聖騎士ルーンドバック

 聖騎士アッカス・ルーンドバックはこの魔闘拳士騒ぎに便乗する気などなかった。

 陛下より賜った聖騎士の称号と、騎士の頂点にありたいと願う自らの矜持に照らして、宮廷雀達の騒ぐママゴト遊びなどに加わるつもりにはなれなかったからだ。それで済まされなくなったのは、当の陛下からのお言葉による。


「そなたはあの魔闘拳士に挑まぬのか?」

 ホルツレイン国王アルバートの言にルーンドバックは心外だとばかりに答える。

「陛下は妻帯者の私に何をお求めでしょう?」

「そう申すな。そんな意味で言ったのではない。実は先陽せんじつ、その魔闘拳士に会うた。あれは中々に面白い者だった」

「左様でございますか」

「その時、我が国が誇る聖騎士に勝てるかと問うた。彼奴はそなたでも勝てぬ事は無いと申したぞ?」


 それは意図的な言葉足らずだった。

「勝てないとは申しません。ですが、本人も望まぬ、必要のない戦いなど避けるべきです」

 そうカイは言ったのだ。


(この者は武人ではないな)

 それを聞いた国王は思った。


 しかし、それが逆に国王の好奇心を搔き立てた。

 あの見透かすような目をしている少年が、武技以外に興味を示さないこの男と戦うとどのような結果になるのだろう、と。


   ◇      ◇      ◇


 時は遡る。


 国王執務室にて政策の詰めを行っていた合間に政務大臣グラウドは国王に問い掛けられる。

「政務卿、そなたはいつになったら余に魔闘拳士を会わせてくれるのだ? 巷で最強の名をほしいままにしている戦士を子飼いにしたままにするという事は、余の治世に不満を持ち、いずれ覆そうと叛意を抱いていると思って良いのか?」

 どんな重臣でも心胆寒からしめる台詞だが、ニヤニヤと笑いながら告げてくるとあれば軽口の類であると察するのは容易だ。

「陛下、彼の者には事情がございまして陛下にお仕えできるとは思えないので控えております。ましてやあれは市井の者、陛下にお会わせ出来るような儀礼に通じておりません。どうかご容赦を」

「そのような事は構わぬ。無理に王国に仕えよとは言わん。ただ為人に興味があるだけだ。それにクラインは魔闘拳士と親交を深めていると聞き及んでおるぞ。王子には会わせて余には会わせんとは如何なる理由か?」


(やはりそこを突っ込んでくるか)

 グラウドは心の中で顔を顰める。


 しかしカイは異世界人であり、何かの拍子にそれが露見するのをグラウドは恐れる。

 もし、それに気付いた者がカイを捕らえて技術を引き出そうと考えたら。その技術が王国を危険な道に迷い込ませるのではないか? それに、そんな事態になって、もし彼が知る技術を魔法に転換して暴走したらどうなるか? 想像したくもない。

 国王アルバートの器は信じている。しかしリスクが大きすぎるのをグラウドは見過ごせないのだ。


「グラウド、そなたは王国の為にその身を捧げると誓ってくれた。そのそなたが抱く懸念は未だ余には知れぬ。が、余にはそなたの献身に応える義務があると考えておる。そなたの苦心、余にも分けてくれぬか?」

「…解りました。近々連れて上がらせていただきたく存じます」


 そこまで言われて断れるものではない。グラウドは折れた。


   ◇      ◇      ◇


「そんな訳でお前にも玉前に上がって欲しい。何、少しばかり武勇伝でも語ってくれれば、あとは私が何とでもしよう。頼めるか、カイ」

 グラウドの頼みに否やはないが、カイにも思うところがある。

「全然構いませんよ、侯爵様。僕がボロを出さないよう監視していてください。それに僕なりに判断させていただきますが、場合によっては譲歩も考えています。敵を作るより味方を増やしたいのです。のほほんとしているように見えるかもしれませんが、これでも今のあやふやな立ち位置に不安を抱いてもいるのですよ?」

「そうか、助かる。出来るだけの事はしよう」


 打合せの後に謁見の話は進んでいった。


   ◇      ◇      ◇


 カイが謁見の栄に賜れる事になったのは数陽後数日後になった。

 グラウドが伝えたのは最低限のしきたりだけで後はカイの即興アドリブに任せるそうだ。


 グラウドに連れられて謁見の間に上がったカイは王の前に跪き、グラウドはそのまま王近くの臣の列に加わる。不安を感じたのかエレノアが付いて行きたがったが、今回は父に遠慮させられた。


「おもてを上げよ。そなたが魔闘拳士だな?」

「カイと申します。そのようにお呼びください」

 いきなり否定に近い、不遜な態度を取るカイに重臣の列から非難が上がる。

「控えよ。陛下の御前であるぞ!」

「構わぬ」

 王の声に皆が黙る。

「そなたは王国の名立たる武芸者を下し、都に名を轟かせておる。その武勇、褒めてつかわそう」

「ありがたきお言葉。僕にとっては不本意な状況なのではありますが、お耳を楽しませられたのなら幸いです」

「不本意と申すか? そなたが余に仕え兵の列に加わるならばそれなりの地位を与えるが?」

「お断りいたします。武勇を誇る事も栄達にも興味はありません。降りかかる火の粉は防ぎますが」

 再び列はざわめき、「何っ!」「不敬な!」などと声が上がるが国王が手を挙げて収める。


「ならば何のためにそなたは戦う。武を極めるだけを望む求道者か?」

「いえ、今は恩あるエレノア様と侯爵様を守れれば十分です」

「義の者だったか」

 彼の為人が透けて見える。

「はい、守る拳を鍛えています」

「では政務卿の仕えるこの国が窮地に陥る事あらば、そなたは拳を振るうのだな。それは兵である事とどう違う?」

「……」

 国王の論は間違っていない。極論ではあるがその通りだ。

「意地の悪い事を言いますね。陛下は王国にある者は全てが陛下の命の下に動くべきとお考えですか?」

「…民の安寧の為ならばそれも然りだ。全ての民の命の責を負う身であればそうあろう」

 貫くような目を向けてくるカイに国王は熟考して答える。

「解りました。命もこの拳も陛下には捧げられませんが、守るべきものは守ると約束します」

「全く…。余計に欲しくなるような事を言うな。そなたの忠義が得られるよう余も励むとしよう」

「過分なるご配慮に感謝いたします」


 この謁見はあまりにその異質さから記録に残されていない。だが、居合わせた者達の心には強く印象を残した。


 カイが下がる前にグラウドに一つ頷きを送る。

「陛下、この後少々お時間をいただけませんか?」

「良いが、何だ?」

「後ほど…」


 人払いを望んだグラウドが告げた事実に国王は驚愕させられる。


 だがその扱いの難しさに納得し、この情報に触れる人間を絞るグラウドとカイの対応に感謝する事になった。


   ◇      ◇      ◇


 国王に促されたルーンドバックはカイの前に居た。


「聖騎士様ともあろうお方でもエレノア様にご興味が?」

「いや、むしろ貴殿にある」

「いえ、ちょっと僕にはそういう趣味は…」

「…違う。陛下があまりに貴殿に拘るのでな。試しておかねばならんと思った」

 聖騎士は力が抜けそうになるのを堪えて言う。

「私は口が達者なほうではない。貴殿の本性、剣で問わせてもらう」

 武門に居るとこういうタイプの人が一定確率で存在する。

 カイは決して得意なほうではないが、解り易い相手であるのは確かだ。何より話が早い。


 ルーンドバックは一気に踏み込むと斬撃を放つ。気付いた時には剣閃が通過していた。モーションだけで身体が反応してくれている。見て避けていたらもう斬られていただろう。


「治癒魔法士を頼んである。遠慮は無用」


 そう告げると連撃が襲い掛かってきた。

 躱しきるには限界がある。ガントレットの背で受けると甲高い音を上げて止められるが、すぐに引いた剣が次の軌道を描いている。


 フットワークを生かして躱し、いなし、受け止め、時にカウンターを放つ。

 応酬が一詩6分にもなると居合わせた観客達も息を飲んで声援さえ送れなくなる。しかしルーンドバックはカイの拳が軽いと感じていた。


 一時も止まらぬ剣戟の音が二詩12分に及んだ頃、業を煮やした聖騎士の剣に変化が生じた。右下から斬り上げた剣が右手一本で返ってきた。ガントレットの背に当たり、金属の噛み合う嫌な音を立てた。


「それがあなたの剣ですか?」

 一歩引いたカイが訊いてくる。ルーンドバックはスッと剣を下げる事で答えた。

 すると目の前の少年から強烈な闘気が吹き上がる。


(なっ! 私を殺すつもりか? いや、これがこの少年の本当の姿か)

 半身のカイの差し出された左手の平が上を向き、爪を立てている。それが闘気と合わさって本能的恐怖を誘う。


 ルーンドバックとて聖騎士として数々の死闘をくぐり抜けてきている。腰が引けたりなどしない。

 寝かせた剣先がカイの胸元へ吸い込まれるように突き込まれた。が、その剣先は少年まで届かなかった。カイの左手人差し指と中指に挟み取られていたのだ。


 意識はしていないまでも恐怖に抗うように突きを放ってしまったルーンドバック。

(しまった!)と思った時には剣ごと左側に引き込まれている。物凄い衝撃を腹部に感じたと思った瞬間には意識を刈り取られていた。


 治癒魔法士の手によって覚醒させられた聖騎士は差し出された少年の手を取って立ち上がる。

「すいません、あなたほどの方では立場上意識を絶たねば負けを認められないと思ったんです」

「そうか、ありがたい…」

 一度空を見上げて息を吐いたルーンドバックは破顔してカイに握手を求める。

「済まなかった。私は君を馬鹿にしていた。この数輪すうねん、私は損をしていたのだな。もっと早くに手合わせをお願いするべきだった」

「いえ、こちらこそ。出来ればあなたとは味方同士でいたいです」

「私もだ」


 握手は固い固いものだった。

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