第43話 吸血鬼対策室とグリムフォードの白百合.6
こんな翔馬たちのやりとりを、植え込みの陰からコソコソとのぞく怪しい学院生がいた。
魔法都市を取り仕切る英立魔法機関がついにその確保に本腰を入れ始めた、伝説にして悪の吸血鬼アリーシャ・アーヴェルブラッドだ。
……この前の中華街で、風花もそうだったけど。
「どうして女子はなにかと九条の前でスカートをめくるの?」
この百年でそういうのが当たり前になったの? それとも機関員の風習なの?
アリーシャは恐る恐る制服のスカートに手を伸ばし、裾を持ち上げると……。
「だからできるわけないでしょう!」
そう言って頬を赤くしながら、太ももを一度叩いた。
「いや、こんなことをしてる場合じゃないわ。今がチャンスなんだから」
昼休みに入ると同時に教室を出た九条を追ってきたのには、理由がある。
それは二人きりになれる時間を作るためだ。
ただし、それは直接吸血を行うためではない。
学院には『変身の杖』で姿を変えて来ているアリーシャは、現状では牙も普通の歯になっている。よって吸血するためには一度変身を解かなくてはならないのだ。
もしもここで失敗しようものならもう学院には来られなくなってしまう。
力づくの吸血は計算できない。
だからそう、これは九条翔馬を――オトすためだ。
そのためにはまずなにより会話を重ねて距離を縮める必要がある……だというのに。
「どうして九条はいつも誰かと一緒にいるのよ。これじゃ話しかけられないじゃない」
もしそんなところを誰かに見られたら、「アリーシャさんって九条のこと好きなんじゃないの?」とはやし立てられて、変な空気になってしまう可能性がある。
それだけは絶対に避けなければならない。
すると慎重に慎重を期すアリーシャの前で、翔馬が立ち上がるのが見えた。
……教室に戻るのね。よし、ここで偶然を装って声をかけるっ!
手帳を取り出し、二つ三つほど会話のネタを選んで記憶する。
そして基本的にスペックの高いからこそ、短期間ですっかり上手になったストーキング能力で翔馬のあとをつけ始める。
そして翔馬が店を出たのを確認したところで、ついにアリーシャは動き出した。
よし行くわよ! ここで声をかけるのよっ!
教室では常に周りに人がいてどうしようもない分、これは最高の好機!
大きく息を吸い、固い決意と共に『夜を統べる者』が一気に翔馬との距離を縮めていく。
さあ、ここだわっ!
そして翔馬と話をするべく、そのすぐ背後に迫り――。
「くじょ」
「おーい九条ー」
「っ!?」
直前でまさかの急ブレーキ。
誰かが翔馬を呼ぶ声が聞こえた瞬間、アリーシャは即座にUターンを決める。
そしてそのまま大慌てで近くの角を曲がったところへ逃げ込んだ。
「なんだよ、田中じゃねーか」
翔馬に声をかけてきたのは、同級生の田中だった。
そしてあろうことか翔馬は、そのまま田中と並んで歩き出す。
「……ま、また声をかけられなかった……どうして九条はいつも誰かと一緒なのよ!」
アリーシャの耳に、ドキドキと高鳴る鼓動が届く。
こうなってしまったらもう、気軽に声をかけることなんてできない。
こうしてアリーシャは、肩を並べて歩く翔馬と田中のあとに続いて教室へと戻っていくのだった。
そのため息をつく姿に、すれ違う生徒たちが視線を奪われる。まさかこれだけの美少女が、同級生に声をかけられずに悩んでいるなんて想像もしないだろう。
「二人きりに、二人きりになりさえすれば……っ!」
いよいよ機関は特別チームを組んで動き出した。
それこそいつ、裏中華街が攻めこまれてもおかしくない。だから。
「なんとか、なんとか九条に近づく機会を見つけないと……っ!」
◆
「九条が戻ってきたぞォォォォ――――ッ!!」
「お、おい、今度はなんだよっ」
教室に戻ってきた翔馬は、一瞬で周りを男子生徒たちに取り囲まれた。
「お前『グリムフォードの白百合』とイチャ飯だったらしいなぁ!」
「情報早過ぎだろ! しかもそれ誤報だから!」
「嘘をついてもムダだ! 見ろ、九条のウィキにハッキリと書かれてるだろ!」
翔馬は目前にスマホを突きつけられる。
「本当だ……って、だから勝手に俺のウィキを作ってんじゃねーよ!」
「ここに書いてあるんだよ! あのお嬢様と昼食を共にしたってなァ!!」
「だから情報早すぎだろ!!」
「く、九条! おまえ俺と会う前にそんなことになってたのかよ」
この情報を聞いた田中はブルブルと拳を震わせ始めた。
「し、しかも相手はまた学院を代表するレベルの美少女じゃねーか……」
そしてその怒りは一気に頂点へと達する。
「だから九条のこの男らしくない顔のどこがいいんだよッ!!」
「顔は関係ないだろ!」
「女子からも言ってやってくれよ! 九条がモテるってのはさすがにおかしいよな!?」
「よけいなこと聞いてんじゃねえ!!」
「九条くんなら別に、おかしくはないけど」
「ほら見ろ九条っ! …………ってあれ――――ッ!?」
「私も九条くん結構いい感じだと思うし。ていうか……アンタ誰?」
「田中だよォォォォ――――ッ!!」
「だから泣くなよ田中」
そう言いながらも、頭を抱える翔馬。
これは面倒な事になりがやったぞ。
風花との時もそうだけど、特に男子はすぐ荒れるからな……。
翔馬はこれからの展開を思って、唇をかむ。
そしてそんな姿を、焦りと共に見つめる一人の少女がいた。アリーシャだ。
これではもう、昼休みの間に話しかけることはできそうにない。
少しでも早く、翔馬に近づかなくてはいけというのに。
「……あっ」
すると偶然二人の視線がぶつかった。アリーシャは慌てて目をそらす。
「とにかくこの件に関して説明しろ! 九条ォォォォッ!!」
爆発する田中の怒り。
男子たちの熱い思いを乗せた糾弾は終わらない。
「あーもう! またこういう展開かよ! 偶然再会して話をしただけだ!!」
機関員と面識を持ってしまったことすら大失態なんだ。これ以上あのクラリスって子のことで騒ぎ立てられてたまるか!
「だいたい俺には風……」
そこまで口にして――――走る、閃き。
いや待てよ、これはむしろチャンスだぞ。
そう考えた翔馬は、なんとここで攻勢に出る。
「まつりがいるからな」
意図的に『まつり』と呼ぶと、わずかだが計算通りの歓声が上がった。
「ねえねえ九条くん。まつりちゃんってやっぱり可愛い?」
するとさっそく(比較的)まともな女子がそんなことを聞いてきた。
「私も気になるー。男子機関員ごっこのまつりちゃんが、恋人だとどうなの?」
よし、いい流れだ!
ここで『風花にベタ惚れ感』を出してイチャ飯の件を押し切ってやる!
それによって風花との『恋人』関係もアピールできるし、一石二鳥だ!!
熱弁を始めようとする翔馬。
するとちょうどそこへ、風花が教室に戻ってきた。
「……あれ? みんなどうしたの?」
風花は、いつもと違う教室の雰囲気に困惑する。
それに応えるのは、もちろん『恋人』の翔馬だ。
「ちょうどいいところに来た。今からこいつらに風花の可愛さを解説してやるところだ!」
「どうしてそんなことにっ!?」
「いいか、まず風花の可愛さの基本は、なんと言ってもその爽やかな笑顔だ」
翔馬の言葉に教室中の視線が一斉に風花へと集まり、「なるほど」と声が上がる。
「……そ、そんなことないよ」
風花は頬をほんのり赤らめながら否定した。だが話はここからだ。
「それによって照れた時に手元の物を抱きしめるクセが何倍も可愛く見えるんだ。そしてその時に見える華奢な肩が、さらに風花の女の子らしさを感じさせて可愛さを増す」
「おおー」
再び上がる賛同の声。
「そんなことないよ。ないないっ」
風花は紅潮し始めた顔をブンブン振って否定する。
「こういう風に、可愛いと言われることに慣れてないからこその反応が、また可愛いわけだ」
「おおおお――――!」
熱を帯びていく視線に、風花の顔はますます赤くなっていく。
「も、もう、そんなことないってば!」
「こういった反応や可愛さを生み出すその根源は、男子機関員ごっこにある。その時の記憶が鮮明にあるからこそ、可愛いと言われることにどうしても慣れることができないんだ!!」
「おおおおおおおお――――ッ!!」
そしてついに拍手がわき上がった。
「わあーッ! 可愛くない可愛くない可愛くないッ!!」
男子機関員ごっこという恥ずかしい過去を持ち出された風花は、もう一面残さず真っ赤だ。
しかし「それもまた可愛い」と、もはやループ。
「……え、ACA呪術教団へ団員ナンバー4179番が報告。こんな……こんな可愛い子を彼女にしているヤツには一日も早い処罰が必要ですッ!!」
「コラそこォ! どこに連絡してやがる!!」
「でも九条くん、まつりちゃん大好きなんだねー」
同級生から上がる声に、翔馬は笑みを向けることで応える。
よし、流れが変わったぞ! ここで一気に話題を変えてやる!
意気込む翔馬。すると、そっぽ向いてるフリをしながらチラ見を繰り返していたアリーシャと再び目が合った。
アリーシャは思わずビクッと身体を震わせ、大慌てで視線をそらす。
続けざまに二度も目が合ったことに、動揺を隠せない。
見ていたことに気づかれたかもしれない、とアリーシャは戦慄する。
対して翔馬は、続けて目が合ったことで閃いた。
……もしかしてアリーシャさん、この話題に興味があるのか?
転校してきて以来、アリーシャは完全に高嶺の花と化していた。
それは開校以来最高と言われる美しさのためだけではない。たった数日で勉強も、運動も、魔術まで優秀なことが判明し、一瞬で憧れの存在へと駆け上がったからだ。
もしかしたら、この話題を変えるきっかけになってくれるかもしれない。
そういうことなら!
「そうそう、ACAといえばアリーシャさんにも目をつけてるみたいだよ。もうかなりの人気みたいだな」
翔馬の言葉に、同級生たちの視線が一斉にアリーシャへと集まる。
「……えっ」
しかし当のアリーシャは、二度続けて目が合ったことへの驚きと、急に自分に注がれたたくさんの視線に内心で慌てふためいた。
なにをどう答えていいのか、全く思いつかない。
それなのに、時間が経つほど周りが期待を高めていくのが分かる。
アリーシャは必死に考え、そしてどうにか一つの答えにたどり着くことができた。
それは『笑顔』だ。
こんな話題に余裕の笑みだけで返して見せれば、最悪まともな返事なんてできなくても、それだけで全てが許されるはずだ。
そしてこれは好機でもある。
先日失敗したばかりのふんわり笑顔をここで炸裂させれば、流れが変わるかもしれない。
ここまで一切なかった翔馬との会話。そのきっかけになるかもしれない。
思い切ってここで笑うんだ! と、アリーシャは覚悟を決める。
そして今、皆の期待を背にアリーシャがその口を開く!
「――――興味ない」
『キッ』と音が出るような睨みをきかせてから、アリーシャはそっぽを向いた。向いてしまった。その翠眼にあふれ始めた涙を隠すかのように。
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