アラフォー刑事と犯罪学者

新橋九段

File1 地上の星

1. 地を向く望遠鏡

「今回のような連続殺人の犯人を捕まえるために考案されたプロファイリングの手法には、大きく分けて二種類あります。一つはFBIの手によって開発されたFBI式プロファイリング。もう一つはイギリスで開発された地理的プロファイリングです」


 私の正面に座るスーツの男、この研究室の主である紫木優がテーブルの上に置かれたタブレットを操作しながら説明を始めた。タブレットには、彼が普段の講義に使うというスライドショーが映し出されていた。

 紫木はFBI式プロファイリングと書かれたスライドを表示させ、続ける。

「まず、FBI式は僕らにはできません。これには特別な訓練が必要なんです。この方式のプロファイリングは事件現場の手掛かりから犯人のパーソナリティを推測するのですが、どの手掛かりをどのように解釈するかが難しいんです」

「へぇ」

 私は多分、間の抜けたように聞こえるであろう声で相づちをうった。スライドにはいかにも賢そうな外国人の顔写真が張り付けられており、キャプションに「ロバート・K・レスラー」と書かれていた。

「じゃあ……私たちがやるのは地理的プロファイリングの方ってことですか?」

 私が紫木に尋ねると、彼は地理的プロファイリングと書かれたスライドを表示させて言う。

「そうは問屋が卸さないんです。地理的プロファイリングはFBI式のものより理屈自体は単純明快なんですが、計算が面倒でして。専用のソフトがなければできません」

「じゃあそのソフトをどうにかして手に入れればいいでしょう?」

「まあ、恐らくプロファイリング研究をしている科警研にはあると思いますが。それを使うとしたらやはり科警研の訓練されたプロファイラーということになるでしょうし、そうなると犯人に関する手がかりを得ても刑事さんの手柄にはなりにくいですよね」

 紫木はそういうと首を傾げた。彼の言う通りで、私は諸事情によりたった1人で、京都市連続通り魔事件の犯人を検挙……とは言わないまでも、一定の成果をあげないとならない立場だった。

 その諸事情のために傷つけた左ひじがうずいたような気がして、私はそこを手でさすった。

「うん……じゃあどうすれば?」

 タブレットを操作する紫木を眺めながら、私も首をかしげる。今までの彼の説明では、プロファイリングを実行することは現状不可能で、手詰まりに見える。

「地理的プロファイリングの面倒な計算、これを単純にすればいいんですよ。その分正確性は犠牲になりますが」

「計算を単純に?」

 なにかのアプリを起動させつつ、紫木が言う。

「ええ、そのことを理解してもらうために、まずは地理的プロファイリングの基本的な理屈を説明しますね。刑事さん。この画面の好きなところを五回タップしてください。タップすると星が出るので」

 彼は不思議なお願いと共に、真っ白な画面のタブレットをこちらに差し出してきた。私は意図がつかめないのと不慣れな機械の操作を求められて、それを受け取ると恐る恐る、とりあえず真ん中を触った。すると指が触れたところに、黄色の星が現れた。私は、その上の方をタップし、一つ目の星を挟んで反対側も触った。最後の二つは、画面の左右の端をえいやっと適当に触っておくことにした。五つの星が、画面に散らばった。

「できました……けれど? これがプロファイリングに関係あるんですか?」

 私が差し出したタブレットを見ると、紫木は満足げに、ほんの少し破顔した。彼はそのまま、

「関係大ありです。いい感じに出してくれましたね」と続けた。

「いい感じに? どういうことですか?」

「刑事さん。一つお聞きしますが……なんでこの位置をタップしたんですか?」

「な、なんでって……えーと、なんとなく?」

 さっきから私が尋ねるばかりで頭がよくなさそうになっていたところに、この回答である。バカ丸出しのようで少し恥ずかしかったが、何も考えずに触ったのは事実だった。彼の意図は未だにわからないままだ。

「刑事さんは、この紙に満遍なく散らすように星を出しましたよね。でも僕は好きなところを触ってくださいと言いました。なら一か所にかためても、一列に並べても、五つを重ねてもいいはずです。でも普通、こう頼まれると人はそうせずに散らしてしまいます」

 紫木は受け取ったタブレットをこちらに見せながら語る。

「これは犯罪者でも同じです」

「つまり……そうか、事件現場は一か所にかたまらずに散らばるってことですか?」

「はい。話が早くて助かります」

 ようやく少しは賢そうな問答ができ、私は先生に褒められた小学生のような気分になった。紫木はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、こちらを見ることなくタブレットをいじる。


「地理的プロファイリングはこの性質を利用して次の事件の発生場所を予想することができるんです。例えば……」

 紫木はそういうと五つの星のうち、右端に出ていたものを手で覆った。

「事件現場がこのようになっていたとします。一件目が画面の上の方に書かれたこの星、二件目は反対側の下の星、三件目が左端のこの星で起こったとしましょう。ここまでくると、もう四件目がどこで起こるかはわかりますよね」

