第80話『洗脳ノムコウ』

 洗脳が解けたことが影響しているのか、千晴先輩は沙耶先輩の胸の中でたくさん泣いた。彼女が泣き止むまでの間、沙耶先輩はずっと抱きしめ時々、頭を撫でた。さっきのキスもそうだけど、千晴先輩のことが羨ましいよ。

 我に返ったのか、千晴先輩は沙耶先輩の上でうつ伏せになりながら抱きしめられているという今の状況について顔を真っ赤にしていた。


「朝倉さん。その……ありがとうございました。ええと、温かくて気持ち良かったです」

「ははっ、それは良かったよ。どういたしまして。藤堂さんが元に戻って良かった」

「……ええ。ブランに洗脳されていたことが恥ずかしいです。しかも、自分がブランと名乗ってしまうなんて。見事にやられました。一生の不覚です」

「何だか藤堂さんらしい言葉だね。安心した」


 すると、ようやく沙耶先輩の抱擁が解かれる。千晴先輩は恥ずかしそうな様子でベッドに上がり、私達の方を向いて正座をする。


「今日は風紀委員会の皆さんに多大なご迷惑をかけてしまいました。東雲先生や秋川先生にも。本当に申し訳ありませんでした」


 千晴先輩は私達に向かって深く頭を下げる。どうやら、洗脳が解けても、かかっていたときの記憶はしっかりと残っているようだ。


「気にしないでください。みんな、千晴先輩がブランに洗脳されていると思っていましたから」

「琴実ちゃんの言うとおり」

「そう言ってくれると嬉しいですけど、それでも……」

「……じゃあ、今日もパンツを堪能させてよ。藤堂さんが今日、どんなパンツを穿いているのか。あと、東雲先生のパン――」

「どさくさに紛れて、私のパンツまで見ようとするんじゃない」


 藤堂さんの洗脳も解けていい雰囲気になっているから、チャンスだと思ったんだろうな。ただ、東雲先生のパンツの壁ってどれだけ高くて頑丈なんだろう。


「先生の言い方ですと、私のパンツは見ていいことになっていません? まあ、朝倉さんのことですから、仲直りにパンツを見せてと言うとは思っていましたが……」

「いいの? 藤堂さん」

「……朝倉さんですからね」

「それじゃ、遠慮なく」


 沙耶先輩は千晴先輩のロングスカートの中に潜る。


「スカートの中温かくていいね! 今日は肌寒いからさ。いい匂いもするし。この先にパンツがあると思うと、ここはユートピアだ……」

「変なことを言わないでください」

「藤堂さんはフリル付きが好みなのかな? 水色も可愛くていいと思うよ!」

「実況もしないでください……」


 そう言いながらも千晴先輩はちょっと嬉しそうだ。これも沙耶先輩のことが好きだと自覚したからかな。

 こうした光景を見てみると、本物のブランって実は沙耶先輩なんじゃないかと思ってしまうことがある。実際、変態組織のダブル・ブレッドの会長のブランはどれだけ変態なんだろう。


「ふぅ、満足満足」

「……朝倉。前から思っていたんだが、お前って飲み食いしなくても、女性のパンツさえあれば生きていけるんじゃないか?」

「パンツを穿いた女の子がいれば生きていける自信はありますね」

「……すぐさまにそういうコメントができるお前は凄いよ」


 沙耶先輩って死んでも、パンツへの欲望があまりにも強くて、幽霊になっていつまでも女の子の側にいそうな気がする。


「さてと、そろそろ本題に移るか。藤堂、お前はブランに洗脳されたけど……いつ、どうやってブランから接触されたんだ?」

「昨日の夜です。それまでずっと……朝倉さんにフラれたことがショックで、風紀委員会に戻りにくいと感じていました。今週末までに気持ちを切り替えて、来週からまた行くか、少しでも早く学校に復帰するか迷っていて。そんなとき、私のスマートフォンに非通知で電話がかかってきたんです」


