感謝の言葉も無い。


   ◇      ◇      ◇


 商民議会は十七名の議員で構成される。

 十七名も居れば必然、派閥と言うものが出来上がってしまう。商民議会が合議制で、最終決定を多数決に頼るとなればその派閥の重要性は言わずと知れたものになる。


 現在、最大派閥の領袖りょうしゅうはアーマン商会を率いるラルガス・アーマンだ。

 彼を仰ぐ商会代表議員は9名に及び、辛うじて過半数を保持している。


 そのラルガスの杯に酒を注ぐケイン・モルバスは、彼の派閥の一員モルバス商会の代表議員である。

「ラルガス様、実は傾きかけているデトナ商会の代わりにフレトナン商会を代表議員に入れようと考えているのですが、ご助力いただけますでしょうか? もちろんフレトナンのポレックには、ラルガス様の派閥に属するようにと言い含めてあります。そうなれば我が派閥が占める議席は十。安泰となりましょうぞ」

「ほう、面白い話をするではないか、ケイン?」

「それはラルガス様の御為。このケイン、粉骨砕身の思いで務めさせておりますれば」

 ケインはいわゆる腰巾着だ。ラルガスに擦り寄り、実入りの良い取引を回してもらう事で甘い汁を吸っている。

「ただ…、あの厄介なバウマン・ガウシーめがデトナ商会に救いの手を差し伸べておるのです。このままではデトナ商会も息を吹き返してしまうかもしれません」

「それではお前の思惑は叶わぬのではないか?」


 バウマン・ガウシーはもう一つの派閥の領袖と言う訳ではないのだが、反アーマン派の相談役のような立場の大商会の代表である。

 人格者である彼は派閥の創設を嫌い、他の者たちの相談・調整役に徹している。そのバウマンがデトナ商会に関与するとなれば、味方は増えず敵は増える図式になってしまう。それを懸念したケインは事が進む前にラルバスに相談する事にしたのだ。


「ふむ、考えておこう」

「なに、あのバウマンとて不死身では有りますまい。契約農場視察の折に野盗に襲われて大怪我を負い引退を余儀なくなったり、ましてや命を落とす事も無くはないでしょう?」

「『お前』が何をどうしようとワシの関知するところではない。だが、お前が財と力を蓄えるのはワシにとっても悪いことではないがな」

「お任せを」


 密室で事態は動き始めた。


   ◇      ◇      ◇


「兄ちゃん、俺達、明陽あす収穫のだから遊びに来れないんだ」

「収穫ってティッチリの収穫かい?」

「うん、そう。このだけはみんな一陽いちにち中手伝わなきゃいけないんだ。掘り出したり、荷車押したりするんだぜ」

「それは良い事だね。頑張って」

「うん、頑張るー」

 夕方、村に戻った子供達はそう告げて家々に散っていった。


 翌陽翌日、走り込みと軽く組手をした後、三人はティッチリ畑に向かう。予想外の人物の登場に、額に汗して働いていた子供達はすぐに気付く。


「どうしたんだい、兄ちゃん達」

「どうしたじゃないでしょ。手伝いに来たに決まってるじゃない。さあ、さっさとやり方を教えなさい!」

「マジかー! 父ちゃん、姉ちゃん達が手伝ってくれるってー!」

 なぜか偉そうに手伝いを申し出るチャムに子供達は湧きたった。


「なるほど。畝を崩して横に転がせば良いんですね」

「そうそう、あんた達なら楽なもんだろ」

「ええ」


 子供達があの大きなティッチリをどうやって収穫するのかと思ったら、畝土をよけて掘り出すだけだった。

 そこへ身体強化持ちが加わればどうなるか? 女手のチャムでさえ三詩20分も有ればひと畝掘り起こしてしまうのだ。

 あっという間に収穫は進んでいく。


「やっぱりすげーな、兄ちゃん達」

「おお、そうか。何か楽しくなってきたぜ、俺」


 ほどほどに収穫したところでカイは運搬に移る。

 と言っても、順番にティッチリに触れていって『倉庫』に格納するだけである。後はパープルに乗って川沿いで泥を落としている婦人方のところに下ろし、洗い終わった物を格納してまたパープルで駆けて村の作業場に運び、また畑に戻るというローテーションに入るだけだ。


「便利なもんだね、あんた」

「二本足の付いた荷車みたいなもんですよ?」

「そんな事ないさ。うちの旦那より役に立つよ」

 洗い場は爆笑に包まれる。


収穫作業は極めて迅速に終了した。

 村人達の感謝を口々に受け、この後に労いの席が設けられる事になる。宿屋の食堂とその外に机が並べられ、各々が用意した料理が持ち寄られて宴になる。


 皆が料理に舌鼓を打ち、男達は乾杯を繰り返し、子供達は大騒ぎし、夜は更けていった。


   ◇      ◇      ◇


「ポレックの奴に議席をくれてやる為には根回しが必要だ。ガウシー派の中に何人か離反者を作らねばならん」

 議員の罷免には、現議員の三分の二以上の賛成が必要なのだ。

 つまり最低三名以上は派閥外からの賛成が必要なのである。その為には裏工作が必須だとケインは言っているのだ。

「金が要る。ドゥネルよ。徴税官のお前がやるべき事は解っているな?」

「はい、ケイン様。私にお任せいただければ結果を出して見せましょう」


 ベックルの暗雲は周囲に広がりつつあるのだった。

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