第68話『漆黒副会長』

 沙耶先輩の怪我の治療が終わったので、私達は風紀委員会の活動室に戻る。

 すると、部屋の中には白鳥さんが戻ってきており、まるで黒瀬さんの取り調べが行なわれているようだった。黒瀬さんはげんなりとした様子で座っている。あと、事態を知ったのか会長さんもいた。


「朝倉さん、背中の状態はどうですか?」


 心配なのか、千晴先輩は沙耶先輩の手をぎゅっと握る。


「今も痛いね。あざはできていたけど、保健室で琴実ちゃんに湿布を貼ってもらったから、何日か経てば治ると思うよ」

「そうですか。私のせいであなたが辛い目に遭ったと思うと心苦しくて。でも、酷い怪我でないと分かって本当に良かったです」


 すると、千晴先輩は沙耶先輩に向けて優しい笑みを浮かべる。沙耶先輩に対して今みたいな表情を見せるのは初めてのような気がする。


「心配してくれる気持ちは嬉しいけど、今度は手が痛いかな」

「あっ、申し訳ありません……」


 そう言うと、千晴先輩はとっさに沙耶先輩の手を離す。ただ、顔を赤くしながらはにかんでいる。


「しかし、ここで沙耶の足の速さが活かされるなんてね。さすがは元陸上部」

「走るのは好きだからね。そのおかげで藤堂さんにケガがなくて済んだから嬉しいよ」

「風紀委員になってから一番、あなたが頼もしいと思いましたよ」

「あははっ、一番頼もしいか。それは光栄なことだね、藤堂さん」


 沙耶先輩はいつもの爽やかな笑みを浮かべる。思い返せば、千晴先輩に向かって走ったときはかなり速く思えた。彼女を助けたい気持ちがあったからなのかな。


「そこまでひどくないケガで一安心したが、無理だけはするなよ、朝倉」

「分かっていますよ、東雲先生。それで、黒瀬さんは色々と話してくれましたか?」

「麻美と深津さんっていう捜査のプロがいるからな。2人のおかげで色々と話を聞けているよ」


 どうやら、黒瀬さんも警察官相手には素直に喋るようだ。だからこそ、しょんぼりとしているのかもしれない。


「私から説明します、真衣子先輩。黒瀬さんから聞いた話によると、彼女はダブル・ブレッドの副会長とのことです。会長であるブランを非常に敬愛しており、『ブラン』の考えることは絶対だと考えているそうで」


 私達が捕まえたときもブランのことを様付けしていたし、ブランからの命令を果たせなかったことをとても悔しがっていた。まるで、ダブル・ブレッドが一つの宗教のように思えてくる。


「黒瀬さんは土曜日の午後にブランからSNSのメッセージ機能で、折笠さんを盗撮するように命令されたそうです。日曜日までに盗撮した写真を送って欲しいとその際、折笠さんが朝倉さんと一緒に過ごしているということも言われたそうで」

「土曜日の午後というと、琴実ちゃんと一緒に私の家に帰ったときですね。実は金曜日は琴実ちゃんの家に泊まっていて、土曜日はお昼前に琴実ちゃんの家を出発しました。家に帰るまでの間に昼食を食べたり、猫カフェに行ったりもしたのでブランを含めたダブル・ブレッドのメンバーが、私達が一緒にいることは知ることはできると思います」

「なるほど。知るチャンスはたくさんあったわけですね。黒瀬さんはブランに2人がいる場所がどこなのか訊くと、朝倉さんのマンションに2人が入ったところを見たメンバーがいると返信が来たと」

「それで黒瀬さんは私のマンションに向かったわけですか」


 どうやら、盗撮した黒瀬さん以外にも、偵察するために動いていた組織のメンバーがいたようだ。


「でも、どうしてブランは黒瀬先輩に私の盗撮を頼んだんでしょうかね。沙耶先輩が住むマンションに入っていった私達の姿を目撃したメンバーがいるなら、その人に盗撮を頼めば良かったのに」