 千晴先輩はスマートフォンの着信履歴を見せてくれる。昨日の午後8時過ぎに非通知で着信があった。


「麻美に頼んで携帯会社に藤堂の着信履歴を詳しく調べてもらうか。まあ、ブランのことだから、特定できる可能性は薄そうだが……」


 東雲先生はスマートフォンで電話をかける。


「藤堂さん。その非通知の電話はブランからだったの?」

「ええ。ブランと名乗っていました。妙に高い声でしたので、おそらく何か機械を通して声を変えていたんだと思います」

「なるほどね。声で誰か分かることは多いから、そこはさすがに変えてくるか」

「ええ。私もブランと名乗られたときはドキッとしました。朝倉さん達に知らせた方がいいと思って電話を切ろうとしたら、朝倉さんに告白したらフラれて学校を休んでいるんだろうって言われて。その悲しい気持ちはよく分かると言われたら、何だか電話が切られなくなってきてしまって」

「そうやって、フラれて落ち込んでいる藤堂さんの心を掴んでいったわけか……」


 つまり、ブランは千晴先輩が沙耶先輩からフラれ、傷心の状態にあることを知っていた。私達の側にいる人物である可能性は高そうだけど、盗撮や盗聴を考えればそこまで絞ることはできないか。


「ええ、見事に。自分でそのことを話すのが恥ずかしいくらいです。あと、ブランは私のことを知っているようでした。風紀委員長で責任感のある私なら、ダブル・ブレッドのブランとして務まるだろうと言われて。風紀委員会から朝倉さん達を追放すること。ただ、朝倉さんだけは、条件を付けてダブル・ブレッドのメンバーに引き入れろと命令されたんです。ダブル・ブレッドのメンバーの名前と連絡先のリストを、SNSを通じて受け取りました」


 本物のブランは風紀委員会を崩壊させ、沙耶先輩をダブル・ブレッドのメンバーにするために千晴先輩を洗脳したのか。


「なるほど。本物のブランは藤堂さんを上手く利用したのか。これまでのブランの行動は藤堂さんがブランだとしても通用するからね」

「ええ。風紀委員会のメンバーや東雲先生、秋川先生にこれまでのことを訊かれても上手く答えなさいとも言われて」

「ブランの言葉通り、午前中に私が色々と訊いても、まるで藤堂が本当のブランのように話していた。あっ、藤堂の着信履歴の件は麻美に頼んでおいたから」

「ありがとうございます。……琴実ちゃん、何だか考えているようだけど」

「その……千晴先輩を洗脳するのは分かりますけど、わざわざ先輩にブランと名乗らせる必要はあったのかなと思って」


 自分の味方をして引き入れたいなら、洗脳すれば十分な気がするけど。


「確かに、今の風紀委員会の崩壊させることや、私を組織に引き入れるだけならその必要はないだろうね。考えられるとすれば、私達だけでなく警察関係者も捜査を始めて……いずれは自分がブランだと突き止められるかもしれないと危惧したのかな。自分の罪をなすりつけるために、藤堂さんにブランになってもらったんだと思う。藤堂さんはブランにとって都合が良かったから」

「私にブランとして罪を背負わせるつもりだったのですか……」

「多分ね。あと、メンバーリストを渡したのは、私達への脅迫のためという理由もあると思うけれど、ダブル・ブレッドのメンバーに『ブランは藤堂千晴である』ということを印象づけるためなんじゃないかな」

「多くのメンバーがいることを実際に示せれば、朝倉さん達への牽制となるとも言われましたね。組織としての結束を強めるために、連絡をしたときに自分の名前を言いましたし……私、ブランの思い通りに動いてしまったのですね……」


 はああっ……と、千晴先輩は重いため息をつく。敵対している組織のリーダーの思う壺にはまってしまったのだから、がっかりしてしまうのも無理はない。


「過ぎたことは仕方ないさ。それに、私達は最初から藤堂さんは本物のブランによって洗脳されていると疑っていた。藤堂さんのことは私達が守るよ」

「……ここまで来て私にかかった洗脳を解いてくださったんですもの。信じていますよ、みなさんを」


 本物のブランもきっと私達の動きは把握しているはず。千晴先輩にかけた洗脳が解けたことを想定して動いている可能性もあり得る。


「藤堂さんを守るためにはもっと情報が欲しいんだ。藤堂さん、ブランと話しているとき……何か気になったことはあった?」

「そうですね……今思うと気持ち悪いくらいに私達の動きを詳しく把握していると思いました。ただ、そんなブランも間違えたことを言っていましたね」

「間違えたこと?」

「ええ。なぜか分からないのですが、ブランは私が朝倉さんに告白したのは屋上だと言っていたのですよ」

「えっ、屋上じゃないんですか?」


 私がそう訊くと、千晴先輩はクスクスと笑って、


「屋上ではありませんよ。告白したのは私のクラスの3年2組の教室です。朝倉さんに告白してフラれて……ショックのあまり、1人で教室を飛び出して母の運転する車に直行しましたから。私が最後に屋上に行ったのは、火曜日のお昼に琴実さんと一緒にお弁当を食べたときですよ」

「そうなんですか? だって、沙耶先輩……が……」


 その瞬間、一つの答えが見えてしまった。沙耶先輩が誰をブランだと疑っているのか。些細なことをきっかけに見えてしまったのだ。


「どうやら、琴実ちゃんも辿り着いたみたいだね」

「……ええ。信じられないですけど」

「そっか」


 沙耶先輩は切なげな笑みを見せ、小さなため息をつく。まさか、あのとき……先輩はわざとあのことを言ったの?


「ど、どういうことですか? 今、私が言ったことに何かヒントが?」

「私にも分からなかったぞ、朝倉」

「藤堂さんの今の話から、ある人物に詳しく話を聞く必要が出てきました。その人物がブランです。そのために今すぐに学校へ戻りましょう」

「分かった。恵達にも伝えるよ」

「お願いします」

「その間に私は制服に着替えますか」


 制服に着替えた千晴先輩と一緒に私達は4人で白布女学院に戻る。ダブル・ブレッドのメンバーが待ち構えているかと思ったけれど、そんなことは全くなかった。

 風紀委員会の活動室に戻ると、そこには理沙ちゃん、ひより先輩、秋川先生、白鳥さん、深津さんの5人がいた。


「千晴先輩!」

「戻ってきたんですね、藤堂先輩!」


 理沙ちゃんとひより先輩は嬉しそうな様子で千晴先輩のところに駆け寄り、抱きしめる。


「ひよりさん、唐沢さん。ご心配をお掛けしました。みなさんのおかげで、ブランからの洗脳を解くことができました。また風紀委員長をやらせてください」


 千晴先輩も2人のことを抱きしめた。これで風紀委員会のメンバーが全員揃ったぞ。


「ブランといえば……真衣子先輩、ブランの最有力候補が分かったとのことですが」

「……ああ。ここに来るまでの間に、車の中で朝倉から聞いた。今から9人全員でそいつのいる場所に行くか」


 私達は……風紀委員会の活動室を出発して、私や沙耶先輩がブランだと思っている人のいるところへと向かう。


「あら……風紀委員会と先生方、白鳥さんや深津さんまで。藤堂さんもいる。全員でどうしました? 私に何か用ですか?」

「ああ、そうだよ……京華。ここにいてくれて良かった」


 行き先は生徒会室だった。中には生駒京華生徒会長だけがいる。

 扉を開いたとき、会長さんはスマートフォンを弄っていた。スマートフォンをブレザーのポケットにしまうと、ゆっくりと立ち上がって私達のすぐ目の前まで来た。落ち着いた笑みを浮かべている。

 沙耶先輩は一歩前に出て、


「単刀直入に訊くよ。本当のダブル・ブレッドの会長・ブランは……京華だよね?」

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