12.これからは

「カンパーイ!」

「はぁ、どうも……」

 今回何もしていないはずの晶が威勢よく音頭を取り、紫木がおずおずとそれに続いた。三回目となり恒例と化しつつある事件解決のお祝い焼肉である。例によって私と晶と紫木の三人で、なぜか私と紫木が隣り合って座っている。晶によって露骨に誘導された結果だ。

「ほら先生、食べて食べて。今日は警部の奢りだってさ」

「……じゃあいただきます」

 晶が勝手に紫木の皿に肉を盛るので彼は観念したらしく箸に手を伸ばした。柔らかそうな肉を箸で挟んで口に運んでいく。

「ほら薫も。なに辛気臭い顔しているの?」

「え、いや……なんか勝手が違うなって思って」

 一方の私も紫木のことを言えた義理ではなかった。それもそのはず。今日来ている店は普段の質より量な焼肉店ではなく、その真逆をいく高級店だった。周りの客も高級なスーツを着ているし、中には着物に身を包んだ女性もいる。着物で焼肉って……とは思うが雰囲気に圧されてしまってそんなことは言えなかった。

 実家は金持ちだったから親父にいろいろな店へ連れまわされたし、こういうのには慣れてると思ったんだけど私もすっかり庶民になったらしい。そういう下地のなさそうな紫木も居心地の悪そうな顔をしている。

 なぜ晶だけがびくともしていないのかは不思議でしょうがないんだけど。

「あぁ、おいしいですねこのお肉。さすがは高級店といったところですか」

「でしょう? 警部もくればよかったのにね。お金だけ渡してそそくさと帰っちゃうなんて」

「あの人はしょうがないでしょう。先生のこと認めたくないけど、借りっぱなしも嫌だったのよきっと」

 警部の話が出てきて私も調子が元に戻ってきた。彼はどうやら、晶に「これで先生を焼肉へ連れていけ」と命じてお金を押し付けたらしかった。実際にはそのお金は捜査費用から出ていると思うから、警部の奢りというのは違うと思うけど。

 そう考えると遠慮するのも馬鹿らしい。私は網の上でいい匂いを漂わせている肉をまとめてさらって自分の小皿に確保する。

「ところで連続窃盗事件はどうなりましたか? 最初の容疑者が無事釈放されたところまでは聞いていたのですが」

「あぁ。ちゃんと捕まったって。ほら、先生が去年に教えてくれたやつがあったでしょう? 地理的なんちゃらって」

「地理的プロファイリングですか?」

 紫木は私が用語をきちんと覚えていなかったことを咎めるような顔をしたが、私は無視して肉を口へ放り込む。

「そうそれ。今回の事件でも使えないかなーって思って山を張ってみたのよ。一番目があそこで二番目がここだから次はこっちかあっちのどちらかだろう……みたいにね。私は西寺の釈放に関わる書類の整理に追われてたから実際に山を張ったのは川島だったけど、そしたらビンゴ」

「ビンゴ……ですか?」

 紫木は怪訝な顔をしてオレンジジュースを一口あおった。お酒を飲まないのは相変わらずだ。私は口の中の肉を飲み込んで先を続ける

「ビンゴ。山張った場所を見回ってた川島が怪しい奴を見つけて職務質問。そしたら荷物から窃盗に使われる工具類がジャンジャカ出てきてね。逮捕して家宅捜索したら家から盗まれた宝石類が出るわ出るわ。ほとぼりが冷めたら換金する気だったみたい」

「そうでしたか」

 私たちの会話に割って入るように店員が肉を盛った大皿を運んでくる。私が皿を受け取り丁寧に平べったく並べられた肉を箸で雑に掴んで網へ投げ落とすと晶があきれたような顔をした。

「そういえば希望ちゃんはどうなったの? 学習障害だって話になってたけど」

 晶は私が滅茶苦茶に網へ投入した肉を綺麗に広げなおしながら紫木に尋ねる。紫木はまたジュースで口を潤してから喋り始めた。

「希望さんにはあのあと鹿鳴館大学が運営するカウンセリングルームを紹介しました。どうやら学習障害で間違いなさそうですね。いまはいろいろと支援用の道具……僕が渡したシートのようなものですね、あれを使って文章を読む練習をしているようです」

「へぇ、よかったよかった」

 私は紫木へ相槌をうってビールを喉へ流し込んだ。私には詳しい話は相変わらず分からないけど、適切な支援とやらが受けられるに越したことはない。

「あぁでも、また先生に助けられちゃったな……どうにも最近は不可解な事件が多いから」

「そうだ、ちょっとお手洗いに……」

 私が愚痴るような口調で言うと晶が思い出したように席を立って去っていく。テーブルには焼肉にしては大人しい音を立てて焼ける肉と私が紫木と取り残された。

 紫木は何かを言いたいのか、ちらちらと私を伺いながら落ち着きなくおしぼりを掴んだり離したりしている。私はしばらく彼が口を開くのを待っていたけど、いつまでも話し始める気配がなかったので痺れを切らして「なに?」と促した。

「いえ……ただちょっと今回は……暴走が過ぎたかなと」

「へぇ、一応自覚はあったんだ先生」

 犯罪学者から普通の男性にモードが切り替わった紫木の口調は酷く弱々しい。捜査中の奔放な振る舞いが嘘のようだけど、彼にもその意識があったことが意外で私は素直に驚いた。

 ただそんな私の言葉が多少嫌味に聞こえてしまったのか、紫木は体を縮めてしまう。

「すいません……こればっかりは性分というか。あとで反省はするんですけど……喉元過ぎると忘れるというか」

 紫木の眉が下がる。モードに入っているときは口が僅かに動くくらいで目のあたりの変化に乏しいので珍しい表情だ。初めて見る気弱な犯罪学者の姿だったけれどあまり違和感は覚えない。きっとこっちも元々の紫木の顔だ。

 十一月の寒空の下、殺人犯を捕まえようとする私を律義に追いかけてきた紫木優だ。

「大丈夫よ。あなたが無茶苦茶するの結構楽しく見てるし」

「え?」

 紫木がポカンとした顔で私を見上げてくる。私は体の温度が熱くなった気がしてビールをあおった。

「それに捜査でしょう? 結果が出てれば私がいくらでもフォローできる……助けてもらってるしね。変に萎縮されるよりはよっぽどいいわ」

「そうですか……」

 私はまだ自信がなさそうな目をしている紫木の背中を強く叩いて活を入れる。大きな音が店内に響いて周りの客から責めるような視線を浴びるけどそれは無視した。

「……これからもよろしく。先生」

「……はい」

 消え入るような声で応じて、今度は紫木がジュースをあおる。勢いが良すぎて口の端から明るい色の液体が滴った。私は彼におしぼりを差し出してから網で焦げつつある肉へ向かっていった。


 後日、にやにや笑う晶に会話の内容を問い詰められたけどそれはまた別の話だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る