「言われてみれば折笠さんの考えることは筋が通っていますね。黒瀬さん、今の折笠さんの言ったことについて答えてくれますか?」


 白鳥さんがそう言うと、黒瀬先輩はそれまでの元気のなさが嘘だったかのように胸を張って、


「それはブラン様があたしのことを信頼してくださったからだと思います。だって、あたしは組織ができて間もない時期から入会している副会長なんですから!」


 ブランに命令されたことが嬉しかったのかドヤ顔でそう言った。ブランからわざわざ黒瀬先輩に盗撮を命令した理由は言われなかったんだな。


「なるほど。副会長という肩書きがあるくらいですから、ブランが他のメンバーよりも信頼していると考えて良さそうですね」

「そうですね。土曜日の午後に命令されて黒瀬先輩がここに来たってことは……会長さん、マンションの近くで怪しい人物は見かけましたか?」

「休日の昼過ぎだったから、もちろん何人もの人とはすれ違ったけど、怪しそうな人はいなかったと思うよ。もちろん、防犯カメラに映っていたような自分の顔を隠すような人もね」

「そうですか……」

「期限が日曜日までだったこともあって、土曜日はマンションの前に来て、朝倉さんの家の部屋番号を確認するだけで、日曜日の朝に盗撮するために来たそうです」

「そして、見事に琴実ちゃんを盗撮できたわけか。琴実ちゃんに気付かれたけれど、変装していたから自分の姿までは分からなかったと」


 ということは、ブランからの命令はこなせたってことか。


「私達が聞いたのはここまでです。真衣子先輩から、今日のこともブランからの命令動いたことだとは聞いていますが」

「ああ。そして、黒瀬は風紀委員会に強い敵対心を抱いていた」

「ふふっ……」


 黒瀬先輩の口角が上がる。


「……東雲先生の言うとおりですよ。ブラン様から命令を受けたんです。風紀委員会メンバーに痛い目に遭わせて、ダブル・ブレッドに歯向かう人間や組織はいつか恐ろしいことになると警告せよと」

「だから、盗撮した琴実ちゃんの写真をあの掲示板に貼って、藤堂さんやひよりちゃんを襲おうとしたのか」

「その通り。風紀委員会は放課後、校内の見回りをするのが習慣であることは知っていたからね。以前から風紀委員会は危険だと言われていたから、あの棒はあたしのロッカーに置いてあったの。風紀委員会の子だったら誰でも良かったけど、藤堂さんと成田さんが見事に引っかかった。あと少しでブラン様の命令を完遂できたんだけどなぁ……」

「何をふざけたことを言っているのですか! あなたやブランのせいで朝倉さんがケガを負ってしまったのですよ!」


 ふてぶてしく笑う黒瀬先輩に千晴先輩は強い口調でそう言った。もちろん、千晴先輩の表情は怒りに満ちていた。


「ふうん……やっぱり、風紀委員長の藤堂さんが一番危険だ。あんたに痛い目を遭わせたかったなぁ。朝倉さんはパンツが大好きだから、話せば分かってくれそうだもん。あと、朝倉さんを怪我させたくなかったら、とっさにでも彼女のことを庇えば良かったのに。何もできず、朝倉さんと倒れたくせに何言っているんだよ」

「あなたって人は……!」

「ダメだ、藤堂!」


 黒瀬先輩を叩こうとした千晴先輩の右手を東雲先生がしっかりと掴んだ。そんな様子を見て黒瀬先輩は嘲笑している。


「さっきの私の言葉、どうやら届いてなかったようだね。黒瀬さん」

「逮捕されるかもなぁって思うと嫌だけど、風紀委員会に恐ろしい思いをさせられたかと思うと嬉しくてね。命令は完遂できなかったけどさ。それに、こんなところで風紀委員会の人間と話しているとムカムカしてくるんだよ」


 部屋に入ってきたときに見たしょんぼりとした姿が嘘のようだ。敬愛する会長のブランのために、自分の居場所であるダブル・ブレッドという組織のために貢献できたと思い、誇らしいのだろう。


「なるほどね。まあ、風紀委員会に対する黒瀬さんの気持ちなんて正直どうでもいいよ。それよりも、ここまでのことをされたら……一度、ブランと話がしたい。黒瀬さんのスマートフォンを使って」

「嫌に決まっているじゃない! 警察の人がいるし、あたしのスマートフォンを利用してブラン様のことを特定するつもりでしょう!」

「それができればいいけどね。もちろん、黒瀬さんがブランの正体を知っているなら、スマホを使わずに直接会いに行くんだけどな」


 ダブル・ブレッドのメンバーではない人にとって、会長のブランは謎に包まれ、姿が全く見えない存在。ただ、副会長である黒瀬先輩なら、ブランが誰なのか知っているかもしれない。こんなにも敬愛しているのだから。


「……あたしもブラン様が誰なのか知らないよ」


 さっそく、私の考えは甘かったと分かってしまった。ブランは副会長にさえ正体を明かさないのか。


「知らない?」

「……そうだよ。ブラン様はネット上で知り合った方。うちの学校関係者らしいけれど。ブラン様と話しているととても楽しくて、この人のために何かしたいと思った。そんな矢先、あの方が立ち上げてから日も浅いダブル・ブレッドの副会長にならないかと打診があってね。それからは今までずっと副会長として活動していて、ブラン様とはネット上でやり取りをようにしてるの」

「だから、ブランの正体は知らないのか。じゃあ、1年生の掛布真白さんがダブル・ブレッドのメンバーであることも知らないの?」

「ブラン様から、新年度になって1年生の子がさっそく入会したことは聞いていたけど、その子の本名は今知ったよ。彼女だけじゃなくて、全員の本名を知らない。他のメンバーもそうじゃないかな。ブラン様は把握しているかもしれないけど……」


 ネット上でコミュニケーションを取っているからこそ起こりうることか。身内の人間でさえも正体が分からない人を相手にしていると思うと、ブランがとんでもない強敵に思えてきたよ。


「ねえ、黒瀬さん。命令は完遂できなかったけど、私に怪我を負わせることができたんだ。それはブランに報告した方がいいんじゃないかな。それに、校内のことだから、もしかしたらブランは、どこかで黒瀬さんのことを見ていたかもしれない。お褒めのメッセージが届いているかもよ?」

「……確認してみる」


 すると、黒瀬先輩は嬉しそうな表情でブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。沙耶先輩の言うように、校内でのことはブランがどこかから見ているかもしれない。


「な、ない……どうして……」


 黒瀬先輩は焦った様子でスマートフォンを操作する。


「どうかしたのかな、黒瀬さん」

「ないの! 今まで連絡用に使っていたブラン様のSNSアカウントが!」


 黒瀬先輩は目を見開き、愕然とした様子だ。スマートフォンを持つ手が震えている。そんな彼女を目の前にしても沙耶先輩は落ち着いた様子だった。


「……やっぱりね」


 どうして沙耶先輩がそう言うのか私にはすぐに分かった。


「実は、掛布さんのときもそうだったんだ。私達に捕まった直後、ブランと連絡を取ろうとしたら、それまで利用していた連絡手段が使えなくなっていた。きっと、ブランは黒瀬さんが捕まったことを知って、風紀委員会や警察関係者が自分に辿り着くことを恐れたんだろうね。だから、君との繋がりを断ち切ったんだよ。もし、掛布さんと同じだったら……もうブランとは二度と連絡を取ることはできないだろう」

「そんな……そんなああっ!」


 すると、黒瀬先輩は大声を出しながら号泣した。机に突っ伏し、スマートフォンを握り締めた右手で机を何度も叩いている。ずっと信じ続け、深く敬愛してきたブランからあっさりと関係を断ち切られたんだ。きっと、とても悔しくて、悲しいのだと思う。


「……今、ここで黒瀬から聞けることはもうないだろう。ただ、朝倉にケガを負わせたのもあるから……あとは警察の方に任せるか」

「では、黒瀬香奈さんの身柄を拘束して、警察署に連れて行きます」

「お願いします、麻美、深津さん。黒瀬の親御さんへの連絡と学校側への説明は私がしよう。恵は風紀委員会メンバーを自宅まで送って欲しい」

「分かりました。じゃあ、今日の風紀委員会の活動はこれで終わりにしましょう」


 重々しい空気の中、今日の風紀委員会の活動は終わった。

 分かったことはブランが風紀委員会に対してかなり敵意を抱いており、メンバーを使った実力行使も辞さないということ。

 沙耶先輩がケガを負ってしまったこともあってか、ダブル・ブレッドは変態組織ではなく単なる犯罪集団だと思ってしまうのであった。

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