別れの言葉
慎二朗と礼美の結婚式の日は幸い好天に恵まれた。
櫂は晴れて留年となっていたがそんな彼を体裁が悪いと隠すような小さい人間は親戚に居なかった。
しかし慎二朗の勤め先の人間には特に告げられないようにはしてあった。エリート人種には少々問題があるだろうと配慮されたからだ。
大きな披露宴会場に大勢の招待客が押し寄せ控えている。その前に式場では花婿花嫁の準備が進んでいた。
両親と一緒に慎二朗のもとを訪れた櫂は挨拶と改めて姉の幸せをお願いし、連れ立って花嫁の控室に向かう。
純白のドレスに包まれた姉はお世辞でなく美しかった。
その姿は、今は離れて会う事のないもう一人の姉と重なって少し感傷的な気分にさせる。それは幸せの象徴とも言える衣装であり、誰憚ることなく褒め称えられるべきものだ。
その気持ちを櫂は礼美に伝えたかった。
「奇麗だよ、姉さん」
「嘘吐き。馬子にも衣裳とか思っているでしょ?」
照れ隠しのように軽口を叩く姉に、櫂は心の底から安心できた。
本当に幸せでなければこうまでリラックスしていないだろうからだ。
「本当に奇麗だ。僕は何て幸せ者だ」
「良い人に巡り合えて良かったわね、礼美。頑張って尽くし…、そんなの今時流行らないものね。助け合って幸せを築いていくのよ。ほら、お父さんも!」
慎二朗達に続いて修も声を掛ける。
「お前が幸せならば儂に何の文句もない。今日からはお前は慎二朗君のものだが、儂が親である事に変わりはない。困ったらいつでも頼りなさい」
思いかけず饒舌な父の言葉に涙を滲ませる礼美。
「もう、ダメじゃない。お化粧も済んでいるんだから」
「ごめん…」
振り向いた修は慎二朗に言葉を掛ける。
「こんな跳ねっ返りだが性根は優しい子なんだ。どうかお願いする」
「任せてください、お義父さん。と言うか、これからこそ色々と教わりたいのでこちらからお願いしたいとこなんですよ?」
「うむ」
化粧を崩さないように涙を拭いてもらっている姉に櫂は近付く。
「姉さん、もう大丈夫だよね?」
目をしぱたたかせて顔を向けてくる礼美の答えを待つ。
「え、何が?」
「幸せになれるよね」
「もちろんよ。決まっているじゃない。そういう意味だったの? ええ、大丈夫よ」
「うん、解った」
このやり取りの意味が分かったつもりになっていた礼美だが、後に少し悔いる事になるとは思っていなかった。
◇ ◇ ◇
結婚式など型通りに進むものだが、やはり目の前で口付けなど見せられるのは慣れないと櫂は思う。
ましてや親しい相手、血縁者ともなれば身の置き場に困るような気分になってしまう。いっそ当事者ならば場の雰囲気に酔えそうなものだが、つい一歩引いて身構えていた櫂は失敗を悟った。
それでも、それはひとつの結実であり、尊いものだと感じるくらいには落ち着いていられた。
披露宴は盛大に執り行われ、多数の出席者が新たな夫婦を祝福する。年配者達は多少の長広舌も許され羽目を外していい場所でもあり、若年層には貴重な出会いの場である。
しかし学生服の櫂はどちらのターゲットにも含まれず自由でいられる。時折、親戚の子供達が絡んでくるものの、大人しくするよう言い含められている彼らはそうそう長時間席を空けられず戻っていく。
出席者の興奮も収まってきて落ち着いた雰囲気が流れ始めた頃に櫂はそっと席を立つ。それに気付いた礼美が目配せを送ってきたので、二人に少し長い会釈を送る。
披露宴会場を出て控室に立ち寄った櫂は持ってきたリュックを携えて外の空気を吸う。
「良い天気だなぁ」
空を見上げて独りごちる。
そして、流堂櫂という少年は日本からだけでなく、この世界から消え去ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます