第一章 【一兵卒】《動機付け》

第一章【一兵卒】《動機付け》


「ええ、ええ、そうです、私なんです、私は殺したんです。私の母、兄、そして私の躰の一部までもを沼に沈めて殺したのは私です。私にはもう何が何だかわからないんです。私自身のこと、あの方のこと、あの方の恐ろしいお友達のこと、世の中のこと。いったいぜんたいこのしっちゃかめっちゃかで、何処をどう料理すればこのような結果になるものか。誰かの意図なのか、私の責任なのか、愛か。全くわからないんです、私には全くわからないんです・・・本当にわからない」


「苦しいんです、喜んでるんです、充実してるんです、虚無なんです、私は。あの方も同じだと思いますよ。いや、そうかしら。あの方は求めてらしたんですわ、私とは違うんですわ、たぶん、がさがさした、汚い手とは。虚無。母は厳しかったですし、女中はいません。それが何を意味するかは、あなたさまならご存知でしょうね。私は誓って妹は殺していません。妹は亡くなったんです。妹のためなら私の手も喜んで。あの方の手は私とは違います。男性の手はみんな私とは違うんですもの。それにあの方は求めてらしたから」


「本当に何もかもがわからないけれど、その中で一番わからないものは私の罪ですわ。私にとっては全てが罪で、存在の全てさえも、罪自体さえ罪であるのに、その本質が私には全く理解できない、わからないんですわ。私が実際に殺意を肯定するのは、躰の一部についてだけですけどね。沼に沈んでいく私を見ながら、こうなるまでの一切合切が、まあなんて良かったことだろう。なんて嬉しかったんだろう! 一つだけ手がかりがあるとすれば罪は喜びと同義ですわ。」


「どうしてこうなってしまったのかしら、誰かが裏で糸を引いているのかしら、全て私の罪深さが呼んだことだとしたら、罪深い私はなぜこんなふうにしか存在できないのかしら、ああ恐ろしい存在のなぜ! 大いなる意志のしっぽが見え隠れするたびに、わたしは消えてしまいたくなる! ああ、あなたさま、私を罰してください!」


「ああいったい・・・もしかして世界中のあらゆる人々が、同じような訳がわからなくて、のっぴきならない外から来るものや内側の衝動に翻弄されて、私と同じような毎日の苦しみ、苦しみなのかなんなのか、今はもう訳もわからないけれど、それにもみくちゃにされて生きているのかしら。誰かが裏で、それが私の日常だったように、糸車を廻しているのかしら、それとも全ての責任は私自身にあるのかしら・・・ああ何か恐ろしいことが起こっている気がする! 全てが絶望に向かうからくりがあるような気がする! あの方はそのからくりを解いてくださるかしら・・・」


「母が死んだのは不可抗力です。夜、私をあの方と会わせるために、母は亡くなりました。効き目が予想以上だったのですわ。兄は私の名誉のために人柱となりました。手を下したのはあの方ですが、正当防衛です。あの方は本当に素晴らしい、善良とは言いがたいけれど、私の知る限り最高の紳士です。そんな方が私などに目を掛けてくださったのです。アルプスの狭い谷あいの小さな小屋の糸車の前から、罪深い愛の世界を見せてくださったのです。そして最後の最後、私に『来い!』と言ってくださったのです。陰気で冷たい牢獄の中にいるこの私に。だから今、こうして漂って待っているのです。あの方を待っているんです。あの方と一緒に行くために・・・あの方が再び『来い!』と言ってくださるのを待っているんです。あの方が『来い!』と言ってくれるのを・・・あなたさまの元へは、そちらに行くのはその後です」

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