王子クライン
クラインは、ホルツレイン国王アルバートの長子で近々の立太子が噂されている王子である。
生真面目で国政にも熱心で、さらに美男子とあれば国民の人気は高い。未だ独身で妃にとの申し入れも数多あるが、大国ホルツレインの後継とあって未だ決まらず。様々な貴族の集まりにも顔を出すほど身軽さも見せ、貴族達の受けも良かった。
その
以前、王宮内で挨拶されたときはただの可憐な少女だったと記憶している。ゴシップ好きの民衆や貴族達の言に踊らされるのは業腹なので話半分に聞いていたのだが、噂通りどころかそれ以上の美姫に成長している。クラインの正直な感想は(出遅れた)だった。
その後に起こった騒動に、自分が名乗り出てでも収めるべきかと思ったが、彼女の傍にいた少年が先に動き参加者達も期待に胸を膨らませているようなので、様子見に徹する。決闘の最後の瞬間だけゾクリとさせられたのが印象的だった。
どうやらあの後、誰が少年を倒し美姫を射止めるかに人々の関心は移ったようで、幾人かには気付かれたであろうクラインの行動もうやむやになったのは幸いと言えよう。
だが、あの
◇ ◇ ◇
マルチガントレットの完成以来、試合展開はずいぶんと楽になり、挑戦者を簡単に退けられるようになった。
並み居る武芸者があしらわれた経緯から、不用意に接近戦を挑んでくる者は激減する。
魔法で牽制して斬り込もうとした魔法剣士は、遠距離から走った
投擲武器を扱うものは、全ての投擲具を衝撃波で叩き落とされて手も足も出なくなる。
魔法士は、接近させまいと畳みかけるように連続して魔法を放っても防がれ、大規模魔法を無力化され、スタスタと歩いてきた相手に一撃のもとに沈められる。
試合場を城門内に制限した事で挑戦者は限定されていたので、瞬く間に激減した。
この頃から人の口に上り始める。
アセッドゴーンの守護者。
魔法士殺し。
無敵の銀爪。
魔法をも以て闘う拳士。
誰が呼んだか『魔闘拳士』と。
市井では魔闘拳士の姿を知る者はほとんど居ない。それが逆に噂を助長し、人気を押し上げていく。
驕り高ぶる貴族の子弟も、お高くとまった騎士様も、叡智をひけらかす魔法士達も、傲岸不遜な有名冒険者も、彼の者の前にもろくも敗れ去っていく。
それは民衆にとって痛快無比で、まるで物語が現実になったように感じられたのだろう。
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね、魔闘拳士さま。庭仕事なんかさせて」
「とんでもない、お姫様。僕はしがない居候ですよ。お腹一杯ご飯を食べさせていただけるなら草むしりくらいいくらでも」
二人は軽口を叩き合う。この
「しかし噂とは恐ろしいものだ。既に誰にも収拾が付かん。
「それで侯爵様の体面が保たれるなら喜んで。ただ僕は宮廷儀礼には全く不案内なので恥をかかせてしまうだけになるかもしれませんが」
「それくらいは何とでもするさ。それより問題はあっちのほうだ。本物だったのか?」
グラウドが振り返り家令に確認すると頷きが返ってきた。
「封蝋も偽造は認められませんでした。筆跡のほうも間違いないのではとの話でございます」
ここで問題視していたのはクライン王子の名前で届けられた挑戦状の事だ。
高価な紙の書状で届いた中身はカイへの試合の申し込み。グラウドとて戸惑わずにはいられない。
「王子殿下は尚武の方なのですか?」
「そんな事は無い。素人ではないが嗜む程度だ。武人には遠いが王器は皆が認めるところ。臣下としては何ら問題も無い。まだお若いので軽いところは否めんがな。今回はそこが出たと思いたいが」
「難しいところですね。お受けしても宜しいんでしょうか? その場合は負けたほうが?」
「いや、それは不自然過ぎて私が仕掛けた茶番だと思われてしまう。殿下の真意が分からぬ内はお受けせぬほうが…」
「宜しいのではなくて? 殿下も退屈を持て余されてでもいるのでしょう」
((いや、それはない!))
二人分の突っ込みに気付かずカップを傾ける天然お嬢様には敵う者などない。
◇ ◇ ◇
結局のところ、カイは王子殿下の挑戦を受けざるを得なくなる。
まだ時折り届く挑戦状の
「久しくあるな、エレノア嬢」
「はい、ご無沙汰しておりました、殿下。臣下として殿下のご壮健をお喜び申し上げます」
「堅苦しいのはいい。今日はそちらの少年に用があるのだからな」
視線が自分に移ったのに苦い思いをするが、おくびにも出さないようにする。
「僕ですか? 王子殿下におかれましては市井の民などにお心を裂かれる必要など」
「どの口で言う。今、ホルムトで一番有名な男が」
「話のネタや酒の肴にされているだけでございましょう。お耳汚しでしたらお詫び申し上げます」
クラインはこの少年がのらりくらりと躱そうとしているのが分かった。
「逃がしはせんぞ。今、手を挙げねば西方一の美姫を誰かに攫われてしまう」
「…それは本意で?」
「無論だ!」
「ではきちんとお相手いたしましょう」
少年の目付きが変わった事に臍を噛む。踏んではならない魔獣の尾を踏んだのかもしれない。クラインは失敗を悟ったが、今更尻尾を巻く訳にもいかない。
カイはクラインの構えを見る。クラインは1m90cmほどはある長身。1メックが1.2cmだから、異世界でいう160メック足らずというとこ。対する自分は1m70㎝足らず。140メックほどだ。
この世界には1mくらいに該当する単位が無いので面倒臭いと思う。次の単位は1ルステン、12mになる。その次は1ルッツ、1.2kmになるのでもうこちらは旅程くらいにしか使わない。
数歩で飛び込める間合い。これほど身長差があると剣を振り落とされただけでも防御に力が要る。剣相手に足が止まるとただの的になってしまうので受けに回るのは悪手だ。躱しつつ飛び込むタイミングを計る。
クラインの剣筋は悪くなかった。
基礎は十分にやっているようだ。ただ、その分読み易い。
剣腹に軽く一撃入れて逸らし踏み込む。拳はもう横腹の位置に当てられている。
「参った…」
一つ、息を吐いて落胆の顔を見せる。
「私の剣はダメか?」
「いえ、意外に使えるので加減に迷いました。いかんせん、剣が素直すぎます。避けてくれと言わんばかりに」
「そうか…」
「経験が足りないだけかと思います。殿下相手と手控えされるような修練では無意味でしょう」
「ずけずけと言う。しかし道理だ」
前置いてクラインは話し始める。
手慰みに取った剣ではない。安寧の中でなら構わないが、領土に意欲を見せる仮想敵が隣国にあれば、有事も想定しなければならない。
後方で踏ん反り返っているだけでは民は付いてこない。守る国と民があるなら、自らも時に剣士であろうと願ったと言う。
「感謝する。愚痴に付き合ってくれて」
「では次も剣で語りましょうか? でも、上手くなっていないと捨てますよ」
「本当か? ああ、名も訊いていなかった。済まない」
「カイです。お見知りおきを」
この夢も現実も真正面から見据える王子をカイは好きになっていた。
大切に思う相手なら手間をなど惜しまない。この後、クラインとカイは幾度も手合わせする事になる。
優しい目のエレノアに見守られながら。
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