「右端の星……?」

「はい、そうです」

 紫木は手をどけて、星を見せながら言う。

「犯罪者はあるところで事件を起こすと、次の現場はそこからできるだけ離れた所を選びます。一件目の現場には捜査のために警察が出入りしますし、警戒もされますからね。そして三件目は、一件目と二件目の両方から遠い場所を選び」

「四件目は三件目から遠い場所を選ぶ?」

「そうです」

 紫木はそう言うとタブレットを再び操作し、今度は地図を立ち上げた。彼はそれを指で動かすと、京都駅が画面の中心に来るように調節した。

「この理屈を、今回の事件に当てはめます。今回の通り魔殺人、第一の事件は京都駅の南で起きたんですよね?」

 紫木が事件現場である、東寺駅のあたりを触った。すると、地図に赤いマーカーが現れた。

「ええ、そして第二の事件、今私が先生に事情聴取した事件が京都駅の西で起きていて……」

「いえ、その前に刑事さんが遭遇したという未遂事件があったのでは? 六月でしたっけ。恐らく京都駅の北であるはずですが」

 そういって紫木は、京都駅の北側を触りマーカーを出した。私は六月の未遂事件―こんなことになった諸事情の元凶―の場所を思い出そうと頭を働かせる。今まで思い出すことを避けていただけに、すぐには出てこなかったが、現場が京都駅の北であることは間違いない。より正確に言えば、東本願寺の西の路地あたりだった。

 私は、一緒に思い出してしまった雨音を振り払うように軽く頭を振ると、紫木にそのことを伝える。彼はそれを受けると、

「そして第三の事件が、一昨日の事件ということですね」

 と言い、地図を触った。

「つまり、次の事件は京都駅の東で起こるってことですか……?」

「はい、そうなりますね」

 ついに次の事件現場がわかった。私はその興奮と共に改めて地図をのぞき込み、そしてすぐに興奮が冷めていくのを感じた。


「……で、京都駅の東のどこで起きるんですか?」

「さぁ、他の現場と距離的には変わらないと思いますが」

「それはいつ起きるんですか?」

「さぁ、最近の周期を見る限り、近いうちだとは思いますが」

 私はぎろりと紫木を睨み付ける。彼の少し外れた目線がとても白々しく映った。これでは手がかりにはなりそうにもない。

 そんないたたまれない間をややおいて、

「手がかりはもっとありますよ」と紫木が言った。

「本当ですか?」

「ええ、中心円仮説と言って、全ての事件現場から距離が等しくなる1点に犯人の住居や勤務先、あるいはいつも使っている最寄り駅などがあると言われているんですよ。本当は全ての現場からの距離の和が最小になる一点を求める重心円仮説の方が正確なのですが、計算が面倒ですし、今回の場合では結果は変わらないでしょう」

「中心って言うと……京都駅?」

「となると、そこが通勤先の最寄り駅ということでしょうね。つまり犯人は、通勤通学に京都駅を利用する人物です」

 間。


「……で、京都駅の一日の利用者数って何人でしたっけ?」

「……さぁ」

 私はもう一度紫木を睨み付ける。彼の目線は相変わらず白々しかった。心なしか、彼は椅子を引いて私と距離をとっているようにも見えた。

「……まあでも、ノーヒントよりもだいぶましでしょう?」

「それを言われると、そうですけど……」

 紫木がしれっと言う。そのこと自体は事実だったので、私も強く反論できなかった。

 でも、ここからどうすればいいのだろうか。京都駅から出てくる人一人一人に聞いて回るのか? それをして、もし奇跡的に犯人に出会ったとして、だからどうしたというのだ?それとも、次の事件現場と予想された京都駅の東に張り込むか? いつ事件が起こるともわからないのに? 最悪なのは、張り込んでいる場所と別のところで事件が起こってしまうことだった。同じ失態をもう一度犯すのか?

「手詰まりか……」

「だからダメもとと言いました」

 紫木が悪びれるでもなく言い放った。やはり部外者に頼るなんて、半年にわたる停職のせいで頭がどうかしていたのだろう。所詮当事者ではないからか、彼の発言にはいささか真剣みが感じられなかった。そのことにイライラとしたが、そもそも私が彼に説明してくれと頼んだにもかかわらず自分勝手にもそのような感情を抱いてしまったことに、さらに腹が立った。

「あと考えられるとすれば、それぞれの事件に共通する要素を探し出すことくらいでしょうか。連続犯というのは犯行の様式を変えたがらないものですから、それを見つけられればなにか手がかりになるかも……」

 紫木が何か言っていたが、私は聞き流していた。警部にはこの事情聴取は成果なしと報告するしかないのだろうか。

 私は狭い研究室の天井を仰ぎながら、こんな妙な男に縋り付き、役に立つかわからない犯罪心理学の話を聞いてまで事件を解決しなければならなくなるまでの経緯を思い出していた。

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